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中東と世界をラジオで聞く ~店主の独り言~

9月17日(月曜日) いつのまにか季節は秋

 この季節、日ごとに日没が早まっていて、きょうの関東地方の日没は17時50分ごろだとか。つい最近まで午後7時ごろまで空が明るかったのに、もう午後6時を過ぎる頃には暗くなってしまいます。来週末は立秋。いよいよ夜長の季節に突入です。まだきょうなどは気温が上がっていて日中は暑いぐらいなのですが、季節は確実に秋へと変化しています。だからといって何をするでもないのですが、日本に住んでいると四季の移ろいが感じられるところがいいですね。

 わたくしが住んだことがある北アフリカのチュニジアは、春と秋がありません。というか、ほんとうに短いのです。夏はとても天気がよくて、からっとしていて過ごしやすいのですが、10月のある日、突然空が曇り始めて、それまで数か月にわたって降らなかった雨が突然降り始め、きのうまでの青空がうそのように暗くなります。そして気温が下がり始めて、冬が近づいてきます。12月から2月ごろにはみぞれも降ります。寒いのです。季節の変わり目が実にはっきりしています。一方冬から夏への変化も同様です。それまで暗かった空が急に真っ青に晴れて、気温がぐっと上昇します。4月半ばから5月になると、野原に急に花が咲き乱れて色鮮やかになります。

 同じく北アフリカのカイロも似ています。夏は砂漠気候で、とにかく暑くて乾燥しているのですが、10月下旬ごろになると急に曇り始めて、時折強烈な雨が降ります。カイロの町は基本的に「晴れ仕様」なものですから、道路の排水が上手くいかず、道が川のようになります。しかも土埃が普段からひどいので、一旦雨が降ると泥べちゃ状態になり、歩くことがままならなくなるほどです。自動車にはワイパーがついていないものが多く(使わないから外している という説と、ワイパーを盗まれたままにしている という説がありましたが真偽のほどはわかりません 笑)、一旦雨になると前が見えなくなります。この雨の季節が強いて言うと秋なのかもしれません。その後冬になるとそれなりに気温が下がりますが、あまり雨は降りません。朝は必ず霧がかかって、日が昇るとともに霧が晴れるという繰り返しになります。

 ご存知の方も多いかもしれませんが、日本では「秋の虫」としてコオロギなどの音色を楽しみますが、北アフリカではコオロギは夏の虫で、しかも日本のコオロギと比べると大きいので、間違って部屋に入ってきて鳴かれると、音色を楽しむなんて風流なことにはなりません。めちゃくちゃうるさいので、見つけ出して退散願うことになります。

 さて、話はまったくかわりますが、昨日、女優の樹木希林さんが亡くなったという訃報がニュース速報で流れました。自然体で率直な話をされる女優さんで、古くはTBSのドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」、最近では映画「万引き家族」での演技が光っていました。女優としての演技はもとより、権威や権力におもねることなく適度に距離を保ち、またさまざまなことに前向きだった人柄にも敬意を表したいと思います。御冥福をお祈りします。

9月16日(日曜日) 紙の辞書類とカセットテープとMDと

 わたくし、身の周りの整理が下手なものですから、どうしてもモノが溜まってしまいます。しかも、メディア(録音用のカセット、MDなど)が一箇所に整理できていないものですから、いまも「あ、こんなところに」という事態がしばしば起きてしまいます。

 きょうは我が家の録音用の未使用メディアを整理しました。そうです、使っていないカセットだとかMDだとかがあちこちに埋もれているので、せめてそれらを一所に集めて、使う、使わないにかかわらず「見える化」しようというわけです。あ、ついでにCD-ROMも。

 結論からいうと、未使用のMDが30枚以上、カセットは40本以上、CD-ROMもかなりの数が出てきました。未開封のものだけでこんなに…です。いまさら録音用に使うのはどうだろうかと思案しつつ、丁寧に引き出しの中に分類して片付けました。そんなもの、こまめにやっていれば、今更ドタバタすることもなかったのでしょうけれど 笑 ひょっとして「引き出しの肥やし」になって、ずっと先になって「デッドストック」として値打ちが出る… なんてこともないでしょうね。ただ、カセットテープについては今になって高校生やら一部のミュージシャンの間でリバイバルしているという話もききます。

 もう一つの課題は大量にある「紙媒体の辞書」です。よく「断舎利」などということばをききますが、わたくしは今のところ本を傷つけてデジタル化する気持ちにはなりませんので、それこそ「書棚の飾り」と化したままになっています。多くが昔買ったアラビア語の辞書類で、それなりの努力をして手に入れたものばかりです。

 こんにちわざわざ紙の辞書を開いて単語や文法をチェックするようなことは、自分でもやらないことはわかっています。ウエブ辞書でたいていの場合は事足りるからです。こうなると、書棚のスペースばかりを占拠しているこれらの辞書の扱いについて結論は出ているようなものですが、まだ躊躇している状態です。下の写真はほんの一部です…

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 みなさんの家にも、もう何年も何十年も開いたことすらない本があるのではないかと思います。廃棄すべきか、それとも持ち続けるべきか…迷うことはありますか。

 と、ここまで書いてきて、我が家の書棚で一番スペースを占拠しているのは、World Radio & TV Handbookだということに気づきました。1970年版から2018年版まで、相当な量です。いままでラジオ関係の本を処分したことはありましたが、WRTHだけは手放す気になりませんね。

9月15日(土曜日) グリーンブック(緑の書)  

 我が家の書棚には「グリーンブック」(緑の書)という本のアラビア語版と英語版があります。

 海外放送に興味を持っている(持っていた)かたがたはご存知だと思いますが、「グリーンブック」は、リビアの元指導者ムアンマル・アル・カッザーフィー(カダフィ)が1975年に出版したもので、①人民の権威 ②社会主義(アラブ社会主義) ③第三の世界論理 という3部から構成されています。カッザーフィーの民主主義思想と哲学が書かれています。カッザーフィー政権は、この「グリーンブック」を国(ジャマーヒリーヤ)の規範と位置づけていました。まぁ、古くは「毛沢東語録」、最近ではトルクメニスタンの独裁者ニャーゾフ前大統領による「ルーフナーマ」などと似ているともいえます。

 カッザーフィー時代のリビアの国際放送Voice of the Arab World (صوت الوطن العربي الكبير)、Voice of Africa、国内向けラジオ、テレビ各ネットワークではニュースの前に必ずこの「グリーンブック」の一節が朗読されていました。70年代のカッザーフィーは晩年ほどはおかしくなっておらず(といっても変人だったことには変わりないでしょうけれど)、「グリーンブック」に書かれている思想は、断片的に切り取って読んでみるとそれなりに理にかなっているところもあります。ただ、それを国家の体制にあてはめる、というかその思想で国家を建設しようということになると、話は別です。かつてのリビアがカッザーフィーの描いた理想の国家ではなかったことは皆が知っているとおりです。

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 カッザーフィー時代のリビア国営放送は、実は結構サービスのよい放送局で、メールで受信報告や手紙を送ると数時間後には返信が来ました。絵葉書や受信報告用紙、そして時にはこの「グリーンブック」が送られてきたりしました。上の写真で紹介しているのはグリーンブックのアラビア語版と英語版ですが、確かアラビア語版は放送局からもらったと記憶しています。

 いまとなっては単なる歴史のひとコマに過ぎず、書籍としての値打ちもないに等しい「グリーンブック」ですが、かつては世界第三の論理などといってもてはやされて、スポットが当たったこともありました。一つの時代を彩った書籍として大事に保存しておくことにします…

9月14日(金曜日) アラブ世界を代表する歌姫 ファイルーズ(Fairuz)を知ってますか?

 ふと思いついたことなのですが、そういえばこのHPでアラブ歌謡について書いたことって殆どなかったような… そこで、きょうはわたくしが大好きなアラブ歌謡のレジェンド、ファイルーズ(女性歌手)について少しだけ書いてみようと思います。

 アラブ世界の音楽事情は、その国の多さ故に一口に「アラブ」というカテゴリーで括れないほど多彩です。とくに21世紀に入るとメディアの多様化が爆発的に進んだことから、欧米の音楽との融合が加速し、ジャンル分けができないほど細分化してきています。

 とはいえ、アラブ世界には1950年代に源を発する「正統的」な歌謡のジャンルがあって、それは健在です。わたくしは、正統派歌謡(Pops)、「アラブ歌謡」と呼んでいます。「アラブ歌謡」の源流はエジプト、レバノンの二つに分かれます。20世紀半ばのアラブ文化の中心がカイロとベイルートにあったからです。

 エジプトからは、ムハンマド・アブドゥルワッハーブ、ウンム・クルスーム、アブドゥルハリーム・ハーフィズなどの超大御所が輩出され、いまも愛され続けています。アブドゥルワッハーブの楽曲は、アラブ世界各国のラジオやテレビ放送のテーマ音楽として使われています。エジプト国営ラジオやテレビのニュースのテーマ音楽イラク(かつての第2放送 2'30"あたりから)シリア、イエメンのラジオのニュースのテーマ音楽もアブドゥルワッハーブの作品です。エジプトの歌手たち、特にアブドゥルワッハーブは音楽面で「アラブ世界の団結」の象徴のような人物でもありました。いまの若い世代は興味を示さないかもしれませんが。

 一方のレバノンからはわたくしが愛して止まないファイルーズ(Fairuz)、マージダ・エル・ルーミーなど人気歌手が輩出されてきました。

 エジプトのアブドゥルワッハーブが「アラブ世界団結の象徴」だとすれば、ウンム・クルスームは「アラブ世界の淡谷のり子」でしょうか。そしてレバノンのファイルーズは「アラブ世界の美空ひばり」とでも評することができるかと思います。

 ファイルーズのデビューは1950年。1951年の初めてのアルバム発売を皮切りに、全アラブ的な人気が広がり、押しも押されもせぬ大歌手としてその地位を築きます。人気・実力ともに全盛期にあった70年代から80年代にかけては、レバノンだけでなく全アラブ諸国、イギリス、フランス、アメリカなど海外での公演も行っていました。発売されたアルバムの数は正確な数がわかりませんが、少なくとも我が家にCDが20種類以上あることから考えると、50枚はくだらないかもしれません。

 ファイルーズの魅力はその声。ベルベットのような声だと評されます。そして独特なこぶしをまわす歌唱法でしょうか。西洋音楽を学んだファイルーズは、伝統的なアラブ音楽からジャズまで幅広くこなし、さらに彼女はクリスチャンですので、アラビア語で賛美歌まで歌います。彼女が主演の映画も多数あって、レバノンのラジオ局Voice of Lebanonのニュースのテーマ曲として劇中音楽が使われた例もありました。

 彼女のすごさは、デビューからすでに68年も経っているのに、その楽曲がいまだにさまざまな国のラジオやテレビで放送されていることです。しかも、宗教、人種を超えて愛されています。先ごろのシリアの内戦のさなか、ファイルーズの歌が流れていなかった地域はテロ組織ISに支配されていた地域だけだったといわれます。先日Radio Kuwaitを聴いていたら、ファイルーズの歌が流れていましたし、東京のアラブ料理店に出かけたときもファイルーズの歌がノンストップで聞こえていました。

 申し遅れましたが、たくしがファイルーズの楽曲と出会ったのは、1982年にチュニスに留学したときです。街角のキオスクで初めて買ったファイルーズのカセットテープを聴いて、その魅力に感動したことを思い出します。その時に聴いた楽曲の一つがAl-Boustaです。もともとはレバノンの民謡だった曲で、Al-Boustaとは郵便ポストやバスのことを意味します。歌はバスの車内をユーモラスに描いたもので、日本で「田舎のバスはオンボロぐるま~♪」という歌がありますが、あの曲のレバノンヴァージョンといったところです。もう2曲、ファイルーズの魅力を感じられる楽曲「鳥よ」と、Nassama 'alayna al-Hawaにもリンクを張っておきます。聴いてみてください。

 ファイルーズはことし83歳。もう歌手活動はほとんど行っていないようです。日本公演が実現していればぜったい行ったのに…と思うのですが、もう無理ですかね。ときどきCDを聴いて、ファイルーズが全盛だったよき時代のアラブ世界に思いを馳せています。

9月11日(火曜日) 9.11から17年

 きょうは9.11事件から17年目にあたります。ニューヨークの貿易センタービルが崩壊するなどして多くの人びとが犠牲になった、あの映像はいまも忘れられません。あの日以来、世界は一層不安定な時代に突入します。9.11事件の翌月には米国主体でアフガニスタンのターリバーン勢力への武力攻撃が行われました。

 言い方が不謹慎かもしれませんが、国際放送を聴いている我々にとっては、この一連の流れは実にモニタリングし甲斐がありました。世界で紛争や戦争が起きたときに貴重な情報源となるのはいまもラジオです。アフガニスタンに限らず、リビアやイエメン、シリア、イラクもそうです。あまたある情報の中から、他のメディアが取り上げていないものが、電波の世界には結構あります。それらを自分の知識を駆使して自らのアングルから掘り出し、分析していくのは、DXingの醍醐味であると思います。

 2001年9月11日以降、放送のモニタリングから何が見えたかについては、また機会を見て事象ごとに紹介できればと思います。

 ところで、この9.11事件の2年後、2003年のまさに9月11日、わたくしは知人に会うためにプライベートな旅行でニューヨークのJFKに到着していました。ウソのような本当の話です。その時、わたくし、パスポートコントロールを通過するのを実は少し心配していました。というのは、当時所持していたパスポートに仕事やプライベートで訪れた中東各国のビザがたくさん記録されていたからです。UAE、エジプト、パキスタン×2、アフガニスタン…といった具合です。幸い「別室」には「御案内」されることもなく入国できましたが、少し緊張する場面でした。

9月9日(日曜日) お奨めのラジオ関連(国際放送)本

 私が気に入っているラジオ関係(国際放送関係)の本を紹介します。といっても洋書です。最近は日本国内でこのジャンルの本を見かけることがありませんので、興味のあるタイトルがAmazonでひっかかってくると、中身を斜め読みした上で買い求めることにしてきました。

 一番のお気に入りは、内容が歴史的、技術的に体系だててまとめられている"History of international broadcasting Volume2"(James Wood)という本です。2000年刊と少し古いのが難点ですが。こちらはVolume 1が1992年に先に出ていたのですが、国際放送の世界の変化を加筆して第2版としたものです。斜め読みするだけでも興味深いのですが、ハードカバー本は価格が高めです。ソフトカバー本が出ていてくれればいいのですが。なお、現在Amazonなどでは表紙のデザインが違うものが出ていますが、出版元がIEE(The Institution of Electrical Engineers)であれば同じものです。

History of International Broadcasting

 もう一冊は"Broadcasting on the Short Waves 1945 to Today"(Jerome S.Berg)です。こちらは、もう一冊}"Listening on the Short Waves 1945 to Today"という本と対になって発行されています。前者は放送を送る側の視点に立った歴史を、後者はリスナー側からの歴史を追っています。いずれも興味ある内容です。こちらのほうもハードカバー本はやたらと高価ですが、ソフトカバー版も出ていて、Amazonで4000円ぐらいから手に入るようです。なんでこんなに高価なのでしょうか?買ったときは30ドルしなかった(ハードカバー版です)のですが。
Broadcasting on the Shortwave

 そのほかにももし手に入ったらぜひ目を通しておきたい本が何冊かあります。また機会をみて紹介してみます。

9月8日(土曜日) オークションのベリ・カード

 ヤフオクなど、オークションを眺めていると時々古いベリ・カード類が出品されているのを目にします。先日は1950年代のRadio Japanのカードが18万円(!)で出ていて驚きました。恐らくどこかで遺品整理をしていた業者が法外な値段をつけて出品したのでしょう。入札はさすがにこの値段ではありませんでした。

 この18万円というのはちょっと常識の範囲を逸脱しているように感じますが、もし、誰かが1950年代のRadio Japanのベリ・カードにそれだけの価値を見出せばその価格で取引されることになります。まぁ、我々が大事にしているラジオ関係の書籍やベリ・カードといった品物、そしてラジオ、受信機などは、同じ趣味を持つもの同士でなければその価値がわからないものです。

 オークションに出品されるベリ・カード類にはほぼすべて受信者の名前や受信データが記入されています。そうしたデータが入ったもののほうが価値があるのか、それともデータ等が未記入のほうがよいのかもわかりません。ま、そもそもベリ・カードは自分が受信報告書を送ってそれに対して放送局から送られてくることに意義があるわけですから、オークションに出品したり落札したりすること自体がいかがなものかと考えてしまいます。

 ただ、Radio Japanの1950年代のベリ・カードとなると、それ自体が歴史的な価値を持っていると判断することもできます。現在発行されているベリ・カードとは重みが違うという見方もできます。その意味では、ベリ・カードをオークションに出品した業者は「この品物には何らかの価値がある」ということはわかった上で、18万円の価値があると踏んだわけです。もしそうなら、我々の手許にはかなりの「お宝」が存在することになるのですが…

9月7日(金曜日) 災害時のラジオ

 きのう、6日の午前3時過ぎに発生した北海道南部の大地震では甚大な被害が発生しました。夜が明けるにつれて被害の大きさに驚かされました。北海道全域での停電も大変なことだと思います。被災地のみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

 全道停電という事態は、最近の日本ではなかったことで、テレビはもちろんインターネット、スマホや携帯、IP電話などあらゆるメディアが使えなくなりました。私の同僚で札幌に家族がいる単身赴任の男性が家族に安否確認の電話をしたら「不要不急の電話はするな」と叱られたそうです。停電の中、スマホの充電がままならないそうです。

 そうした中、強みを発揮したのがラジオでした。急遽家の中のトランジスタラジオと乾電池を探した人も少なくなかったようです。ラジオですと、電池の消耗もスマホほど速くはないので、情報過疎に陥りがちな被災地域では重要な情報源になることを改めて認識できました。ラジオの電波は比較的遠くまで届くので、万一被災地域のラジオ送信所がダウンしたとしてもダイヤルを回していると遠方の大電力局が受信できることもあります。

 いま、高校生や大学生の世代よりも若い世代の多くが「ラジオ」そのものを知らないという状況が一方であるので、緊急時のラジオの重要性と、せめて基本的な使い方ぐらいはことあるごとに周知しておく必要があると感じています。

9月2日(日曜日) 国際赤十字放送

 私はもともと受信確認証(ベリ・カード)収集を目的に海外の放送を聞いているわけではありませんが、節目節目で受信報告を送った結果、特定の放送局のベリ・カードの数がやたらと多く手許に残っています。

 中東各国の放送を除くと、オーストリアのORF、リトアニアのRadio Vilnius、東ドイツのRadio Berlin International、チェコスロバキアのRadio Prague、そしてRadio Free Europe/Radio Libertyなどからのカードが目立ちます。といっても何百枚という単位ではなく、せいぜい20枚程度です。これらの放送局は返信の際にちょっとしたメッセージを手紙に書いてくれたり、リスナーズクラブに入っていたり、あるいは技術的なモニタリングを依頼されたりといったことがきっかけで付き合いがありました。

 そんな中、異色ともいえる放送のベリ・カードが10枚以上残っています。スイスのジュネーブから放送をしていた「国際赤十字放送」Red Cross Broadcasting Corporationです。RCBSは70年代の後半当時にはSwiss Radio Internationalの送信機を使用して年に6回アジア向けの放送を実施していました。16時からのSwiss Radio Intl.のアジア向け英語放送が終わった後、18時台に同じ周波数にダイヤルを合わせるとSwiss Radio Intl.のインターバル・シグナルが流れ、独自のテーマ音楽(これが放送回ごとに異なっていた)とともに放送が始まりました。受信状態はその時によってまちまちで、良好に聞けるときにはとてもクリアな音だったのですが、太陽黒点数が最低だった77年の冬はまったくダメだったような記憶があります。

 番組はRed Cross News(国際赤十字の活動報告)や、リポートで構成されていました。それを一生懸命聞き取って受信報告にまとめて局に送ると、RCBS独自のベリ・カードが送られてきました。ICRC(国際赤十字委員会)の活動を紹介する小冊子をもらったこともありました。当時もICRCはアフリカと南西アジアへの支援に積極的に乗り出していて、アフリカの紛争地域や食糧難を抱える地域からのリポートを聞いた覚えがあります。

 年に数回の放送であるということと、国際援助に関する情報が聞けるということで、何度も手紙を送った結果上述の通りカードが手許にたくさん残ったというわけです。70年代当時はインターネットなんか当然ありませんでしたから、この放送の次回の送信予定を把握するためにも定期的に手紙を出すようにしていました。

RCBS1975 QSL

RCBS 2

RCBS 3

 いまRCBSは短波による国際送信は実施していないので、放送を聞く機会はなくなりました。国際赤十字の活動についてはウエブサイトから確認できます。

9月1日(土曜日) Radio Cairoの書き取りニュース

 かつて、短波によるラジオ国際放送が国際情報発信の主力だった頃、世界の放送局のいくつかが「書き取りニュース」(Dictation News)を放送していました。

 「書き取りニュース」の代表的な存在はRadio PakistanのSlow Speed News(英語)でした。日本時間の11時30分から15分間、パラグラフごとにゆっくりとニュースを読み、最後に普通の速度で繰り返すというパターンでした。書き取り、タイプライターの練習などによく利用しました。書き取りニュースと言っていいかどうかはわかりませんが、中ソ対立時代中国の北京放送でも書き取り用にニュースを流していたようですし、冷戦時代東側ブロック向けのアメリカの放送Radio Free Europe/Radio Libertyも、鉄のカーテンの内側にいるリスナーがニュースを書き取って仲間とコピーを共有することが可能なように、パラグラフを繰り返して比較的ゆっくりアナウンスするなどの工夫をしていました。

 実はアラブ世界にもアラビア語の「書き取りニュース」النشرة الإملائيةという放送が存在していました。実施していたのはエジプトのRadio Cairoです。80年代後半まで、日本時間の2000から30分間17800kHzでアフリカ向けに送信が行われました。これはアフリカ各国のアラビア語圏に向けたニュース配信のようなものだったと思われます。90年代後半以降のリビアの台頭までは、エジプトにはアフリカを代表する国という自負があったことも背景だったのではないかと考えます。日本時間の20時から日本でもカイロからの「書き取りニュース」を聞くことができましたが、受信状態はさほどよくありませんでした。

 このニュースもゆっくりと、パラグラフごとに繰り返すスタイルでした。読みはなぜか若手の女性アナウンサーが担当することが殆どで、要するに読み自体はあまり上手ではありませんでしたが、女性の声は雑音の中でも比較的聞き取りやすいので、受信状態さえよければ意外にも了解度は高かったのを思い出します。

 この「書き取りニュース」は90年代に入ってまもなく廃止されてしまったようです。

 ちなみに、英語のタイプ打ちはRadio PakistanのSlow Speed Newsのお世話になりましたが、アラビア語のタイプ打ち(タイプライターがあったのです。英文タイプと同じような見た目です)の練習にはこの放送は使いませんでした。 

8月31日(金曜日) 国際放送の役割と意味について一度考えてみた

 ラジオで短波帯を流し聞きしていると、中国語あるいは中国国際放送がやたらと目立ちます。70年代から80年代にどこにダイヤルを回してもソ連の放送が聞こえていたころとは大きく様変わりしています。

 70~80年代と大きく異なるのは、短波バンドで聞ける放送局数が全体的に減っていることです。短波バンドを商店街に例えると、シャッター街になりつつあるところに開いている店を覗くとどこも中華料理店で、たまにエスニック系の店が営業している…といった感じです。中国を含む一部のプロパガンダ重視国や宗教組織以外でラジオ(短波)国際放送を継続している国は、その数を減らしていて、WRTH(World Radio & TV Handbook)の国際放送のページは年を追うごとに薄くなっています。

 かつては国際放送=短波放送でしたが、いまは国際放送=テレビ・ラジオ・ネットという時代です。時代とともに、情報発信の手段は格段に増え、個人レベルでも国際的な情報発信が可能です。特定の国に興味を持つ人たちは、国際放送をとおしてPassive(受身的に)情報を集めるのではなくて、インターネットやSNSを介してより細分化されてディープな目的情報にActive(能動的に)アクセスしています。そうなると、国や公共機関が行う国際放送が伝えるべきものは、あるいは伝えて役立ててもらえる情報は何なのか、考えてみるととても難しいのです。

 BBCやDW、そして米国など大手国際放送は、そもそもネームバリューで勝負していますし、彼らが流すニュースにも信用があり、顧客のニーズもあるでしょう。そして、これら大手の国際放送には「欧米型の民主主義を届ける」という思想がありますから、送る側の軸足がずれないという大きな特徴があります。英国や米国、ドイツに興味を持つ人たちは、ニッチな情報をネットから、そして国際的なニュースを含め世界のニュースを国際放送のテレビやラジオから得ることができます。しかも、英国や米国についていうと、何も国際放送だけが情報源ではありません。これらの国々の国内向けのラジオ、テレビも海外で視聴できるので、我々が得られる情報の量、質ともに群を抜いています。

 一方、中堅以下の国際放送はそもそも顧客の数で大手にはかないません。視聴者側において、ニュースについては特定の国のできごとによほど関心がない限り、BBCなどを視聴すれば事足ります。旅行や文化に関する情報は能動的にネットで検索したほうが目的に早く到達できます。国や公共機関が行う国際放送テレビやラジオの情報は往々にして「後追い」になりがちだからです。それでも、テレビ国際放送チャンネルの中にはしっかりした取材に基づいたすぐれたドキュメンタリーを放送しているところもあります。しかし、中堅以下のラジオ国際放送となると、正直なところどうでしょう?

 かなり暴論になるかもしれませんが、かつて短波国際放送を大々的に実施し、多くの顧客を得ていたスイスやカナダ、スウェーデンなどの国ぐには、国際放送を手放したことで国際社会での理解を得られなくなったり、訪問者数が減ったりというデメリットを被ったでしょうか。国益にかかる被害を受けたでしょうか。そう考えると、費用対効果をドライに検討して国際放送を廃止する国が出てくることは仕方がないことのように思われます。

 中堅以下の放送局の中には、短波からネット(デジタル)に移行すれば生き残れると考える向きもありますが、電波媒体を手放したとたん、それらは雑多な情報源の一つとして埋没してしまいます。従来の放送のスキームをそのままネットの世界に持ち込んでも、通用するわけがありません。数億単位でサイトがひしめき合っているネットの中で、能動的に自分たちのサイトを選んでもらえるという保証はどこにもありません。ウズベキスタンやモルドバの国際放送はネット移行後にあえなく消滅してしまいました。短波時代に時々ダイヤルを合わせていたウクライナのRadio Kiev(Radio Ukraine Intl.)やアルバニアのRadio Tirana Intl.をネットで聞きますか?と問われたら、おそらく答えはNO!です。ネットでは音声をわざわざ聞かなくとも文字情報を斜め読みすれば事足りるからです。

 あまたあるネット上の情報の多くが信頼に足らないガセ情報や意図的なブラックプロパガンダであることに比べると、国や公共機関が行う国際放送には「電波の出所、実施主体が明らかであるからとりあえず信頼できる」といった特性があるともいえます。しかし、いまはテレビやラジオもカネを出せば誰でも情報発信できる時代です。電波が貴重だった時代ならまだしも、いまはデジタル化のおかげでチャンネルあたりの「有り難味」というか「価値」も大きく様変わりしています。

 長年ラジオ国際放送を聴取してきたファンの一人として、いまの状況を冷静にみて、いろいろなことを考えてしまいました。きょうはとりあえずここまで、言いっぱなしで失礼します…

8月26日(日曜日) とんでもない男

 金曜日から続いている電車ネタ。きょうは朝の通勤時間帯に出没するとんでもない男についてです。

 午前8時少し前に川崎駅を発車する東海道線(上野東京ライン)に乗ってくる太った30代半ばと思われる男。こいつはとんでもないハラスメント男です。

 この男、杖をついていて、おそらく足が若干不自由なようです。身なりはスーツを着ているのでおそらくサラリーマンなのでしょう。東海道線の川崎というと通勤時間帯はとても電車が混雑しています。当然のことながら川崎から乗ってくる客は着席できません。

 この男は、川崎から乗車してくるなりどんなに混雑していても車内の端に設けられたシルバーシートにむかって行きます。そして、若い女性が座っているのを発見すると、どんなに混雑していて、どんなに無理をしてもその女性のところまで近づいて、女性の肩を思い切り叩いて「席を替わってください!!」と大声を出します。大方の女性は恐ろしくなって席を替わります。女性が席を替わってもお礼の言葉は一切言いません。

 問題なのは、シルバーシートに男性しか座っていない場合です。その場合この男はとても丁寧な口調で「すみませんが席を譲っていただけませんでしょうか」と、一番近い場所に座っている若い男性に声をかけ、席を譲られると実に丁寧に礼を言って着席するのです。

 まず、男女でこの男の対応が180度異なることには周囲でその模様を観察していると大いなる違和感を抱いてしまいます。女性の中には体調がすぐれない人も少なくない中、露骨なジェンダー差別としかいいようがありません。若い女性の肩を暴力的に叩いて席を譲らせるという行為も、ハラスメント行為です。恫喝の部類です。

 自分の足が不自由だからといって理由もきかずにシルバーシートに座っている女性だけを狙ってを強制的に立ち退かせるという傍若無人さには首をかしげざるを得ません。

 でも、先日、この男に一矢報いる女性がおりました。その女性、例によって乱暴に肩を叩かれて「席を譲ってください!!!」とやられたのですが、この男を一瞥した上で横に座っていた(その男に近いほうに座っていた)若い男性に「あんたが立てばいいんじゃないですか」と伝えました。若い男性は渋々この男に席を譲りました。この男、その女性に「どこか体でも悪いの?」と尋ねています。女性は「気分がすぐれないのです」と応えておりました。

 誤解を恐れず申し上げますが、妊娠している人、気分がすぐれないひと、そして何よりも外見で障害を持っていることがわからない(ペースメーカーなど)人たちも多くいる中、「自分だけが弱者」ぶったその男の振る舞いには疑問を持ちます。とはいっても、私自身が何か行動を起こすわけにもいきません。ハラスメント事例として鉄道会社の「お客様相談窓口」に情報を提供しておこうかと思っているところです。

8月25日(土曜日) 臭いんですけど!!!

 きょうも渾身の電車ネタです 笑

 電車に乗っていてムカつくことっていっぱいあります。雨の日に傘が他人の足に当たってしみているのに何食わぬ顔をしている人。必要以上に足を広げて座っているバカったれ。大声で話をする若い酔っ払いグループやオバハンの一団。

 でも最近とてもイラっとくる、というかとても迷惑なのがある種の「臭い」です。

 夏になると汗の臭いやらコロンの臭い、それに制汗剤の臭いなどが入り混じります。明らかに不潔そうな男がツ~~ンとくる汗の臭いを漂わせているのに出くわすと、車内の別の場所に移動してしまいます。でもきょう問題にしているのはそんな臭いではなくて、このところ何度も不快な思いをしている周囲の客の「口臭」です。

 酔っ払ってアルコール臭をプンプンさせている客は迷惑千万な存在ですが、そうではなくて、普通の通勤時間帯に電車に乗っていてふと感じる強烈な腐臭がどうしようもなく気になるのです。

 腐臭の原因はおそらく歯磨きをきちんとやっていないこと、歯周病、胃腸が悪いこと、ドライマウス等々さまざまでしょう。誰しも口臭は少なからずあるものだと思うのですが、このところ度を越した病的な腐臭を漂わす人が多いことに驚いています。年齢はあまり関係ありません。加齢臭とは別物かな?性別で言うと男性が圧倒的です。朝夕など時間はあまり関係ありません。ニンニクなどの食べ物が原因の臭いではありません。電車の中でアクビでもされた日には、思わず鼻の前にハンカチを当ててしまうほどです。たまらず「フ~~~」と息を吹き出して悪臭を追い払おうと試みても効果はあまりありません。混んだ電車の中だと、逃げ場がない。明らかにこれは悪臭テロの域に達しています。

 問題は、おそらくこの腐臭・悪臭を本人は気づいていないであろうことです。それが証拠に、身なりだけはけっこうきちんとしている人もいます。高級な腕時計をはめて、スーツ着て、そして腐臭を漂わす… ビジネスマンとしては完全に失格ですし、私ならそんな腐臭を漂わせる相手とはビジネスの打ち合わせができません。本題に集中できなくなるからです。腐臭によってその人の印象は台無しになります。

 悪臭テロ級の腐臭を漂わせている人には誰かが教えてあげるべきなのでしょうけれど、言われたほうはあまりにもショックが大きいかも。ちなみに私は適度に歯磨きとうがいをして、歯間ブラシもかけて、舌苔も定期的に掃除して… と気にはかけるようにしていますが、それでも完全に抑えることはできていないかも。あまり神経質になることはないと思いますが、少なくとも悪臭テロ級の腐臭がするかしないかぐらいは時々自分でチェックして、何か原因があるな治すように努めるのがよろしいかと思います。

8月24日(金曜日) 電車ネタが少なすぎるじゃないか!

 表記タイトルのとおりのお叱りを、古くからこのページを見ていてくださる方からいただきました。電車ネタが最近出ていないのは、店主が転職でもしたからではないのか? という内容です。

 いえいえ、私は転職などしておりません。相変わらず電車で痛勤しておりますのでネタには苦労しないはずなのですが、最近は電車で座ったらすぐに眠ってしまって、気がつくと降りる駅寸前という感じで、ネタ集めとなる「車内観察」が十分できていないのです。

 でも、そのようなお叱りを期待の声と解釈して、車内での人間観察を再開しました。するとどうでしょう?!すぐさま大物が引っかかってきたではありませんか! というわけで、久しぶりの電車ネタをきょうから数本連発させていただきます。

 きょうの主人公は、これまで見た中でもっとも図々しいアホ女と、そのアホ女に果敢にも戦いを挑んだ中年女性の物語です。

 あれは今週の火曜日の朝のことです。いつもよりも少し遅い電車で職場に向かいました。いつものように着席して向かい側の席を見たら、年のころなら30代半ばぐらいの、茶髪で痩せていかにも不健康そうな女が自分の横に紙袋を二つ置いて座っておりました。つまり一人で2人分の席を占拠する状態です。網棚に荷物を上げればなんでもない話なのですが。

 朝のラッシュは峠を越えたとはいえ車内は混み始めていました。他の座席がほぼ埋まって、その女の横のスペースだけが残った状態になりました。多くの人たちはそんな状態の席に座りたがらず、横目で見ながら通り過ぎていきます。発車時間直前になって、ひとりの中年女性が果敢にそのスペースに座ろうとしました。その女性はアホ女に荷物を除けるようにと話しかけます。アホ女は一回はスマホを見たまま無視。しかし中年女性は負けていません。アホ女の顔を覗き込んでもう一度荷物を除けるように求めました。

 アホ女は迷惑そうな表情を浮かべ(どっちが迷惑やねん?!笑)、申し訳程度に紙袋を自分のほうに寄せました。でも人一人が座るスペースが空くまでには到らず… どうなるかと興味津々で見ていると、突然「バリバリ!ガサガサ!」という音がしました。そうです。中年女性は自分の尻を無理やり空いたスペースに押し込み、紙袋を「ケツ圧」で退けたのです。紙袋の中には何が入っていたのかわかりませんが、おせんべいやらクッキーなど「割れ物」だったとしたら、あれは確実に破砕されています。それぐらいしっかりとした「ケツ圧」でした。

 さらに中年女性はアホ女に向かって、もう少し紙袋を除けるように念押しをしたようですが、アホ女も意地があるのでしょう。ケツで荷物をつぶされてもそれ以上譲歩する様子は見せず…

 結局アホ女は20分ほどして途中駅で下車。中年女性もその2駅先で下車。歴史に残る図々しい女と、果敢に駆逐しようとした中年女性とのバトルは中年女性の優勢勝ちという結果を残して収束したのです。

 しかしあのアホ女、史上稀に見る図々しさで驚きました。横に来たのが怖いオッサンだったらどうなっていたか。本当はそうなってその女がぶん殴られでもしたほうがおもしろかったのに。自分では何もできずに傍観していた私があれこれいうのもどうかと思いますが、あまりのマナーの悪さというのは取り締まりの対象にしてもらいたいです。

8月19日(日曜日) ●●か国語 という表現がまだ使われている…

 さまざまな場面で出くわす表現で、私が強烈な違和感をもつのが「●●か国語」というフレーズです。

 国際放送を聞いている方には釈迦に説法ですが、「●●か国語」という表現は、つまり「1言語1国」という矮小なる世界観を反映しているものであり、多くの言語は使用されている国や地域が複数にまたがっていることから適切ではないわけです。

 たとえばアラビア語を公用語としている国は、アラブ連盟加盟22か国ですが、それに加えてアラブ世界の周辺でもかなりの地域で通用しますし、こんにちの世界情勢を見るとオーストラリアやカナダ、アメリカ、イギリスそしてフランスなどのアラブ系コミュニティーもアラビア語圏と考えることができます。

 世の中は2020年の五輪を控えて「国際化」ということばで溢れています。しかし、国際化を云々する前に世界情勢にもう少し目を向けるべきではないかと思うのです。それぞれの言語がどこで使われているのか、おぼろげながらでもいいので、話者人口が多い言語だけでもいいから知っておくことが大肝要です。そうすれば冒頭の「●●か国語」などという噴飯ものの表現は出てこないはずです。

 ちなみに、私が大嫌いな表現がもう一つあります。最近やたらと流行り始めた「インバウンド」という言葉です。「来日外国人」のことを指すのですが、それならばそういえばいいのに、この気持ち悪い横文字にはなんでもカネになりそうなものには無節操にたかってくる連中の不純な動機が透けて見えるからイヤなのです。

 「国際化」「インバウンド」などという言葉に中毒を起こしている人びとは、言語の正しさや美しさには目もくれず、結果として活字として見てくれさえよければあたかも正しい表現が使われているかのごとく錯覚してしまいます。ある公的機関がポルトガル語で作成した文書を邦訳すすと「おまえらに●●について教えてやる」という表現だった、という笑えないエピソードもあります。本来なら「みなさまに●●をご紹介します」としたかったはずです。日本に巣食う「ネイティブのナンチャッテ翻訳者」の餌食になる、というか彼らに完全に騙されてしまいます。きわめて由々しき問題です。

 国際化関連の「お経」を唱えたがる人びとは、おそらく会議の場で「え~、きょうのアジェンダは…」などと言っているに違いありません。何が「アジェンダ」ですか?! 会議の「議題」といえばいいじゃないですか 怒

8月18日(土曜日) 40年前のきょうのLOGから

 一体40年前のきょう、何が起きていたのでしょうか… LOGを紐解いてみると1978年の8月18日はつまみ食いの嵐!ゆっくり聞くというのではなく、バンドサーベイのような感じで次々とチェックをしていった感じです。それにしても、メシは食べていたのでしょうか?!

 いつものようにJST/kHz/局名/使用語/SINPOの順で記載します。

0000 17805 Radio Bucharest in English 42432
0030 17870 REE Spain in Spanish 23432
0030 15330 REE Spain in Spanish 33443
0030 15240 Radio Yugoslavia in English 43433
0030 15300 Radio Yugoslavia in English 43443
0035 15038 BSKSA (Voice of Islam) in Arabic 44444
0035 15060 BSKSA (General Prgr.) in Arabic 34443
0035 15084 NIRT Iran in Persian 44443
1425 21500 IBA Israel in French 34343
1430 21575 ORF Vienna in German 34443
1440 21625 IBA Israel in Russian 32422(jammed)
1440 21620 RFI Paris in French 24332
1445 21545 R.Kuwait in English 34443
1545 17805 R.Bucharest in English 32422
1550 21500 ORF Vienna in German 34443
1600 21655 R.Norway in Norwegian 34443
1600 21695 Swiss Radio Intl. in English 34443
1630 21700 R.Prague in English 34433
1630 21735 ORF Vienna in German 34433
1630 21580 RFI Paris in French 34433
1640 21460 RTBF Belgium in French 34433
1700 21465 R.Finland in English 44443
1700 21475 BRT Belgium in Flemish 33433
1730 21630 ORF Vienna in English 34443
1740 21610 ORF Vienna in English 34433
1930 21525 R.Budapest in English 34343
1930 21520 Swiss Radio Intl. Music prgr. 23332
2015 21650 Deutsche Welle in Japanese 44443
2025 21690 R.Sweden in English 44444
2100 17775 Voice of Turkey in English 43433
2100 17685 IBA Israel in English 44443
2100 17565 IBA Israel in English 44444
2130 21635 R.Sweden in English 44444

ご覧の通りハイバンドのオンパレードで、しかもかなり良好です。0035に15084kHzでイランが受信できていますが、このときはまだIRIBではなくてNIRT。つまりイスラム革命前のイランからの放送だったのですね。NIRTとは相性が悪かったようで受信報告を送ったのに返信がもらえませんでした。友人は何度も返事を受け取っていたので、とても羨ましかった覚えがあります。1979年には革命によってNIRTは消滅してしまいましたので、いまや幻の放送局といえます。

 1979年のイスラム革命によってイランは音楽という豊かな文化を失ってしまいました。私が大好きな歌手GOOGOOSHも長い間活動を休止してしまいましたし、イスラム共和体制を嫌って海外に出てしまったアーティストたちもたくさんいました。

 イスラム革命直後のイランといい、ターリバーン体制下のアフガニスタンといい、音楽という民族の誇りを宗教の名によって台無しにするという愚挙に出たことは大変残念です。彼ら(体制)はイスラムの教えを尊重してのことだと主張しましたが、預言者ムハンマドの解釈は違ったようです。

 ある日預言者と従者たちが人々が歌い踊る宴の横を通りました。従者たちは預言者に向かって『あのような歌舞音曲は慎むべきだと彼らに伝えるべきではありませんか』と尋ねました。すると預言者ムハンマドは『人びとが楽しく幸せに過ごすことを妨げるには及ばない。あれがなぜいけないのか』と答えたといいます。

 何かにつけて「あれがダメ、これがダメ」という戒律ずくめというイメージが強いイスラムですが、解釈の中には後の世に為政者や宗教家が己の都合がいいように曲解した「決め事」がかなり含まれていることも否めません。

 ちなみに、イスラムの教義はイスラムが始まった西暦610年ごろの世の中にあっては、たいへん理にかなっていたと考えられます。このことを書き始めると長くなるので、また機会を改めて話してみることにします。

8月17日(金曜日) 久しぶりの更新です

 先週末、更新ができませんでした。失礼しました。実は先週から夏休みをとって9日間の東北の旅を楽しんできました。

 青森⇒酸ヶ湯⇒弘前⇒白神山地⇒弘前⇒十和田湖⇒奥入瀬渓谷⇒十和田市⇒盛岡⇒奥州平泉⇒銀山温泉⇒東根温泉⇒山寺(立石寺)⇒松島⇒塩釜⇒多賀城⇒女川⇒旧大川小学校⇒仙台

 という、ルートで。東京から青森、仙台から東京は新幹線を利用し、途中の旅程はレンタカーを使いました。お盆の帰省ラッシュにも巻き込まれず、また天気にも恵まれて、全長1044キロを無事に運転しました。

 まだまだ知らない場所、魅力的な場所がいっぱいで、普段ならあっという間に一週間が過ぎるのに、旅行の間は実に濃密なときを過ごすことができました。先週の今頃はあそこにいてあんなことを… などと、遠い過去のような感覚に陥るのが不思議です。

 来週からまた通常の仕事に戻ることになります。土日でリハビリ…というところでしょうか。

8月5日(日曜日) ソ連ユダヤ人自治州のFM放送

 1979年の夏のことです、大阪の日本橋の電気街(いまは秋葉原同様キモワル系の聖地と化しているようですが)でナンチャッテワールドバンドラジオを購入しました。

 わかる方にはピンとくるかと思いますが、よく「ラジオの製作」などの広告欄に短波のほかに消防無線やら警察無線のバンドが受信できるなどと謳った大型のラジオの写真が掲載されていました。ちょうどSONYのTFM-2000Fと同じぐらいの大きさで、横長なので形も似ています。ロッドアンテナも左右2本ついていて、まぁ見てくれは高性能のように見える代物です。

 価格は1万円台の半ばぐらいだったでしょうか。私はこのラジオを買うという禁じ手を冒してしまったのです。結局このラジオの性能はひどいもので、当然のことながら短波など実用にならず。せいぜい日本短波放送かモスクワ、北京あたりを聞ける程度。他のバンドも実に緩いつくりでした。

ナンチャッテラジオ広告

 唯一の楽しみは業務無線が聞けることで、確かに消防無線などが受信できました。ですが、混変調、スプリアスがひどいのです。ぜったいに受信できてはいけないFM大阪が消防バンドで聞こえたり… ラジオに手を近づけると周波数がずれるなどという珍現象も起きました 笑

 で、ここまではバッタものラジオを手にした不運を嘆く内容なのですが、実はここからが表題の話。お察しの方もおられると思いますが、この混変調のおかげでEスポ発生の際にはソ連のFMバンドがなぜかFM帯に混入してきたのです。ロシア語の放送で、ソ連の放送となると、当時は邪魔者だったのですが、Eスポ発生時のFMでの受信となると少し違いました。音質がいいのでしばしダイヤルをそのままにして音楽を聴くということもありました。

 日付が残っていないので正確には記述できないのですが、ある日、日本時間の午前7時少し前からいつものようにどこからの放送かわからないソ連のFMを流し聞きしていました。ソ連のFMバンドは低い周波数なので、Eスポが午前6時台から発生していました。時報(が出たかどうかさだかではない)のあとMayakのIDか何かが出ると思ったら聞こえたIDが"Govorit Birobizhan"というもの。地名を聞くのは初めてで、急いで地図を見てみたら、ビロビジャンは、ロシア極東にある町だとわかりました。

Birobidzan.jpg

 我が家にはラジオを聞くために「世界地名辞典」という本を当時備えていて、早速「ビロビジャン」を調べてみました。わかったことは、なんと「ユダヤ自治州の州都」だということ。 人口がおよそ8万人とか。ソ連のユダヤ人自治州ときくと、俄然興味が涌きました。

 ちなみに、この話を思い出したきっかけは、先日中東の衛星チャンネルAl-Arabiyah العربية を視ていたときに「スターリンのユダヤ人政策」という企画が放送されていたからです。もちろんアラビア語の番組でしたが、ユダヤ自治州の成り立ちや、スターリン体制下にあっても自治州内だけはユダヤ教の儀式が許されていた、など、興味深い内容でした。

 ビロビジャンのローカルFM放送が聞こえたことはその後もありません。うまい時間にEスポが出て、しかもビロビジャン方面が開けているときに聞くことができなかったということなのですが。

 WRTHの1980年版にはビロビジャンは長波272kHz30kW、ローカル番組は(ニュース)UTC0630、0900、2145(月~金)、0400-0600、2155(土曜日)、0215-0400、2155(日曜日)という記載がありました。おそらく日曜の朝6時55分のIDを聞いたんだと思います。ロシア語のIDが出ていましたが、ローカル番組の中ではユダヤ語(Yiddish)も使われていたはずです。でもFMの周波数はいまもって不明なままです。

 確かその時一瞬出たIDをテープに記録してあるはずです。どのカセットテープかは覚えています。例の日本橋のナンチャッテラジオを買った店で買ったナンチャッテカセットテープ(当時はいろいろバッタもののカセットが売られていました)のうちの一本です 笑

8月4日(土曜日) 花火大会ピーク

 きょうは近隣の二つの町で花火大会が開催されました。自分が住んでいる町の西隣と東隣での競演。楽しい時間を過ごすことができました。

 西隣の町の花火大会は先週の台風の影響で延期されてきょうになったもの。普段は私の住む町で開催される盆踊り大会とバッティングするのですが、ことしはうまく日程がばらけました。

 東隣の町の花火大会は規模が大きく1時間ほどさまざまな花火が打ちあがりました。一方西隣の町の花火大会は毎年小規模で催され、ほぼ20分で終了してしまいます。ただ、西隣の町のほうが近いので花火の美しさとスケール感はこちらのほうが断然大きいです。

 大接近している火星が南の空に見える中、花火を観るぜいたく(?!) とりわけことしはめっちゃ暑いですが、やなり夏の風物を観るのはいいものです。

8月3日(金曜日) やっぱりダメでした

 仕事が終わった後、久しぶりにトルコ料理を食べに出かけました。東京にはトルコ料理レストランが多く、屋台風のドネルケバーブを提供している店も含めると相当な数になると思います。

 きょう出かけたのは、以前何度かいったことがある渋谷の店です。数年前に訪れたときには味がイマイチ(落ちていた)だったので残念に思った店です。経営が変わったらしいので、その後どうなったか興味もあったので立ち寄ってみました。

 結論からいうと、残念な状況は変わっていませんでした。全体的に味が甘めで、トルコ料理のキレが感じられず。値段の割に供される料理の量も少なめ。コスパがよくない。私、こういうのが一番嫌いです。場所が渋谷だからといって値段を高めに設定していいわけがないのです。

 あれこれ飲み食いして、店のサービスは悪くなかったのですが、やはり料理が命ですから、それが気に入らなかったらリピートはできないです。エスニック系のレストランは東京に限らず各地にオープンしていますから食べに立ち寄る機会は皆さんも多いことと思いますが、ナンチャッテエスニックは言うに及ばず、ネイティブが経営している店ですら質に大きな開きがあります。ネットのサイトにはレストランの「口コミ」欄がありますが、エスニック系レストランについては正直なところあまりあてになりません。

 親しい知人を自信を持って連れて行ける場所は数か所ありますが、それ以外は結構冒険になってしまいます。「やめたほうがいいアラブ・中東系レストラン」というようなリストが作れそうですが、営業妨害になるのでやめておきます 笑

8月2日(木曜日) 湾岸危機から28年…

 1990年8月2日、ちょうど28年前のきょう、日本時間の午前11時頃、イラク軍によるクウェート侵攻が始まったというニュースを世界のメディアが伝えました。イラク軍の侵攻は、日本時間の午前10時過ぎにはすでに始まっていました。現地ではまだ夜明けの時間です。イラク軍は、クウェートの北部から侵攻を開始し、数時間後には首都クウェート市を制圧、さらにサウジアラビアとの国境へ兵を進めました。その当時の記録をごくかいつまんで紹介します。

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 あの日のことは今も鮮明に覚えています。私は日本時間の午後2時過ぎ、現地時間では午前8時過ぎからRadio Kuwaitの短波周波数のモニタリングを行いました。その時点で、すでにイラク軍は首都クウェート市のかなりの部分を制圧していうとの情報がニュースで伝えられていました。しかし、クウェート市のサファット地区にあるラジオ・テレビ局については、現地時間の午前10時頃まではイラク軍の手が伸びていなかったといいます(サウジアラビアのクウェート亡命政府情報省(サウジアラビアにあるラジオ・クウェート)関係者と電話で話をしたときに得られた証言)。

 東京では、正統政府側のRadio Kuwaitの電波はイラクからのジャミングのために日本時間の2日午後10時過ぎまで受信状態がきわめて悪く、内容が確認できませんでした。しかし、海外からの情報を総合すると音楽と呼び掛けを盛んに行っていたとのことです。

正統政府側のRadio Kuwaitは、日本時間の8月3日午前1時過ぎ頃から良好に受信できました。ジャミングがあるものの、11990、 13610、 13620、 15495、 15505 kHz では日本時間の午前8時過ぎまでクウェートの愛国歌と様々な呼び掛けが放送されました。そのうち日本時間午前2時にはクウェート皇太子の肉声で、国民にたいして徹底抗戦を呼び掛ける声明が出されたほか、親イラク派の放送を信じないようにとの注意喚起もなされました。皇太子のメッセージはその後も繰り返して放送されていました。

 日本時間午前6時過ぎにはニュースも放送され、世界各国がイラクを非難していると伝えました。このニュースは、ラジオ・クウェートの看板ニュース番組「夕刊」のキャスターをつとめる女性が担当していました。ただ、そのニュースのあとは愛国歌がノンストップで流れる内容に変化していきました。

 この最後のニュース、そしてその後の愛国歌は、ダスマン宮殿(王宮)の中に設けられた古いスタジオ(かつて国営ラジオが使っていた設備が残っていたとのことです)から送出されていました。すべての放送局職員はその後クウェート市から離れ、放送は自動送出に切り替えられていました。つまり無人のスタジオから正統政府側の放送が流れ続けていたのです。Radio Kuwaitの職員で当時を知る人は、幸い職員全員が無事にサウジアラビアのダンマンに避難することができたと語りました。

 自動送信に切り替わった放送が流れる中、暫くの間は送信施設(短波)へもイラク軍の手は及んでいませんでした。サファット地区のRadio Kuwait(情報省)にはイラク軍の手が及んでいたのですが、自動送出されている放送が王宮内のスタジオから出ていることをイラク軍が発見するまでには多少の時間がかかりました。放送はその間も続きました。

 結局Radio Kuwaitの世界向け短波送信は、イラク軍の侵攻からおよそ22時間後の8月3日、日本時間午後8時11分に突然停波するまで放送を流し続けました。送信所にイラク軍が到着し、電源を落とした瞬間でした。後の情報では短波放送が停波した後も、中波放送のほうは翌4日まで続けられたといいます。

 イラク軍はRadio Kuwaitの短波送信所を破壊することはしませんでした。8月27日にはクウェートの短波送信所からRadio Baghdadの放送の送出が始まりました。クウェート経由のRadio Baghdadの送信は湾岸危機~湾岸戦争(91年1月17日)、そして終戦(3月27日)の少し前まで続きました。結局、湾岸戦争さなかの空爆とイラク軍が撤退する際の破壊活動により、Radio Kuwaitの局舎や送信所は破壊されてしまい、Radio Kuwaitの短波送信はその後数年にわたって停止することになりました。

 のちにRadio Kuwaitの局員と話をした際、1990年8月2日の経験があるからRadio Kuwaitは短波放送を継続するのだという意味の言葉をききました。いざというときに世界中にSOS、抵抗の声を発信する術を持つことの重要性にかんする意識が、現在のRadio Kuwaitのメディア選択に影響を与えていることは確かだといえるでしょう。

7月29日(日曜日) 台風が過ぎて また暑さが…

 台風は無事に通過しました。風雨が一時的にすごかったのですが、当地では被害はありませんでした。近隣の地域では被害が出たところもあったようですし、西日本も引き続き心配です。ご注意を!

 さて、話は変わって、このところラジオに関係のない話をしていたので、きょうはまた昔のLOGを紐解いてみます。きょうは1982年のきょうのLOGからです。82年というと、私が9月から海外に留学する直前でして、ことしほどではないにせよかなり暑かった記憶があります。そんな中、82年のきょうは中東局のオンパレード、「爆聴き」といった状態だったようです… JST/周波数/局名/使用言語/受信状態 の順でリストしています:

0000 11854.7 Radio Omdurman(Sudan) in Arabic 33443
0000 15110 Radio Kuwait in Arabic 44444
0005 15105 IBA Programme B in Hebrew 33443
0005 15084 VOIRI in Persian 34443
0005 15449 BSKSA in Arabic 34443 (15450にリビアが出ていて、それを妨害するためとみられる)
0010 6289.5 V.O.the Masses(Iraq) in Arabic 34433
0015 15305 Afghanistan Mujahidin Radio in Pashto 43443
0035 17910 QBS(Qatar) in Arabic 35443
0140 4853 Radio San'a in Arabic 34343
0140 7265 Radio San'a in Arabic 44443
1315 15555 Radio Vatan in Persian 44443
1320 15315 VOIRI in Arabic 33343
1325 15084 VOIRI in Persian 24332(なんと!日本の「軍艦行進曲」を流していた!)
1330 17830 RCTV Dubai in Arabic 44444
1340 15495 Holy Qur'an from Kuwait in Arabic 34443
1400 15505 QBS(Qatar) in Arabic 32442(QRM from Moscow on co-ch)
2100 17930 LJBC(Libya) in Arabic 44443
2120 17929 BSKSA in Arabic 23432(17930のリビアを妨害するために出てきたもの)
2125 17920 Radio Cairo in English 44443

といった調子で、ザッピングしながら受信状態などをチェックしていました。中東各国の短波放送はこの頃から80年代末ごろまでにかけてが最も局数が多く、聴き応えのある時代でした。

 このLOGによると、この日を境にだんだんリスニングの頻度が落ちていき、9月上旬から翌年の夏までは空白(チュニスでのLOGに引き継がれている)、そして1983年の8月14日から記述が再開しています。

7月28日(土曜日) 台風接近中

 強い台風が接近しています。朝は晴れていたのに、午後2時ごろから強い風雨に見舞われています。今回の台風はこれまでの常識を覆すようなルートで、つまり日本列島を東から西へ横断しそうです。

 台風の接近により、地元で開催が予定されていた花火大会は明日に延期。東京隅田川の花火大会も明日に延期されています。たしか家の近所の公園で催される予定の盆踊り大会もきょうは当然ながら中止になっています。

 ことしは梅雨明けがとても早かったので雨が少なく、野菜の値上がりも激しくなってきていますので、ここで恵みの雨となってほしいところですが、台風となるとまた「やりすぎ」にならないかが心配です。家の近所の畑で収穫を待つばかりになっているトウモロコシもこの風で倒れそうです。

 それよりも何よりも、もっとも心配なのは先ごろの豪雨災害でたいへんな思いをされている岡山、広島など西日本の方々。せっかく復旧に向けて努力をしている中で、台風がこのままだと直撃する恐れも出てきています。さらなる被害が出ないことを祈るばかりです。

追記>>>
 18時20分現在、台風の雨雲は関東地方から早くも遠ざかりつつあります。雨が止みました。風もおさまりつつあります。天気予報が伝えるとおり、暴風域が小さい台風なので、急に風と雨が強まり、台風が過ぎると急に風雨が弱まります。とはいえ油断は禁物。くれぐれもご注意を!

7月27日(金曜日) 何か違和感

 知人が勤める会社に「2020東京五輪に協力するためのボランティアを出して欲しい」との要請があったらしいです。要請してきたのは五輪委員会とか。協賛企業にそのようなリクエストが飛んでいるらしいのです。知人の会社ではいまのところ協力を申し出る人は少ないようですが、いざとなると指名制になるのだろうと話してくれました。

 協賛企業だからボランティア要請が来るのは当たり前なのでしょうけれど、五輪メダルを作るので古い携帯などを供出せよ、だの、ボランティアを出せだのといわれても、もともと五輪などというものに興味がない身としては、おおよそ自分に縁がある話だとは思えないというのが正直なところです。五輪期間中の出勤時間やら何やらについてお上がどうのこうの口を出してくることにも違和感があります。好きにさせてくれって。「カネ目のものを供出せよ」「勤労奉仕を出せ」という、戦中のようなイメージを想像してしまうのは私がヒネクレているからなのでしょうか 笑

 先ごろのワールドカップについても言えることですが、日本人全員が五輪やワールドカップに興味を持っているわけでもないし、応援しなければならないという理由はないのですが、どうもテレビなどを視ていると「ワールドカップ日本戦を視ていなかった人にインタビュー」など、興味がない人間がまるで異端であるかの如き扱いであることに、不快感を抱いてしまいます。

 この国の文化は「思いやり」という名の忖度文化で、他人と異なる思想や振る舞いに対する許容度が極端に低いと感じます。「所詮スポーツの世界だから」などと言っていると、知らぬ間に何かにつけて他人と歩調を合わせることを強要され、それを無視すると「非国民だ」などと言われかねない状況の萌芽はあちこちに見え隠れしています。「お・も・て・な・し」の言葉で無理やり招致した2020年五輪への無条件での協力強要に対しては「お・こ・と・わ・り」と申し上げたいところです。

7月26日(木曜日) シリア料理?

 かつての職場の先輩が久しぶりに東京に来るというので仲間で集まって食事に出かけました。いつも行く寿司屋が木曜定休なので、行き先を思案していたら「広尾のシリア料理店」に行ってみようという話になりました。

 地下鉄日比谷線の広尾駅から程近いところにあるレストランは、ビルの地下にあって、その前を何度か通って店のことは認識していたものの、入ったことはありませんでした。

 初めての店内は広くてゆったりとしていました。照明も程よく、雰囲気も良好。ウエイターは2人。一人はレバノン人の兄ちゃん、もうひとりはインド・西ベンガル出身の兄ちゃんで、いずれも日本語は初歩レベル。礼儀正しいところは及第点かな。ただ、メニューを見ると意外にバラエティーに乏しい。しかも値段がかなり高め。これで量がきちんと出てくれば文句はないのですが… そう思いながら前菜とケバーブ、オクラのシチューなどを注文しました。

 出てきた料理の量はやはり少なめ。ちょっとガッカリです。肝心の味のほうはというと、まぁ可もなく不可もなくというところで、特にケバーブの味がよかったほかは、コストパフォーマンスが今一歩だという印象でした。食後のミントティーとアラビアンコーヒーについても「まぁそんなものかなぁ」という感じでした。あとで訊いてみたら調理人は2人で、2人ともインド人だということがわかりました。外国の日本料理店の多くが韓国系や中国系によって経営されているのと似ています。

 エスニック系のレストランの入れ替わり、淘汰が激しい状況の中で、きょう出かけたシリア料理店は開店から数年経っているので、息が長いほうです。ただ、アラブ系の料理についていうと、東京には数店舗あるものの、満足できるレストランはまだ一ヵ所だけです。きょう出かけた店も、もう一度行きたいかと問われると即座にYESとはいえないところです。近いうちに、どこか新規開拓に行かなければ…

7月22日(日曜日) なぜきちんと録音を残さなかったんだろう?

 古い録音についての話です。これまでも何度か書いたような気がしますが、カセットテープを整理していると「確かに録音を残したはずなのに…」ということがしばしば起きます。おそらくその記憶は正しいのでしょう。しかし、多くの場合その録音は発見できずに終わります。おそらく何度か引越ししているうちにテープが失われたか、あるいは録音は残したもののその後上から新たな音声を録音してしまったなどのケースが想定されます。

 一方、過去LOGを眺めていると「こんなに良好に受信できていたのになぜきちんと録音を残していないんだろう?」と残念に思うケースも少なくありません。アラブ世界からの放送の録音では、たとえば南イエメンのDYBS。一時11770kHzがあれほどまでに強力に受信できていたにもかかわらず、長時間にわたる録音が残っていません。TunisやCairoにいたときにいつでも強力な電波が受信できていたのに記録がないRadio Tiranaの英語放送や中国語放送もそうです。80年代の半ばごろまでは冷戦構造があれほどまでにあっけなく崩壊するとは思っておらず「そのうちに」という考え方が災いしました。

 録音が残っているはず「だった」のに、そしてそのときにどこのメーカーの何分用のテープだったかまで記憶があるのに、探しても出てこない録音もあります。かの「オウム真理教放送」の録音です。日本語放送がロシアから放送されていて、確か上九一色村に警察が踏み込んでいる様子を生で伝えていたと記憶しています。テロ組織のラジオ放送で、一種「ゲテモノ」の部類に入る放送だったにせよ、今となってみれば歴史を伝えるひとコマとして貴重な資料となったはずなのですが、残念ながら今尚その行方がわかりません。

 ラジオの録音にせよ、何にせよ、過ぎてしまってから後悔しても「その瞬間」は戻ってきません。時機を逸することなくものごとを捉えることの重要性は頭では理解していても実行することは意外に難しいものです。

7月21日(土曜日) 古い鉄道地図

 夏休みを前に旅行計画を立てている方も多いと思います。私も8月中旬に休みを取ってどこかに出かけようかと思っていますが、国内はいずこも混雑、海外はハイシーズンのために航空券がとても高いので、思案中です。

 旅の計画を立てるときに参考になるのは、こんにちではインターネットと相場が決まっていますが、かつては時刻表や鉄道の路線図などが役立ちました。我が家の本棚には古い地図がいくつかあって、その中に1972年発行の全国鉄道地図なるものがあります。外装は陽に焼けて酸化してしまっていますが、中身はまだ読めます。

 1972年というとBCLブーム直前というタイミングでしたが、地図を見ていると鉄道路線が今とはかなり違っている、つまり未整備であったことに驚きます。関東地方のページをスキャンしてみました。ファイル容量の関係で解像度を落としていますので見づらいかもしれません。ご容赦を。
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 1972年の時点で、東京都内の地下鉄は驚くほど路線が少ない。千代田線は代々木上原に接続できていないし、半蔵門線なんて影も形もありません。当時の国鉄横須賀線は東海道線と同じルートを通っていて、武蔵小杉なんて田舎駅にすぎませんでした。国鉄相模線は寒川から枝線がまだ走っていました。小田急線は新百合ヶ丘がまだ原野真っ只中で駅ができておらず、京王相模原線はよみうりランドまでしか来ていません。

 あれこれ眺めていると時代を感じます。飽きません。でも私たちが子どもだった頃、当然のことながら、社会インフラはこんにちのように整備されていたわけではなく、こんな不便な状態だったんだと改めて認識させられます。

7月20日(金曜日) 夏はやはりスイカジュースでしょう

 仕事終わりに職場の友人とともにタイ料理を食べに出かけました。私、時々無性にタイ料理やらギリシャ料理などを食べたいという衝動に駆られるのですが、そんな当日に行きたくなっても付き合ってくれる人はそう簡単には見つからず… でも、きょうはラッキーなことにOKしてくれる友人がいました。

 東京にはタイ料理店がたくさんあるのですが、何度も行きたくなる店はそれほど多くはありません。きょう出かけたところはそんな数少ない店の一つでして、もう何度も通っています。この店の夏の定番は「スイカジュース」です。スパイシーはタイ料理によくあいます。コレを飲むと「夏だなぁ」と感じるのです。

 このタイ料理店は青山の表参道交差点を明治神宮方面に歩いた左側の路地を入ったところにあります。値段は若干高めですが、味がよいのです。外国人客にも人気で混雑しているときには相席となりますが、それでもあまり長く待ったことがありません。程よい混み方です。

 酷暑の日本列島。関東地方も暑い毎日です。そんな中、こんどはオリーブオイルとバジル、オレガノが効いたギリシャ料理を食べに行きたいところです。

7月16日(月曜日) LとRの間違い

 古いLOGブックを眺めていると、赤面するような稚拙な間違いが散見されます。とくに恥じ入るのは英語表記のLとRの間違いです。1976年のきょうのLOGにはBSKSA Saudi Alabiaとの表記が… 中学校のガキンチョだから仕方がないのかどうか… いま、いろいろなホームページやらブログやら、はたまた街角の看板やらでLとRの表記を間違えているのを見るとついつい指摘したくなるのに、自らもかつては似たような誤りをしていたのです。

 で、1976年のきょうのLOGを紐解いてみると、それなりに受信成果が挙がっていたようです。いつものようにJST/周波数/局名/言語/SINPOの順で記載しています:

0030 11880 TRT Ankara in Serbo-Croat 24332
0200 15175 R.Norway in Norwegian 33433
0200 15110 R.Finland in Finnish 34443
0205 9555 R.Kuwait in Arabic 33433
0230 11940 RTB Belgium in French 24432
0300 9795 R.Minsk in Byelorussian 34443
0315 15170 R.Free Europe in Hungarian 24442
0700 9710 RAI in English 44433
1525 9690 RAE in English 24332
1530 9525 R.Havana Cuba in English 34333
1900 9570 R.Canada Intl. in English 13331 (IS only)

 英語局以外にフィンランド語やらハンガリー語やら、結構いろいろな言語の放送を受信(ザッピング)していました。ここにはリストされていませんが、この頃Radio Portugalの欧州向け英語放送が午前5時30分から9740kHzで受信できていましたので、意外にも早起きして時々受信報告を送っていました。ポルトガルは欧州局の中でもかなり地味な存在でしたので、その辺りが興味の対象となったのだと思います。

7月15日(日曜日) 1950年のきょう

 過去7月15日にどのような出来事があったかを調べてみたら、1950年のきょう「リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (LTSR) 最高会議幹部会がLTSRの新国歌を制定し、クディルカ作詞・作曲の旧国歌を禁止」という記述が出てきました。リトアニアという名前を聞くと私思わずリアクションを起こしてしまいます。

 以前にもこのブログで書いたことがあったかと思いますが、15の共和国で構成されていたソビエト連邦は五輪などのイベントではソ連国歌(いまのロシア国歌と同じ曲です)を演奏していましたが、それとは別に14の共和国それぞれに国歌がありました。BCLファン、特にソ連圏のファンのみなさんの間ではそれは常識だったのだろうと思いますし、実際にソ連各地のラジオ局も各共和国の国歌を流していたので耳にしたことがあるメロディーも少なくないのではないかと思います。

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ロシアのMelodia版CD(ソ連共和国国歌集)のジャケット

 1950年制定のリトアニアSSR国歌は、ソ連時代のRadio Vilnius(リトアニアSSRの国際放送)のインターバル・シグナルとしてそのフレーズが使われていました。サビの部分がホルンで演奏されていました。当HPのインターバルシグナル・アーカイブにも収めてありますので、機会があればお聞きください。ソ連各共和国が実施していた国際放送のインターバルシグナルの中でも私が個人的に最も気に入っていたものの一つでした。

 リトアニアがソ連から一方的に独立を宣言した1990年3月以降、Radio Vilniusのインターバルシグナルは愛国歌Lietuva Brangiの冒頭のフレーズをカンクレス(リトアニアの弦楽器)で演奏したヴァージョンに変わりました。しかし、このインターバルシグナルは1991年1月の「血の日曜日事件」でソ連軍の空てい部隊がRadio Vilniusの建物に突入したため使えなくなり、その後も復活することはありませんでした。

 もう昔の話になってしまいましたけど、思わず書いてしまった… 笑

7月14日(土曜日) 世間は狭いものでして

 夕方、突然職場の知人から電話がかかってきました。だいたい土曜日のこんな時間に電話が入るのは仕事上のトラブルが発生した場合と相場が決まっているものですから、身構えて電話に出てみたところ…

 「あ、いま飲んでるんですけど、ぜひお話したいという方が横におられまして」とのこと。一体誰が?と不思議に思っていると、電話の向こうで選手交代。出てきたのは10年以上前に職場でアルバイトしていた女性でした。

 話をきいてみると、電話をかけてきた知人と元アルバイトの女性とは当然のことながら面識がなかったのですが、東京の飲み屋で偶然話をしたことがきっかけで、実は私が共通の知人であることが発覚し、盛り上がって電話をしてきたというのです。

 あの東京砂漠の中で本来ならばまったく接点がないはずの人と人が、しかも言葉を交わさなければ完全にすれ違うだけの相手が、ふとしたきっかけで知り合いになって、しかも共通の知人が私だったとは… まったく世間は狭いものだと驚くばかりでした。

 ともあれ、土曜日夕方の電話がトラブルがらみでなかったことに一安心。しかしそれにしても、なんで30代半ばの女性が飲み屋で私の知人と意気投合してしまったのかも不可解です。火曜日に職場で知人とは会いますのでそのときの様子をもう少し聞いてみようかと思います…

7月13日(金曜日) あすから三連休です

 例年ですとこの季節、まだ梅雨が続いているのですが、ことしはとっくに梅雨明けしているので日没時刻が遅いことが実感できます。きょうは午後7時20分に退社したのですが、北西の空が茜色に染まって実に美しい光景でした。当然まだ明るいのです。とはいえ先月21日を境に昼の時間が徐々に短くなってきているわけですが。

 明日から月曜日まで3日休みが続きます。このところメッチャ暑いので自宅にいるよりも冷房が効いた職場に居るほうが体力を消耗しないで済むというものですが、ここはひとつのんびり過ごそうと思っています。

 ところでみなさんは夏休みのプランは立てられましたか? 私は毎年仕事の予定(夏の期間会議が休止となる時期)がはっきりするのが遅いのでいつも出遅れです。これからだと航空券も宿もなかなか見つけづらいと思われ、出かける目的地も限られてきます。去年は金沢から能登半島、飛騨高山方面をぐるっと回る旅を楽しみましたが、ことしは東北地方を考えています。いっそ海外へ、とも思ったのですが、自分が行きたい場所への航空券はこの季節べらぼうに高いものですから、クルマを駆使して出かけられる国内にすることにしました。これからルートと宿を決めていきます。

7月8日(日曜日) リビアの衛星チャンネル復活

 リビア国営テレビ Libya al-Wataniyah がアジアサット衛星経由の送信を再開しています。先ほど日本時間の午前0時半ごろから暫くの間視聴してみました。

 実はリビアを含むアラブ諸国の衛星チャンネルがきのう(7日)の夜の時点で何も見えない状況になっていました。画面がどのチャンネルも真っ黒… てっきり周波数が変更されたのだろうと思っていたのですが、日付が変わることになって全チャンネルが復旧しました。ついでに、これまで長い間真っ黒な画面だけしか出ていなかったリビアの衛星チャンネルが復活していることを確認しました。画面の右上にليبيا الوطنية (Libya al-Wataniyah)と文字が出たり、青色のロゴが出ていたりしています。

Libya TV 2

 ちょうど現地では午後5時半ごろということで、子ども向けのアニメが放送されていました。しかも日本製の「鉄人28号」です。このマンガは日本では80年代に放送されたものですが、それにアラビア語の吹き替えを載せて放送しているものです。アラブ世界では日本製のアニメが多数放送されていますが、リビアでも日本のアニメが子どもたちに人気があるのでしょうか。ちなみに、この番組のオープニングとエンディングのタイトルは日本語のまま出ていて、恐らく子どもたちはな~んにもわからないだろうと思います。きょうの話は「大型戦艦を撃破せよ」とかなんとかいうものでした。

鉄人28号@Libyan TV

 それにしても、戦乱に翻弄されたリビアの子どもたちに向けて、ミサイルや戦闘機がドンパチやるような内容のアニメを放送して本当にいいのだろうか、とふと考えてしまいました。

7月7日(土曜日) 桂枝雀師匠の落語「代書屋」

 今週、桂歌丸師匠が亡くなりました。「笑点」などの番組をとおして親しんできた話芸の顔が消えてしまいました。最近、体調がすぐれず苦しそうな様子だったので心配していましたが、残念なことです。もう少し活躍していただきたかったと思うのは私だけではないと思います。御冥福をお祈りします。

 歌丸師匠の訃報をうけて、もう一度Youtubeで落語を聞いてみることにしました。桂歌丸師匠の落語だけでなく、私がこよなく愛する桂枝雀師匠の名演の数々をじっくりと。

 枝雀師匠は今から19年前の1999年4月19日に亡くなりました。没後20年近く経っているのに、枝雀師匠の話芸のキレのよさはこんにちなおまったく色あせていません。もっとも好きな演目は「代書屋」です。履歴書を書いてもらいにやってきた松本留五郎なる男と代書屋(行政・司法書士)との間に繰り広げられる珍妙なるやりとりは、何度聴いても抱腹絶倒です。

 この「代書屋」は、枝雀師匠のほかに3代目桂春団治師匠や、3代目桂米朝師匠など多くの噺家が演目に取り入れていて、それぞれ個性豊かで味がありました。中でも枝雀師匠の「代書屋」はその場の風景がビビッドに感じられる秀逸の出来です。

 さらに枝雀師匠の「代書屋」にはいくつかのヴァージョンがあり、演じるときと場所によって「マクラ」の部分が微妙に異なっていたり、持ち時間によって途中のエピソードを足したり引いたりしています。また、さまざまな場面の描写もその時々でアドリブが加わったりしています。

 「代書屋」はだいたい20分から30分程度で演じられますので、寝る前や電車の中で聴くにはうってつけです。笑いがこみ上げてきて眠れなくなったり、突然電車の中でニヤニヤして周囲から気持ち悪がられたりすることがあるかもしれませんので要注意ですけど。

7月6日(金曜日) 大雨 

 関西地方から九州にかけて、かつてないほどの激しい雨が降り、災害、死傷者が出ています。「数十年に一度の」ということばが果たしてどの程度大変なことなのか、肌感覚はないものの、ただごとではないということだけはわかります。

 京都市内も数日にわたって激しい雨が続いていて、鴨川の下流域や保津川の渡月橋(嵐山)あたりでは警戒水位を上回って危険な状況です。三条大橋付近の映像がテレビでたびたび放映されていますが、土手が崩れたりして濁流のすごさを伝えています。私が中学の頃に京阪電車(まだ当時は地下化されていませんでした)の京阪三条駅の下の土砂がえぐられて運転がストップしたことを思い出します。

 鴨川の上流、出町柳の合流地点を境に東側に高野川、西側に賀茂川が流れていますが、高野川の上流の修学院方面でも避難勧告がでています。賀茂川上流の上賀茂、柊野地区なども同様です。避難勧告が出ていますが、そもそも雨が激しくて家から出ることができない状態が続いた場合は家の中にいるほうが賢明です。もし家を出られたとしても避難所に行く際に氾濫寸前の川を渡らなければならないところもあり、逆に危険を伴います。高齢者ならなおさらです。

 私、かつてこれほどまでに長時間、激しい雨に見舞われた記憶がありません。やはり自然がだんだん荒っぽくなっているようです。資源の無駄使いと自然破壊を続けてきた人類に対する天罰が下り始めているのではないかと恐ろしくなります。警戒を要する区域にお住まいのみなさま、安全第一にくれぐれもご注意ください。

7月1日(日曜日) きょうから7月! ことしも半分終わりました…

 きょうから7月。2018年も半分終わりました。梅雨が明けた関東地方は今朝も快晴。気温も上昇していますが、風が吹いているので窓を開けておくと冷房は不要です。海開きも相次ぎ、風に乗って遠くから海水浴場のアナウンスが聞こえてきます。とても風情があります。

 きょうはEスポは一休みのようです。正午現在、FMバンドは静かです。午後から夕方にかけて、またFMバンドがにぎやかになるかもしれませんが。

 ではここで1977年のきょうのLOGから紹介します。この日は結構たくさんの局名が列挙されていまして、おそらくザッピングで受信状況を確認していたものと思われます。JST/Freq./Station/Language/SINPOの順で掲載しています。

0000 15038 BSKSA Riyadh-Holy Qur'an in Arabic 44343
0030 15330 REE in Spanish 33433
0030 15300 R.Yugoslavia in English 44433
0030 15240 R.Yugoslavia in English 34433
1400 21545 R.Kuwait in English 35443
1400 21500 IBA-Israel in English 34333
1545 21465 RBI in English 34433
1600 21695 SRI in English 44444
1600 21655 R.Norway in Norwegian 33433
1600 21735 ORF-Vienna in German 44444
1600 21630 ORF-Vienna in German 44444
1630 21700 R.Prague in English 34443
1630 25650 R.Netherlands in Dutch 35443
2130 21635 R.Sweden in English 33433
2210 21535 R.RSA in English 4443
2215 21520 SRI in English 31421 (QRM from R.Moscow on co-ch)
2330 15240 R.Yugoslavia in Russian 34433
2330 9655 R.Thailand in Japanese 34433

ランダムに聴きまくったという感じです。オランダが11メーターバンドで聞こえていたのですが、このころ16時半からの放送はたびたび受信できていたと記録されています。14時からのKuwaitの英語放送もなつかしいです。欧米のイージーリスニングが心地よい放送でした。全体的にハイバンドが良好な時期でしたが、午後早い時間の受信ではノイズ(atmospheric nose)に悩まされることも少なくありませんでした。

6月30日(土曜日) きょうもEスポ バンバン出ています

 きょうもEスポが花盛り。中国系、台湾系、韓国系の局が108MHzまでたくさん受信できています。高い周波数でも多くの局が聞こえているのは、それだけスポラディックE層が分厚いというこなのでしょう。夏の風物です。ことばが解らないし、局名がわかったとしても特に何をどうするということでもないのでIDを確認しようとも思いませんけれど 笑

 思いのほか早く梅雨明けしたので、今朝も天気は良好。でも外出すると確実に紫外線にめちゃくちゃやられるので、きょうはこれからカセットテープの修理をすることにします。

 多くの皆さんが経験されていると思うのですが、カセットテープは経年劣化が進むといくつかの特徴的なトラブルが発生してきます。一番多いのは、テープにカビが生えたり癒着してしまったりして再生できなくなるケース。そのほかに、リーダーテープと磁気テープとのつなぎ目が切れてしまい、再生できなくなるケース。あるいはテレコのヘッドがあたる部分に四角い小さなクッションがついているのですが、それが外れてしまって音がこもったようになってしまうケースなどがあります。

 きょうはとりあえずリーダーテープと磁気テープの接続部分の修理をしようと思います。幸いずっと昔に使っていたスプライシングテープが残っているので、それを使います。あと、四角いクッションについては廃棄する予定のカセットテープから外して廃品利用をすることにします。

 ここのところいろいろなメディアに「ラジカセ復権」「カセットテープ復権」という記事が載っています。音のよいカセットデッキやプレーヤー、ラジカセが復活してきてくれるととてもありがたいですね。何しろ、今手に入るラジカセの多くが造りも音も薄っぺらくてとても使える代物ではないからです。カセットテープのプチブームが一過性のものに終わるのかどうか、手許に多くの未使用のカセットテープを抱えている身としては、その動向がちょっと気になります。

6月29日(金曜日) あらまぁ もう梅雨明けですか

 関東地方は史上最速の梅雨明けとなりました。当ブログで「夏至の頃の太陽が楽しめない」などと書いたことがお天道様に通じたというわけでもないでしょうけれど、これは驚きました。天気図を見ていると梅雨前線が北上してしまっているので、どうなるのかと思っていたのですが。
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 ただ、他の地域では大雨になっているというニュースも伝わってきています。ここのところ天気の地域差が大きいと感じます。豪雨や突風に見舞われている地域にお住まいの皆様にはお見舞い申し上げます。

 こうなると心配なのが夏の渇水です。とくに利根川水系の上流のダムはことしはすでに貯水率が下がっているようです。東京圏は取水制限に悩まされるのか、はたまた梅雨明け宣言後に思わぬ豪雨に見舞われたりするのか… いずれにしても天候には要注意です。

6月24日(日曜日) 梅雨の晴れ間 

 梅雨の晴れ間というか、午後からとても天気がよくなり、先日グチをこぼしていた夏至の頃の太陽を堪能することができました。洗濯もはかどりました。

 この季節、野鳥の雛たちの巣立ちがピークを迎えていまして、我が家の周囲でもスズメ、ムクドリ、カラスなどの雛がおぼつかない様子でヨチヨチ歩きをしたり、羽ばたきの練習をしたりしています。

 でも困るのはやはりカラスです。とにかくカーカーガーガーとやかましいのです。親鳥が飛ぶように促すのですが、幼鳥はまだうまく飛ぶことができずに親を呼ぶのです。それも早朝からです。さらに困ったことに、どうも我が家の屋根がカラスたちの憩いの場になっているようで、きょう久しぶりに点検をしたらカラスの糞と、何だかわからない木の実がいっぱい散乱していて、しかも樋のところに木の実が詰まっていてえらいことになっていました。ことし1月に屋根を見たときにはこんなことにはなっていなかったのですけれど。

 Amazonで調べたら、カラスが寄り付かなくなるようなグッズがいくつか出ているようです。屋根の上にとまれないようにするトゲトゲや、超音波で追い払うものなどさまざまです。天気がよかったので屋根の大掃除をしたのですが、またこのようなカラスの汚れがつくようなら、いくつかのグッズを試してみようと思います。またくもう…

 でも、久しぶりに屋根の掃除もできて、ラジオとテレビのアンテナの点検もやれたので、まぁよしとしますか。うかつにも日よけクリームを塗らなかったので首筋がヒリヒリしています。

6月23日(土曜日) もう夏至を過ぎてしまいました

 去る6月21日(木曜日)がことしの夏至でした。日本では毎年梅雨の真っ只中の夏至となることから、冬至よりも5時間ほど長い昼の時間帯の恩恵を感じることができずに過ごしてしまいます。そして、もうだんだん昼の時間が短くなり始めているという現実。これから12月の冬至に向けてだんだん日没が早まっていって… と考えると、一年というときの流れの速さを改めて感じずにはいられません。

 きょうは沖縄地方が梅雨明けだというニュースが伝えられました。本州はつい先ごろ入梅したばかりだというのに、沖縄地方は本格的な夏を迎えたということですね。

 6月23日は沖縄では「沖縄慰霊の日」です。沖縄では公共機関は休日となっています。アジア・太平洋戦争で唯一地上戦が展開された沖縄では戦後73年経ったいまも戦争の傷みは消えていません。基地の問題を含め、解決すべき課題が山積している中で、日ごろついつい忘れがちになる沖縄の現状についてこの日に改めて意識を向けることは大切なことです。

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