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中東と世界をラジオで聞く ~店主の独り言~

9月1日(日曜日) なんでそこまでして…

 きょうは日曜日なので仕事は休みなのですが、最近通勤電車の中で強く感じることがあって、今日のネタとして書いてみることにします。

 みなさんは混雑した通勤電車の中ではどのように過ごしますか。地域によっては通勤電車の混雑具合が異なりますし、また電車に乗っている時間もさまざまですから、私が感じているポイントにピンとくる方がどれくらいおられるか…

 日ごろから「歩きスマホはやめましょう」とさまざまな場面で言われています。でも減りません。何も歩きながらスマホを触らなくてもいいじゃないかと呆れてしまいます。よほど忙しい人なのかと思ったら、ゲームをしていたり、LINEでチャットをしていたりと、もはやここまでくると中毒以外の何物でもありません。でも、歩きスマホ と同じぐらい迷惑なのが、実は電車の中で周囲を気遣わずにスマホに没頭する人たちです。

 電車の中というのはやることがないので、スマホを見るのは自然な流れかもしれないのですが、たとえばスマホを見たいがために自分の前になんとしてもスペースを確保しようと必死に突っ張る人がいます。ラッシュ時に混雑するときには、お互い様ですからしばらくはもっと詰め合わせなければならないと思うのですが、スマホ中毒の連中は自分の前のスペースを空けようとするので、混雑に一層拍車がかかってしまっているように思われるのです。しかもスマホに没頭している連中は一歩も詰めないので、人の流れが滞ってしまいます。

 先にも書きましたが、そうした連中に限って一刻一秒を争うような重大事項を抱えてスマホを操作しているのではなく、実にくだらないゲームやチャットに没頭しているだけです。ほんと、少しの間ぐらい手放してみたらどうかと思うのです。いま、首都圏の電車では「リュックサックは混雑時は前に抱えてください」と呼びかけています。少しずつ浸透してきているようですが、それと同時に混雑時のスマホスペース確保は遠慮するように強く呼びかけてはどうかと思います。

 ところで、文句はこのぐらいにして、このあいだ乗った電車の車掌は、実に流暢な英語で車内アナウンスをしていて驚きました。関東地方の電車では最近重要なお知らせがあるときには録音された多言語のメッセージが車内放送で流れることがあります。また、あらかじめ準備された英文を車掌が読んでお知らせする場面も増えてきているようです。しかし、先日の車掌は、明らかにそうしたマニュアルを超越した英語案内をしていて感心しました。どのぐらい車掌個々人に裁量が与えられているのかわかりません(つまり、安全管理などに関する情報を万一誤訳したりすると人の命にかかわりかねないので、アドリブとなった場合は誰がどう責任を負うかという問題が常についてきます)が、さまざまな電車のトラブル、たとえば遅延の理由、人身事故の情報などは、パターンがさまざまなのでマニュアルどおりにアナウンスするわけにはいきません。そうした情報こそが外国人乗客に必要だと感じていたので、先日の車掌のような案内を初めて聞いて、いろいろな課題はあるにせよやっとここまできたかと思った次第です。

8月31日(土曜日) 「あの」Tシャツが出てきた…

 実家から連絡があり、タンスの引き出しから、37年前のBCL連盟のTシャツがさらに(以前、ヨレヨレのTシャツのことをこのブログで書いたことがあったと思います。それとは別のものの話です)出てきたとのこと。しかも、オリジナルのビニール袋に入っていて、状態も良好と。

 早速こちらに送ってもらいましたが、なるほど、ほとんどシミもなく、きれいです。手塚治虫先生のイラストという、いま考えるととても贅沢なデザインのTシャツで、手塚ファンならひょっとして値打ちを理解されるのではないかと思ったりします。

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 わたくしは正直よくわかりませんが、手塚治虫という名前が入っているし、とても有名な漫画家がBCL連盟のためにイラストを描いたということ自体、現在のBCLの衰退ぶりを目の当たりにしていると信じられないぐらいです。そして当時のBCLブームの勢い、趣味としての社会的認知度の高さを感じずにはいられないのです。

 この手塚Tシャツのほかに、放送局からTシャツをもらったことが何度かありましたが、着用するかしないかとても迷いました。そして、たとえばDeutsche Welleからもらったシャツは大事にしすぎてシミだらけになって結局破棄することになってしまうなど、扱いに苦慮するのです。もちろん着用して頻繁に洗濯したらそれなりに劣化しますし。

8月30日(金曜日) アフリカ開発会議

 きのう、木曜日の午後、横浜で開かれているアフリカ開発会議(TICAD)イベントに関連した展示会に出かけてきました。場所はみなとみらいのパシフィコ横浜。日本各地で開催される国際見本市のアフリカ版といったところでしょうか。

 会場には日本の企業や国際機関、NPO、アフリカ各国のブースが立ち並び、日ごろの取り組みなどを展示・説明していました。アフリカ各国の展示ブースが会場の一角を占めており、普段なかなか接することがないようなエリトリア、レソト、ベナンなどの国々も含めて、アフリカ各国への投資促進やら観光などの情報が発信されていました。

 ただ、国によって熱の入れ方が違いました。なぜかコートジボワール、ギニア(コナクリ)、ガボン、カメルーン、そしてなぜかジブチあたりはブースが賑わい、活気があったのですが、一方でせっかく期待して立ち寄ろうとしたコモロ連邦のブースはもぬけの殻。展示もリーフレットもありません。リビアもブースを出していましたが、そもそも現在の国情をふまえてあえてあの場所に投資しようとする日本企業などいるのだろうか?と思いたくなる状況。ブースにいたオッサンたちも、所在なさげにコーヒーを飲んでいて、訪問者にもおかまいなし、という状況でした。エリトリアは観光パンフを置いていたのでもらってきました。あの北朝鮮とならぶほどの強権国家に観光とは… あと、モーリタニアの観光パンフレットももらいました。こちらは在日大使館の日本人職員が一人いるだけでした。

 TICADの目的自体が「アフリカ支援」ということなので、観光EXPOのような華やかさはありませんでしたが、日本の旅行会社が現地ツアーなんかを実施することで、アフリカ各国を支援するという形もありうるのだろうと思います。そういった点ではあんまり力が入っていなかったのは残念でした。

 TICADは日本が旗を振って始まった取り組みですが、今後形骸化していくようなことがないように、息の長い、有効な取り組みとして続いていくことに期待したいと思います。

8月25日(日曜日) 短い夏が終わりそう…

昨日の夜から今朝にかけて、気温が徐々に下がり、湿度も低下してきたようです。湿度の高い猛暑にうんざりしていた身としては、カラッとした暑さはありがたいことこの上なし。中東研究を手掛けている仲間うちでは「暑さはいいけど、湿度が大敵。一気にドヨ~ンと効率が落ちる」というのが合言葉のようになっています。

明け方、開けっ放している窓から入ってくる風が冷たく感じられるほどで、思わず途中で目覚めてしまいました。いえ、年のせいでは決してないです 笑  それぐらい気温が下がってきたということです。当然のことながら、夜通し鳴いていたセミの声も控えめになり、しばし静けさが戻ってきました。

暦の上では処暑を過ぎ、すでに秋です。きょう、電車の駅から自宅に向かう道端ではコオロギが鳴き始めていました。あと1か月も経たない間に秋分を迎え、夜長の季節を迎えます。一年が経つのはなんと早いことでしょうか。思えばもうことしも残すところ4か月と少しですよ 笑

あと数週間は急に暑くなる日があるかもしれませんが、短い夏ももう終わりです。でも、この季節はひと昔前までは「いよいよ空のコンディションも秋型になってハイバンドがよく聞こえるようになる」などと期待できたのに、いまはどうでしょう? 短波で聞けるのは中国語ばかり。張り合いがありません。そんな状況の中では、せいぜい「美味しいものを食べ過ぎてデブにならないように気をつけなきゃ」と考える程度が関の山でしょうか。秋を迎えて昔の思いでやら昔の記憶ばかりが蘇ってきます。困ったものだ。ラジオは遠くなりにけり… 

8月24日(土曜日) 久しぶりにレンタカー

親類の家で大きな荷物を運ぶ用事があり、さりとて大きな荷物はさほど数もない。引っ越し業者を頼むとコスパが悪すぎる…などと思案した結果、久しぶりにレンタカーを借りることにしました。

自分でクルマを持っていなかった時代、あるいはクルマが不覚にも故障してしまったときにレンタカーのお世話になったことが何度かありますが、今回は用途目的が違います。大きな荷物を運ばなければならないのです。そこではじめて「業務用車両」のジャンルで検索をすることに。

リストに出てくるクルマは、大型のワゴン車やらトラックやら。いままで乗ったことがない車種です。その中から最寄りの営業所で準備が可能な車種を選んで最終的に残ったのが、大型のバン。車高が高くて、荷物がいっぱい積めるタイプです。よく建築業者やら塗装業者やらが乗っている、いかにも「仕事用」というクルマです。

レンタルの予約をネット上で完了し、営業所にクルマをピックアップしにいきました。実際に運転すると、運転台の高さがいつもと違うので見通しがよい。サスペンションやら社内装備は最低限なので乗り心地は気にしません。でも新鮮な感覚でした。レンタカーだからナビとETCはついていましたし。

無事に大型の荷物を積み込んで、目的地に到着。荷下ろしまで行って業務終了しました。レンタカーの中には、高級外車などもラインナップに含まれているようですが、今回はその正反対の車種でした。重い荷物を運んだので握力が… でも面白い体験でした。今度はトラックを運転してみたい…かな。

8月23日(金曜日) 運転免許更新

運転免許更新に行ってきました。

普段ですと、自宅最寄りの警察署に出かけて手続きを行った後、2週間ほどで出来上がった免許証を受け取りに行くのですが、今回は本当に久しぶりに即日交付可能な免許センターまで足を伸ばしました。国際免許証も同時に取得したかったので。

免許センターは建て替えたばかりらしく、とてもきれい。しかも平日の午前中ということで、混雑も軽微。まず受付機で免許証の確認を行い、自動で読み取られたあとに出てくる受付票を手に、証紙を購入したあと、窓口へ。

手続きはすいすい進み、一気に国際免許証の準備手続きまで終わってしまいました。その間およそ10分。国際免許証ができるまでしばし待機し、15分弱で国際免許証が出来上がり。

その後、免許証の写真の撮影です。いつも思うのですが、この免許証の撮影というのは実に事務的。「はい、次の方。はい、次の方」と姿勢やら髪の乱れなんかぜんぜん配慮してくれないので、事前にきちんとしておかなければなりません。わたくし、過去何回かの免許更新の際に「超変顔」で写ってしまった苦い経験がありまして、ここ数回は免許更新の際に自分で撮影した写真を持参して、地元の警察署で更新していたのです。でも、自分で写真を用意するというのも面倒です。しかも、明るさがどうのこうのと文句言われるし、大きさがどうのこうのと気を遣うし。なので、きょうは満を持してセンターでの撮影に臨みました。

写真を撮り終えたら、今度は別室にご案内。更新時講習を受けます。更新時講習は、事故の様子を撮影したおそろしい映画を見せられて、あと簡単な説明。全体で30分でおしまい。講習の終わりに免許が手渡されました。即日交付とはかくも便利なものかと。

ちなみに、今回の免許証の写真は「変顔」こそ免れましたが、自分が想像している以上に「ジジィ」に写っていて、今後5年間またこの写真とつきあうことになると思うと、それはまた別の意味で落ち込んでおりまする。

とはいえ、結局午前10時前に免許センターに到着して、一連の手続きが終わったのが11時少し過ぎ。運転免許証と国際運転免許証の即日交付がたった1時間ほどで終わるとは… システマチックになったものです。

8月20日(火曜日) 盗人猛々しい

韓国の大統領が日本について話した際に、「賊反荷杖」という言葉を使ったところ、日本のメディアが「盗人猛々しい」と訳したことが話題になっていますが、きょうはその話ではありません。ただ、この言葉を思い起こさせるできごとについてです。

以前、我がホームページの「インターバルシグナル」の音源を勝手に自分のYoutubeアカウントで盗用している不逞の輩がいて、権利侵害でYoutubeに報告したところ速やかに当該ファイルが削除された、という話をしたことがありました。

もうそのようなことはないだろうと思っていたのですが、ひょんなことからYoutubeで1990年の湾岸危機当時のラジオ音源が出ているかどうか調べてみたところ、またもや盗用を発見してしまったのです。

音声ファイルをアップしていたのはドイツの自称DXer。調べてみたら、わたくしのHPで公開している音源が5つ、勝手に使われていました。イラクの放送の音声ファイルを聞いてみたら、どこかで聞き覚えのある音。よ~く考えてみたら「え“~!これってウチの音源じゃないか」と。調べてみたらあと4つ自分の音源が見つかりました。音声ファイルにはご丁寧に簡単な画像(スチル)までつけられていました。そいつのアカウントには、ほかにも明らかに他人が公開した受信音やら市販のテープ(昔、ニッポン放送系列の会社が企画したインターバルシグナル集)からまるごとパクった音源などがかなりたくさん見つかりました。この際、そうした第3者の音源についてはスルーして、自分の音源についてどうしようかと考えました。

さらに調べてみたら、この自称DXerのアカウントには実名とメールアドレスが記載されていました。なので、完全に話が通じない極悪人ではないと判断し、Youtubeに通報して闇討ちすることはとりあえずやめて、メールで削除要求をすることにしました。

相手のアドレスにメールを送ったら、1時間ほどで返信が届きました。文面からは大いに憤慨している様子が感じられました。「おまえはDXerなんかじゃない。カネのために、いろいろなアカウントを嗅ぎまわっているんだろう。ファイルは削除するが、そもそも俺がやっているのはみんなのためになると思ったからだ。次の世代につないでいく必要がある。ものごとには二面性があって、たとえ他人の音源を使用しても、それがほかの人たちの役に立つならいいじゃないか…」といった、まぁ自己中心的な主張を並べ立てておりました。とても礼節に欠けるメールで、胸糞悪くなるのですぐに削除しました。

だいたい、他人の音源を勝手に盗用するような輩に限って「おまえがもっとしっかり情報発信をしないから、俺様が代わりにやってやったのだ。文句を言うのは筋違いだ」などという理屈で自分を正当化してきます。この論理って、どこかで何度も聞いたことがあるような… 笑

でも「俺様が代わって公開してやったのだ」という理屈は、千歩譲ったとしても、今回のケースでは、そもそもそれではなぜオリジナルの音源の所在を明示することもなく、しかもHP宛てに一言仁義を切ることもしないのか? という根本的なマナーの問題がすっ飛ばされています。これでは単なる泥棒でしかありません。しかも、姑息な「コソ泥」です。粗大ごみの中からカネになりそうなものを集めて回って、オークションに出品してカネを稼いでいるそこらへんのオッサンのほうがまだマシ、かも。

「こうすることで次の世代につないでいける」などというたわごとは、笑止千万。マナーのかけらも持ち合わせていないバカが勝手なことをしているだけでは次の世代には何も伝わりません。短波放送が世界的に衰退している中で、矮小なる世界に引きこもり、もっぱら自分の理屈を独善的にこね続けている、こんな輩がのさばっているからこそ、新しくこの趣味の世界に入ってくる若い世代が一層減っていくという現実を理解できていないとは残念なことです。

今回の問題は相手側がキレながらもとりあえず素直にファイルを削除(つまり自分の悪事を認めたということね)したことで、一旦収束しました。ドイツ人はわたくしを「DXerじゃない」と断定しました。ものごとを盗用すること、引きこもったり群れたりすることがDXerの条件なら、こちらからDXerの称号は返上させていただきます 笑  このドイツ人がいうように、Youtubeなどのアカウントを「嗅ぎまわる」ことはするつもりはないし、そもそもできませんが、卑怯で不快な行為については毅然と対応していくつもりです。

でも、いささか手前味噌ながら、考えようによっては「泥棒してまで自分の音源だと主張してみたい」と思われるような音源を我がHPで公開しているのだとも言え、これはむしろ喜ぶべきかも。誇りに思うべきかも… そう思うと、これからも「盗んでまでも自分のものとして公開したい」と思われるような情報やら音源やらを出していきたい、と急に前向きに考えて、この文章は尻すぼみとなって終わるのであります。失礼。

8月17日(土曜日) 終戦の日からお盆にかけて

 まいとし8月15日に終戦の日から16日の京都五山の送り火の時期というのは、戦後生まれで戦争の経験を持たないわたくしにとっても特別な意味を感じる時期です。世間が休みに入るので仕事も一時的にストップするために、普段考える暇がないさまざまなことに思いを馳せることができます。

 ことしのこの時期、わたくしには二つ、この先のためにまとめておきたいと感じるテーマが頭に浮かび、一部対応しました。

 まず一つは、このブログでも紹介している「湾岸危機~湾岸戦争(1990~91年)」の際のイラク、クウェートの放送の録音の整理と、内容の確認です。正直なところこれまで当時の録音をはじめとする資料の整理がおろそかになってきました。そこで、まず当時のイラク、クウェート関係の録音テープにラベルをつけていく作業を行いました。イラク国営ラジオ(アラビア語、アラビア語海外向け、英語海外向け)、クウェート国営ラジオ、クウェート発のイラク国営ラジオ、イラク国営ラジオの対米軍宣伝放送、そして対イラク地下放送である「自由イラクの声」など、テープにはいろいろな放送が録音されていて、しばらく聞かないと確認できません。それを何とか区別し、かつ一部を除いて正確な受信日と時間の記述が抜け落ちているため、それもニュースの内容などから類推するなどの作業を行いました。

 その結果、とりあえず関係する録音を一つの引き出しに集めるとともに、放送系統別にラベルを貼りました。そこからわかってきたのは、湾岸危機勃発から1か月ぐらいまでは、海外向けのRadio Baghdad英語放送が日本でも比較的良好に受信できていたことと、バグダッドからの国営ラジオは早い段階で強烈な妨害を受けていて、あまりクリアに受信できていなかったこと、さらにクウェートの短波送信所経由で出ていたイラク国営ラジオの放送内容が戦局の悪化につれて変化していったこと、などでした。録音できていなかったり、音がわるかったりして価値がないと思い込んでいたもののうち、かなりの録音が想像していたよりもマシな音質で残っていることに驚いています。

 もう一つは、これはおそらく今となってはなかなか難しいことなのでしょうけれど、日本の国際放送の「アラビア語」によるサービスの振り返りです。戦前の国際放送については「ラジオ・トウキョウ」という3分冊の立派な本(北山節郎著・田畑書店刊)が出ており、きわめて詳細な記述がなされているのですが、ただ、その中でアラビア語放送に関する記述はほとんどありません。以前、ある学会のメンバーで、わたくしの大学の先輩にあたる人から、アラビア語による国際情報発信(放送)のあゆみを簡単でよいからまとめてほしい、という話をいただいたことがあったのですが、仕事が忙しく、そのような資料や証言を集める余裕がないと冷たい返事をしてしまったことを思い出しました。

 上述のとおり、先週仕事が少しヒマになった中、そうしたいきさつを思い出して、何を血迷ったか(笑)日本のアラビア語国際放送のあゆみについて調べてみたのですが、まずやはり資料がほとんど残っていない。国会図書館などに残っている資料の中にも「アラビア語」に特化した記述は殆ど見当たりません。しかも、アラビア語放送にかつて携わった方々も物故者となっているケースが多く、いまさら証言をききに伺うこともままならない状況。もっと早く動いておけばよかったといまさらながら後悔しています。とはいえ、どうせ手をつけてみたものですから、こちらのほうはダメもとでボチボチ作業してみて、無理だったらもうあきらめるという姿勢で臨もうと思っています。歴史を正しく詳細に記録することの難しさを感じます。

8月16日(金曜日) 1980年のきょうのLOGから

 毎日暑いですね。台風の影響は大丈夫でしたか。

 きょうは、ちょうどいまから39年前、1980年のきょうのLOGを覗いてみます。夏休みでヒマだったのでしょう。早朝から昼間にかけての受信が記録されています。例によって、JST/周波数/局名/使用言語/受信状態SINPO の順で表示しています。

0030 9530 HKBS(Jordan) in Arabic 43433
0030 6005 Radio of Democratic National Front of Yemen(clandestine) in Arabic 43443
0045 11770 DYBS Aden in Arabic 53443 at 0046 "Voice of Omani Revolution"
0059 9745 Radio Baghdad in Arabic 43443
0702 11770 DYBS Aden in Arabic closing down with the national anthem 43443
0750 15335 RTM Morocco in Arabic 44433
0755 15225 RTT Tunis in Arabic 44443
1500 21465 Radio Berlin Intl. in English 34443
1545 21500 ORF Vienna in German 44443
1545 21640 ORF Vienna in German 43443
1555 11960 RCI Canada in English to North Africa 33333

 もう短波での放送を実施していない国が目立ちますが、かつては常連局だったところも少なくありませんでした。時代の流れだとはいえ、残念です。

8月14日(水曜日) 電車ぜんぜん空いてないやんけ!

 世間は盆休みに入っているのですが、わたくしは通常通り仕事をしています。朝夕の通勤時間帯の電車の混雑が緩和されることを期待していたのですが、ぜんぜん空いていません。多くの人が職場に向かう雰囲気。夕方の電車もちっとも空いていません。「働き方改悪」などという流れに皆が逆行して、あるいは反抗して仕事をしているとしたら「天晴れ」なことなのですが、どうでしょうか?

 電車が空いていない原因は、仕事をしている人が思いのほか多いということに加えて、普段は通勤時間に電車を利用しないお年寄りやガキンチョどもが結構乗車していることにもあると思われます。彼らは混雑した電車に乗ることに慣れておらず、マナーも身についていないため、通路に立ちふさがったりドア付近に立ち止まったりして、我々を困らせることもしばしばです。「こっちはクソ暑い中、仕事してるんだぞ」などと毒づいてみたくなりますが、それをやると今のご時世はすぐに問題になってしまい、悪くすると自分が社会的に抹殺されかねない時代なので、何とか我慢するのです。

 わたくしの会社では、来週まで会議をやらないことになっていて、多くの社員が休みをとっていますが、企業の中には今週までが夏休み期間となっているところも多いと思われます。ということは、来週は電車がもっと混み始めるのでしょうか。もっとのんびり休めばいいのに、と自分のことは棚に上げて勝手なことを考えるのであります。

8月12日(月曜日) 古い友人と久しぶりに

 このところ、長い期間ご無沙汰していた古い友人と久しぶりに再会する機会が続けていくつかありました。一人は小学校時代からの友人で、ここ10年近く会っていませんでした。もう一人は6年ぶりに会う友人。いずれの友人も、会おうと思えば会えたのになんとなくご無沙汰してしまっておりました。いつでも会えると思っているうちに時間が経ってしまったのです。

 会って話す内容といえば、健康のことやら家族のこと、そして自分の仕事のことなど、他愛もないもの。でも、数年会わない間にいろいろなことがお互いの身に起きるものだと改めて感じました。もっとも、かなりの時間が空いたにもかかわらず、あたかも昨日も会っていたかのように空白の時間が瞬時に埋まる感覚というのは、不思議な気がします。気の置けない話ができるのも古くからの友人だからこそです。

 久しぶりに会ってきく話の中には、ショックを受けるようなものもあります。わたくしの年齢は、世間的にみると「まだ若い」部類に入ると自分では思っているのですが、最近同級生の一人が亡くなったことを知らされました。小学校、中学校のときにスポーツに頑張って、体も頑丈そうで明るく元気だった友人が病に倒れ、1年あまりの闘病の末に還らぬ人となったとは、いまだに信じられない思いです。しかも、いままでその友人のことなど思い出したことがなかったのに、上述の友人と会う前にふと「あいつどうしてるだろう?」と思っていたという、偶然とはいえすごいタイミング。虫の知らせか?と驚きました。 健康でいることが当たり前のように思いながら毎日を過ごしていますが、とても有難いことなのだと改めて実感しました。

 30代、40代の現役バリバリの時期は仕事やプライベートにまい進するあまり周囲に目が行かないものですが、現役時代も終盤にさしかかると、昔の知り合いと再びつながるケースが世間的にも多いようです。上述の友人の一人からは、こんど同窓会が開かれるときには声をかけると言われました。いつになるかはわかりませんが、予定が合えば顔を出してみても面白いかも…

8月11日(日曜日) ダバダバダ♪

 地元のコミュニティーFM放送を聞いていたら、60年代から70年代にかけてのヒット曲を流す番組が放送されていました。なつかしい(歳がばれる)のでしばらく流しっぱなしに。よく知った楽曲が次々にかかって、楽しめました。

 そんな中に、わたくしが小学生の頃になんとなく聞くのを恥ずかしいとおもった楽曲があります。その楽曲は、フランシス・レイオーケストラが演奏する「男と女」という、映画のテーマ曲にもなった作品です。「ダバダバダ ダバダバダ~♪」というヴォーカルが入る楽曲で、おそらくいま50代以降の皆さんの耳にも馴染んでいる楽曲だと思います。

 この楽曲のタイトルが「男と女」だというのを知ったのは、かなり早くて、小学校4年生のころだったと思います。そして、この楽曲が醸しだすなんとも淫靡な雰囲気を感じて、不道徳なイメージが増幅し、小学4年のガキンチョは、この曲を聞いてはならない… とてもいけない楽曲なのだと思うとともに、一種の嫌悪感すら抱いてしまったのです。

 後になってこの楽曲がフランス映画(1966年制作)のタイトル曲だったことを知りました。映画の内容は男女の恋の駆け引きを描いた作品ということで、ガキンチョだったわたくしの感覚がある意味正しかったことがわかりました。

 もう40年あまり昔のエピソードなのですが、実はいまもこの曲を耳にすると当時のえもいわれぬ不快な感覚が甦ってきて、あんまりいい気持ちがしません。正直苦手な楽曲の一つです 笑

8月10日(土曜日) 1990年のきょうの録音

 先日、湾岸危機勃発から29年(8月2日)について書きました。その後、これを機に当時の録音のうち、KuwaitとIraq関連のものを改めて丁寧に聞いてみました。
 
 整理してみると、湾岸危機勃発後の8月、そして湾岸戦争に突入していく91年1月以降の録音がある程度残っていました。しかも、受信状態が劣悪で放送の内容が聞き取れなかった「はず」だと思い込んでいた録音の中には比較的しっかりと音声が録れているものもあることがわかりました。

 その中には、ちょうど29年前のきょう、8月10日に録音したRadio Baghdadの英語放送の録音もあります。Radio Baghdadの英語放送は欧州向けに日本時間の5時から出ていたのですが、日によっては受信状態が比較的良好なこともありました。ただ、送信機のクセで変調が浅いので、信号がある程度強くても音声レベルが低く、聞き取りが難しい状態でした。

 英語放送は、15分のニュースと新聞論調を除くと音楽を延々と流す単調な構成でした。ニュースでは、クウェートへの軍事侵攻の正当性を主張しつつ、パレスチナの窮状を訴え、インティファーダを支持するという論調を繰り返していました。放送の中で流れる音楽の一部は毎日同じ楽曲が流れていて、使いまわしをしていたことがわかります。レバノンの名歌手Fairuzのオペレッタの挿入曲がノンストップで流れる時間が放送時間の3分の1以上を占めていました。湾岸危機が勃発して、自国の主張をしっかりと世界に発信しなければならないのに、ほんとうに緩い番組内容だったのです。その当時はまだ米軍などによる空爆は始まっていませんでしたから、イラク政府に余裕がなかったというわけではなかったはずで、Radio Damascusの英語放送同様、もともとそのような構成だったのだと思います。

8月9日(金曜日) 万年筆

 日常生活の中で自筆で手紙を書く習慣を続けている方はどのくらいおられるのでしょうか。かくいう私も、何時の頃からかちょっとした手紙もワープロで書いて最後に自筆でサインを入れるようになってしまっています。

 手紙を書くときに使う筆記用具は何でしょうか。ボールペンの類も最近ではとても書き心地がよい水性の製品が出てきていますし、フリクションペンのように一度書いても消せるペンも数多く出ています。一昔前に比べると筆記具の質の向上は著しいものがあります。

 一方でなかなか出番がなくなったのはいわゆる万年筆でしょうか。中学生のときに家族に買ってもらった万年筆を最初に何本かを使いましたが、こちらもいまは殆ど使うことがなくなってしまいました。

 先日自宅の机の引き出しを整理していたら、万年筆が数本出てきました。どのペンも長い間使っていないので、カートリッジ型のインクも乾ききってしまっており、またペン先も乾いたインクがくっついていて状態はよくありませんでした。ただ、結構有名な海外メーカーの万年筆なので、インクカートリッジさえあれば使わないともったいないなどという気になって、近くのホームセンターに行ってみることにしました。

 文具コーナーの片隅に、いまも有名どころのメーカーの万年筆用のインクはひっそりと売られていました。カラのカートリッジを持っていって汎用性があることを確認した上で購入して乾ききったペンにセットしてみました。さすがにすぐにはインクがでてはきませんでしたが、一晩置いておいたら昔のようにスムーズな書き味が戻ってきました。ボールペンに比べてペン先が乾きやすく、しかもインクがなくなるのが速いという難点はあるものの、実に書き味がよくて風格がある(ように見える)のです。

 ただ、もとの問題に戻りますが、じゃぁ何を書くかということです。受信報告も出さない、リポートやら手紙もワープロ… 結局使わないまま再びペン先がガリガリに乾いてしまうのかも…

8月4日(日曜日)  日本の夏というのは

 関東地方は梅雨明け以来猛烈な暑さが続いていますが、みなさまのところはいかがでしょうか。きょうは久しぶりに湿度が少しばかり低いので洗濯ものの乾きがよろしいようで、ありがたいですけど。

 日本の夏というのは考えてみれば短い。本来ならば6月20日前後の夏至の時期はすでに夏であるはずなのに、日本には1か月あまり続く梅雨があって、夏の到来を邪魔しています。その結果、多くの場合昼の長さを一番楽しめるはずの時期が雨模様になってしまうので、梅雨明けしたときにはすでに秋分の日のほうが近くなっているといった、なんとも悲しい事態になってしまいます。

 6月下旬に梅雨明けした去年とは対照的に、ことしは7月末まで梅雨が長引きました。平年よりも一週間ほど遅い夏の到来だったわけですが、こうなると夏が来たと思ったらすぐにお盆、そして涼風が立ち始め、日暮れが早まり、虫の声が…というふうになってしまいます。

 小学校のプールも多くの場合は夏休み前で授業は終わるようです。となると、6月の梅雨寒のなかでプールの授業を受けて、やっと梅雨明けしたときにはすでに夏休みに入ってしまっているというなんともスッキリしないカリキュラムになってしまっています。わたくしも小学生の頃、プールの授業はいつも寒かったことを覚えています。

 上述のとおりもう来週はお盆の入りです。ことしの夏は2週間ほど…ということになります。梅雨がなければ農作物や飲み水の供給に支障が出ることはわかっていますが、ちょっと寂しく感じます。

8月3日(土曜日) イラク軍侵攻翌朝のRadio Kuwait

 きのうのブログで1990年8月2日の「湾岸危機」初日のRadio Kuwaitの様子を書きました。我が家の引き出しを久しぶりにゴソゴソ捜したところ、侵攻翌日のRadio Kuwaitの録音が覚えていたもの以外にも残っていることを発見しました。

 8月2日当日は仕事が終わったあと帰宅し、ラジオを聞いたのですが、あいにく伝播状態があまり芳しくなかったこともあり、受信をあきらめて寝ることにしました。そして改めて午前6時前に起床してラジオのスイッチを入れると、いくつかの周波数でRadio Kuwaitが受信できました。手許に出てきた録音は13620kHzで0630JST過ぎから1時間半にわたって聞いたものです。この時間の受信状態はSINPOでいうと44333程度で、超良好というわけではありませんでした。確か13620kHzは欧州向けのビームだったと思います。それにしては比較的安定した状態でした。この録音を聞いてみると、さまざまな短い呼びかけが音楽の合間に出ています。IDもたびたび出ています。

 このテープをじっくり聞き返したことがなく、きょう、ほんとうに29年ぶりに全時間をチェックしている次第です。この文章を書きながらおぼろげに思い出したのは、おそらくクウェート情勢を追うあまり、睡眠を確保できていなかったことから、テープレコーダーを回しっ放しにして寝ていたかもしれないということ。だから記憶に残っていなかったのです、おそらく。もう一本、もう少し良好な録音が残っているので、いままではそちらのほうばかりに気をとられていました。

 今聞いているテープにはJST0700にニュースの要旨が放送されているところが録音されています。きのうのブログにも書いたとおり、このニュースを読んでいたアナウンサーは、ニュース番組「夕刊」のアンカーだった女性ですが、ニュースの音声だけがどうやら電話線を通してフィードされているような音質です。湾岸戦争終結後にRadio Kuwaitの局長に話をきく機会があったのですが、その際に、局員はイラク軍侵攻後クウェートを離れて全員無事にサウジアラビアに退避した旨の証言がありました。ニュースを電話でフィードしたとしても話のつじつまが合います。

 録音ではJST0705ごろに明らかに妨害電波だと思われるような混信が入っています。妨害はその後すぐに停止しました。まもなくイラク政府は欧米の放送とアラブ諸国の放送にいわゆる「バブルジャミング」の発射を始めるのですが、湾岸危機当初は妨害の手段を準備しきれていなかったようです。

8月2日(金曜日) 29年も経ったとは!

 毎年8月2日が来ると、1990年のこの日のことを思い出さずにはいられません。日本時間1990年8月2日の昼前、サッダーム・フセイン率いるイラクの軍隊が隣国クウェートに侵攻しているというニュースが飛び込んできました。宣戦布告もなく独立国が他の独立国の主権を蹂躙するなどということが起きるとは思ってもいなかったので、たいそう驚いたことを思い出します。

 当日の昼過ぎから、わたくしは短波ラジオでクウェート・イラク情勢をモニタリングし始めました。普段ならば日本時間13時からRadio Kuwaitの短波放送がアジア向けに電波を出し始めることになっていましたので、何らかのメッセージが受信できるのではないかと考えました。

 ところが、あの日に限って、Radio Kuwaitは通常の時間には放送を始めませんでした。複数の短波周波数をチェックしていると、Radio Kuwaitが放送している周波数の1つ、21675kHzでノンストップの音楽とごく短いメッセージを流す放送が弱く受信できました。しばらく聞いていたのですがクウェートの放送とは何か様子が異なります。まず放送の音質(変調具合)がRadio Kuwaitのそれとは明らかに異なる、硬めの音質で、変調度も浅め。イラクのRadio Baghdadの音質に似ていました。音楽の合間に出される男性のアナウンスは素人の声に聞こえました。メッセージの内容は「今日こそ君たちの日だ」といった抽象的なもの。クウェートからの放送かどうか確認することができないまま時間が過ぎ、やっと出たのが「自由クウェートはイラク軍を歓迎する…」といった内容の短いコメントでした。受信状態が悪く、断片的に聞き取れる内容からは、この放送がクウェートから出ているのか、イラクから出ている謀略電波なのかを確認することはできませんでした。ただ、普段放送を聞いていた周波数で何者かが上述のようなメッセージを流していたことがわかりました。

数年後、エジプト在住のTarek Zaidan氏と話をした際に、8月2日の早い時間帯には、どうやらクウェート政府によるRadio Kuwaitとイラク政府による「偽の」Radio Kuwaitが放送していたらしいことがわかりました。自分が日本時間の13時頃に受信したのは、イラク側による「偽の」Radio Kuwaitだった可能性があると今は思っています。

 さて、そうこうしているうちに、日本時間の15時ごろになると、13時ごろに聞こえていた放送とは明らかに異なる、耳になじんだ音が聞こえ始めました。変調の度合いやアナウンサーの声など、こちらはすぐにRadio Kuwaitだとわかりました。周波数は15495kHz。この周波数も当時Radio Kuwaitがアジア向けに出していた短波の周波数の一つです。この時点では、Radio Kuwaitは愛国歌と短いメッセージを流していました。

 今思えば無謀だったかもしれないのですが、このときわたくしはRadio KuwaitからもらったGuide bookに記載されているホテルのリストを眺め、そこに記されていた電話番号のいくつかにアクセスしてみることにしました。3か所トライしてみましたが、いずれも応答がありません。4か所目も呼び出し音が続き、ダメかと思って電話を切ろうとしたら、応答がありました。電話の向こうはホテルの従業員の男性だとわかりました。わたしは「いま起きていること、いま自分の周りで見えている、聞こえているものを教えてほしい」と頼みました。その男性は「イラクの軍隊が侵攻してきている。クウェートの国営テレビ、ラジオは愛国歌とメッセージを流している」と答えてくれましたが、その途端、電話が切り替わり別の男の声が聞こえてきました。「どこから電話している?」との問いかけに「日本からだ」と答えると、その男からまた元の男性に電話が切り替わりました。ホテルの男性は「もう話をすることができない」と一言答えて電話が切れました。割り込んできたのは、イラク軍の関係者で海外からの電話をオペレータとして「盗聴」していたようです。そしてホテルの男性に「いらぬことは話すな」とでも脅したのでしょう。結局その後はどのホテルに電話しても応答が得られませんでした。電話に出てくれた男性がその後安全に過ごしてくれたことを願ってやみません。

 日本時間の夕方から夜中にかけては所用でラジオを聴くことができず、次にラジオを聞き始めたのは日付が変わろうとしていた8月2日23時30分過ぎのことでした。この時間になると本来のRadio Kuwaitの周波数で放送が聞こえるようになっていました。普段よりも多くの周波数が出ていました。私は、8月2日の早い時点でクウェートはイラク軍の占領下に入り、メディアも完全に掌握されたものだとばかり思っていたのですが、驚くべきことにRadio Kuwaitの短波は軍事侵攻から12時間経った時点でも生きていました。

 夜が更けていくにつれて受信状態が安定してきて、放送の内容もよく聞き取れるようになりました。相変わらず愛国歌がノンストップで流れていましたが、2日の午後と決定的に異なっていたのは、Huna al-Kuwayt(هنا الكويت こちらはクウェートです)というIDが頻繁に出るようになっていたことです。しかも、日本時間の8月3日午前6時には、耳なじんだ女性アナウンサーの声でニュースが放送されていました。さらに、クウェート皇太子と思われる男性の声で「世界は今起きていることを憂慮している。世界は我々を支持している。抵抗を続けよう」とのメッセージが流されました。ちなみにニュースを読んでいたのは、人気番組「夕刊」(Jaridatu-l-Masa’ جريدة المساء)のアンカーだった女性アナウンサーでした。

短波の周波数はさらにその後も放送を継続し、結局8月3日の日本時間20時過ぎに停波するまで電波を世界に送り続けました。一方、Radio Kuwaitの中波放送のほうは翌4日まで持ちこたえていたことがわかっています。

 イラク軍の侵攻に始まった「湾岸危機」は、その後翌91年の1月には米国などの「多国籍軍」による介入により「湾岸戦争」に発展し、同年2月28日に事実上の終戦を迎えることになります。Radio Kuwaitはその間、隣国サウジアラビアのダンマンとエジプトのカイロに亡命して放送を継続しました。1月からは地下放送「自由イラクの声」が放送を開始するなど、イラク、クウェートをめぐる電波戦略が激しさを増していきました。クウェートからの短波放送は、イラク占領下で当初Radio Baghdadの番組を中継していましたが、湾岸戦争が始まって戦況がイラク側に不利になるにつれて、大きく変化していきました。クウェートにあった短波の送信所はイラク軍がクウェートを撤退する際に、破壊と略奪を受けました。Radio Kuwaitの短波国際発信は、1991年2月から数年間、送信所の再建が進む間は停波を余儀なくされました。

 イラク軍侵攻時、そしてイラクによる占領下のクウェートからのラジオ放送がどのような状況にあったか、そして当時のイラクの短波ラジオ放送がどのような状況だったかについての記録は、また別の機会にご紹介できればと思います。

【追記】 
 8月2日のクウェート国営ラジオは、イラク軍侵攻29年にちなむ特集番組を放送しました。General Programme(総合放送)では、日本時間14時のニュース枠を拡大して湾岸危機勃発から湾岸戦争終結までの道のりを改めてクロノロジー形式で伝えました。当時の実録音が出てくるかと思って聞いていたのですが、アナウンサーによるナレーションと音楽だけの構成でした。ほとんどが我々が知っている事実を改めてなぞるような内容で、新味はありませんでしたが、あの頃のことが思い出されました。

 一方、第二放送(こちらはウエブのライブストリーミングで聴取)でも29年特集を放送していましたが、こちらのほうは電話によるインタビューをつないでいく形式。当時クウェート国内に残って抵抗運動を行った女性活動家へのインタビュー、一市民としてイラク軍の暴虐ぶりを目の当たりにしたという男性の話などでした。こちらも当時の実録音はありませんでしたが、イラク軍の侵攻当日から戦争終結までの時間を人びとがどのように過ごしていたのか、垣間見ることができました。

7月28日(日曜日) 台風~梅雨明けもまもなくか

 台風(のちに熱帯低気圧)の進路次第で関東地方の気象状況が気になっていましたが、きのうは低気圧の進路が北に寄ったために関東地方南部は夜まで雨が降るどころか、強い夏の日差しが照りつける蒸し暑い一日となりました。低気圧が通過した夜から明け方にかけて雨が降ったようですが、一夜明けた今朝はまた天気がよく、そろそろ梅雨明けかと思わせるような天気となっています。

 7月は殆ど日照がなく、そうなると気分もなかなか明るくならず…という感じでしたが、逆にこれだけ急に蒸し暑くなると不快指数はうなぎのぼりです。でも人間とは勝手なもので、真夏の暑さ~梅雨明け間近なのに、今度は涼しいほうがよかったなどと考えてしまうのです。

 きのうは、予想外の好天となったため、各地で予定されていた花火大会など夏の催し物をめぐってはさまざまな判断が下されたようです。まず、隅田川の花火ですが、こちらは予定通り開催して正解でした。毎年テレビ東京が中継してくれるのでそれを見ながら2013年のことを思い出していました。

 2013年の隅田川花火は、悪天候が予想される中開催されましたが、30分ほど経ったところで豪雨と強い風に見舞われてしまい、途中で中止となる前代未聞の事態となりました。わたくし、隅田川の花火はこれまで一度だけ、不幸にもあの2013年の花火大会だけしか生で見に行ったことがないのですが、あの時は本当に驚きました。

 一方、きのう悪天候を予想して早々とイベントと花火大会を中止する決断を下したのが隣の町でした。毎年ミュージシャンを招いてコンサートを開催したあと、夜8時半から花火が上がるのですが、風雨が強まると予想してイベントの中止が発表されました。でも、結果的には午後10時過ぎまでは晴天が続き、決定が裏目に出てしまった形です。難しい決断だったと思います。でも、小さな町なので本当なら少しでも観光客が来てくれるとよかったのでしょう。

 わたくしが住む町内会では、この隣町の花火大会と同じ日と次の日(日曜日)の二日にわたり、盆踊り大会が催されます。こちらのほうはきのうの天気予報にもかかわらず予定通り開催を決め、結果的には子どもたちを含め地域からの多くの来場者で賑わいをみせていました。わたくしもちょっとだけ覗きにいって、たい焼きを買ってきました。隣町の花火が上がると、その時間帯だけ盆踊りの会場の人たちがいなくなってしまうのが問題なのですが、ことしは花火大会が中止されたので、盆踊り大会はずっと盛況でした。

 夏の天気は驚くほど早く変化することがあります。あらゆる可能性に備えてイベント実行委員会などが苦労していることを思うと、花火大会の中止も仕方なかったのだろうと思います。

7月27日(土曜日) 頭の悪い記者が多いということでしょう

 ちょっと刺激的なタイトルで失礼しました。きょうは最近特に感じるニュースの言い回しについてです。

 このあいだの日曜日に行われた参議院選挙は、投票率が低く、政権と野党、つまり政治全体が国民の信頼を失っているという危機的な状況を明らかにしました。投票日を控えて、争点隠しよろしく芸人のスキャンダルやら、芸能事務所の圧力やらなにやらをメディアが大々的に取り上げ、対外的には政府が隣国との貿易問題で強硬なポーズをとってみせて人気取りをやってみたりと、選挙そのものが見えづらい状況が絶妙のタイミングで造り上げられ、相も変らぬ結果となりました。

 選挙の結果にはもともと期待もしていませんでしたので、それ自体をどうのこうの言うことはいたしませんが、それらを報じるメディアが使うある表現に強烈な違和感というか、「こいつらバカか」という気持ちを抱いてしまいました。

 その表現とは「今回の参議院選挙の投票率は前回よりも●●パーセント…」というやつです。この手の表現は最近頻発していて、選挙に限らずよく見かけるようになっています。というか、目に余ります。

 何が問題かというと、本来ならば「今回の参議院選挙の投票率は前回を●●ポイント下回り…」というべきところを「●●パーセント」という表現で伝えているところです。

 もし、前回の選挙の投票率が57%で今回が48%だとしたら、前回比「9ポイント下落」が正しいのに「9%下回りました」と平気でのたもうているのです。よく考えてみれば、前回57%で、9%下回ったとしたら51.87%となるのが正解ですよね。「パーセント」と「ポイント」の違いを理解せずに記事を書いている記者も記者ですけど、それをスルーして承認しているデスクやら編集責任者はもっと頭が悪いといえます。

 こんなことすら整理できていないメディアが、どうやって時の政治の体たらくをしっかりと突いていくことができるでしょう? いまやテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の報道姿勢、報道内容の質の低下はとどまるところを知らないわけですが、こんなことでは明るい展望なんて見えません。

7月26日(金曜日) 毎年この日が来ると…

 7月26日というのは、日本では特になんというわけではない日なのですが、わたくしにとっては「キューバの革命記念日」として記憶に刻まれている日です。

 高校生のときにたまたまキューバの国際放送Radio Habana Cubaを聞いたのが7月26日で、番組の中で「19th anniversary of Cuban revolution」というアナウンスと、革命歌「7.26」が流れていたことが強烈な印象としていまも記憶に残っているのです。高校生にとって、カリブ海のキューバという国の革命記念日がどうのこうのというのは、おおよそ実感を伴っていたわけでもなかったのですが。

 我がHPの「インターバルシグナル」のページで紹介しているRadio Habana Cubaの録音は、1978年の7月26日に聞いたものです。ちなみに、革命歌「7.26」のメロディーはRadio Habana Cubaのインターバルシグナルにモチーフとして使われています。いろいろな演奏ヴァージョンがありますが、わたくしが聞いた放送ではギター演奏のかっこいいアレンジが流れていました。

 Radio Habana Cubaには数回手紙を送り、丁寧な返信を受け取りました。カレンダーをはじめいろいろな印刷物が送られてきましたが、大学に入った後ぐらいから疎遠になってしまいました。

7月25日(木曜日) 忖度っていやだ

 芸能界(能がないひとが多い場合は 芸界 とでもいうのでしょうか あるいは 芸NO界? 笑)をめぐっていろいろとニュースが飛び交っています。ブラック企業なのに、これまでの力関係でメディアがもみ手で腫れ物に触るような対応をしてきたツケがここにきてやっと明るみになった感じです。

 ある会社をめぐっては、カリスマが亡くなったとたんに重石がとれたようにさまざまな動きが見え始めています。なんだか美談がたくさん出ていますが、その一方で少年に対する性的な扱いに関する醜聞が何度も取りざたされてきました。カリスマが死んだとたんに「独占禁止法違反の疑い」が飛び出して、NHKのニュースが「速報」したことは記憶に新しいところです。民放各局もこの話題は取り上げていましたが、いまいち踏み込み方が足りない… そりゃそうでしょう、正面からこの話題を取り上げて、プロダクション所属のガキンチョどもを出演させてもらえなくなったら困るでしょうから。今後、●白歌合戦だとかの音楽番組にこのプロダクション所属のガキンチョたちがどのように出演するのかしないのか、これまでズブズブの関係に甘んじてきたメディア側の忖度(このことばはここ数年でイヤな響きを持つようになりました)も含めて注視していきたいところです。

 一方の反社会勢力と仲がよい関西の大手企業。何かにつけて肩で風切っている様子をわたくし個人的にはきわめて不快に思っていましたが、スキャンダルによって少しはお灸をすえられることになったのでしょうか。この企業は、現政権とつるんで政治的に政権寄りの世論を形成する重責を担ってきたわけで、難問山積の政治を放ったらかして喜劇劇場に首相がノコノコと登場する(G20やら万博のことがあるから…などとよくわからない説明をしていたようですが)ほど蜜月が続いてきました。それが反社会勢力と仲がよいなどという醜聞にさらされるとなれば、嬉しそうに舞台に上がっていた権力者も同じ穴の狢。われわれの税金を無駄使いしてブラック企業と結託して世論操作を試みていたことについて、一体どう説明責任を果たすつもりなのでしょうか。

 このブラック企業をめぐっては、謝罪会見やら芸人のドンみたいな連中(わたくしは「関西人の恥」だと思っていますが)が茶番劇を演じて、なんとか傷口を広げまいと奔走しているようですが、われわれはそんなデタラメを信用してはいけません。悪いことは悪い。例外なくそれなりの処罰を受けて当たり前のことです。情に訴えるような「焦点隠し」に騙されてはなりません。

7月15日(月曜日) SHIDAX閉店…

 日ごろの仕事などのストレスなどを解消するために、みなさんは何をしていますか。仕事終わりの後に飲みに行く方も少なくないと思いますが、最近私は一人でカラオケBOXに出かけて1時間半ノンストップで好きな歌を歌って発散することが多いです。

 その昔、カラオケが初めて登場した70年代後半は、カラオケといえばバーなどで酔っ払いが愉しむもの…というイメージがありました。当時は8トラックカートリッジを機械にガチャン!とはめ込んで演奏していたので、当然のことながら楽曲のラインナップも限られていましたし、何よりも選曲は「うた本」を頼りに探すという古典的な手法(これが長く続いていたのですが)。しかも、確かキーを上げ下げするのもあまりうまくできなかったような記憶があります。なぜ8トラックのことを知っているかというと、確か就職した当初、80年代半ばでしたが、当時の上司に連れられて東京の飲み屋に出かけたときに、そのような機械を見た記憶があるからです。いま考えてみると、8トラックデッキは、もはやその時代「残党」だったわけですが。

 80年代の半ばには8トラックは廃れ、カセットテープ(短命でした)シリーズを経て、レーザーディスク・VHDの時代、さらにDVDの時代、通信カラオケの時代へと進化を遂げていくことになります。

 わたくしは当初、カラオケなんて邪道だ…などという先入観をもっておりまして、ほとんど気にもしていなかったのですが、その考えが変わったのが海外留学中にある駐在員の方のお宅に招かれた際に出会ったカラオケでした。カセットテープが確か100本ぐらい、プラスチックのケースに収められていて、専用のプレーヤー(自宅用の小さいサイズ)とセットになっていました。当時の北アフリカ地域では、日本人の娯楽というと、マージャンだとか草野球のようなスポーツだとか、あまり幅広い楽しみはありませんでした。そこでのカラオケの存在感はとても大きなものがありました。最初は人前で歌を歌うなんて恥ずかしくて躊躇したものの、やってみたらそれなりに面白く、それがきっかけで時々愉しむようになりました。

 就職したあとも、頻繁にカラオケに誘ってくれる先輩がいたおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。仕事のストレスもある程度発散しつつ。カラオケの進化とともにわたくしも楽しみ方を変えながら、こんにちに到ったという感じです。

 そして、ことしに入って、「お一人様」カラオケを愉しむ機会が増えました。いまさらながら、という感じですが、一人で土曜の深夜に1時間半だけ歌を歌うというのは悪くないものです。ただ、ひとつ、深夜、寝る前に熱唱すると、寝つきが悪くなるというデメリットがありまして、あまり遅い時間帯に爆裂するのはよろしくないかもしれません。

 深夜の一人カラオケはもっぱら我が家からクルマで10分弱のところにある、駐車場を備えたSHIDAXと決まっておりました。適度にきれいだし、ガキどもがいないので落ち着いた雰囲気だし… でも、この「静かで落ち着いた雰囲気」が実は大きな問題だったのです。つまり、土曜日の深夜であるにもかかわらず空いていて、すぐに部屋に入ることができた = 客が減っていた ということに穂からならないからです。2か月に3回ほどの割合でSHIDAXにでかけていたのですが、いつも「経営は大丈夫だろうか」と心配していました。

 心配が現実となったのは6月半ばのことでした。フロントに「7月7日で営業を終了します」という貼り紙が… SHIDAXは東京都心でも大規模店舗を相次いで閉店してきました。それが地方の小規模店舗にも及んできてしまったわけです。せっかく秘かな楽しみの場所を確保していたわたくしは、いきなりその場所を失うこととなってしまいました。残念です。

 SHIDAXの代わりがあるかどうか調べてみたところ、駅前にJOYSOUNDとBIG ECHOがあることがわかりました。ただ、両方とも駅前なので駐車場がありません。深夜に自転車で駅まで行くのは面倒です。雨が降っていたらそれこそダメです。だからといって郊外には意外なほどカラオケ店がありません。隣町も似たような状況で… 当面は代わりの場所を物色する状況が続くことになりそうです。

7月14日(日曜日) いつまでも雨が

 関東地方では、去年は梅雨明けが6月末だったというのに、ことしは一体どうしたことでしょうか。殆ど日差しがありません。毎日曇り空、そして雨。梅雨とはそのようなものなのだといえばそれまでですが、さすがにこれだけ暗い毎日が続くと気分もパッとしません。しかも気温がなかなか上がりません。蒸し暑いのはゴメンですが、ここまで涼しい7月も珍しいかも。

 こうなってくると、日照不足(&気温が低いのもある)のため、野菜が値上がりし始めています。ただでさえ4月以降、値上げラッシュでいつのまにかパン、牛乳、ヨーグルト、袋麺などをはじめ、さまざまな食品が20円だとか30円だとか、酷いものになるといきなり100円も値上がりしているのに、ここにきて天候不順はかなり痛いです。

 天候不順のせいなのでしょうか、我が家の近所ではまだ蝉の声をきいてもいないのに、すでにコオロギが鳴き、トンボが大発生しています。駅前の広場の空を群れをなして飛んでいます。季節を間違えて出てきてしまったのでしょうか?

 地球温暖化の仕業なのかどうかはわかりませんが、ことしもこのようにいろいろとおかしな現象が起きています。天変地異とまではいえないものの、我々人類の悪行にたいして天が警告を発しているように思えてなりません。

7月7日(日曜日) 久しぶりのアメリカ

 7月1日から2泊4日という弾丸スケジュールでアメリカ西海岸に仕事で出かけてきました。目的地はシアトルとサンフランシスコ。1日の午後4時台のフライトでシアトルに到着すると到着するのは1日の午前9時過ぎ… 時計の針が逆戻りするという不思議な感覚でした。天候は晴れ。7月とはいうものの、夜は18度ぐらいまで気温が下がり、しかもカラッとしているのでとても過ごしやすい陽気でした。

 シアトルでの仕事は午後まで続いて、夕方6時台のフライトでサンフランシスコに移動しました。ということは機中泊の時間はあったものの、殆ど寝ていないのに、シアトルでも仕事という、最悪の状態で一日を過ごしたことになります。

 サンフランシスコはシアトルよりももっと気温が低く、夜は寒いぐらいでした。サンフランシスコに到着したのが午後8時半過ぎ。ホテルに移動して、夕食をとって、そこでやっと7月1日が終わりました。長い一日でした まったく。

 サンフランシスコでの仕事は7月2日いっぱいかけて。でも、ここでふと思ったのが、そういえばサンフランシスコといえば昔KGEIが日本語放送を実施していたな、ということでした。KGEIはもう1994年に閉局してしまったので、放送局を訪問するチャンスはないわけですが、空き時間にどこかラジオ局を訪問できないかと考えました。幸い、知人の伝で現地のNPR系列のFM局KALWの訪問ができることになりました。このラジオ局は大学ラジオ局で、ラジオジャーナリズム、番組制作などの研修のプログラムを持っており、アメリカ全土から学生を受け入れています。

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 深夜時間帯はBBC World Serviceをそのままスルーでキャリーしているほか、カナダのCBCの番組を一部放送していたりします。サンフランシスコが西海岸のマルチエスニック地域であることなどから、アジアの文化にも理解が深いラジオ局です。印象的だったのは、このラジオ局がとにかく「ラジオ」を大事にしていること。そして「ラジオメディア」に誇りを持っていることです。局の入り口には、1940年代から70年代にかけて使われたトランジスタラジオが飾られています。なかにはわたくしたちの興味をひくようなオールバンドラジオも含まれていて、思わずダイヤルに手を伸ばしてしまいました 笑

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 KALWには1時間ほどお邪魔して、その後、サンフランシスコ空港から羽田に舞い戻りました。

 とにかく疲れる旅ではありましたが、仕事だけでなくラジオ局訪問も叶い、それなりに充実した時間を過ごすことができました。2003年の9月以来久しぶりのアメリカ訪問でした。

6月18日(火曜日) 1978年のきょうのLOGから

 久しぶりに昔のLOGを覗いてみます。きょうは1978年6月18日、つまり41年前のきょうの記録です。いつものとおり、時間はJST(日本時間)、周波数(kHz)、局名と使用言語、受信状態(SINPO)の順で記述します。

1130 21590 Radio Pakistan Slow speed news in English 44444
1200 15405 Radio Yerevan English 44433
1230 83.75MHz Vladivostok Television (audio) Russian 35433
1400 21575 ORF Vienna German 25332
1400 21500 IBA Israel English 45444
1420 21540 Radio Kuwait English 35443
1500 21500 ORF Vienna German 34433
1500 21630 ORF Vienna German 34443
1530 9715 Radio Netherlands Dutch 24332
1545 21465 Radio Berlin Intl. English 35343
1545 21540 Radio Berlin Intl. English 34433
1625 21520 Swiss Radio Intl. English 44443
1625 21695 Swiss Radio Intl. English 44444
1630 21700 Radio Prague English 33443
1630 9520 NBC Port Moresby English 44443
2230 21535 Radio RSA English 44444
2230 21685 Radio Kuwait Arabic 44443
2230 21665 Radio Free Europe Polish 33433
2235 21530 BSKSA Jeddah Indonesian 43433
2320 21590 BSKSA Riyadh Arabic 44443
2430 15240 Radio Yugoslavia English 33433
2430 15300 Radio Yugoslavia English 43443

ハイバンド全開、といった感じでした。なつかしいです…

6月17日(月曜日) どうでもいい話ばっかりが 

 ネットを眺めていると、事件や事故、果ては政治問題に到るまで、どうでもいいような連中があれこれと自分の意見を発信し、それをメディアが取り上げて、あたかも何か権威があるコメントのように扱っていることに違和感を覚えます。ネットという世界では個人レベルでの意見や情報発信が大規模メディアと同様に行えるので、一度Headlinesの中に並んでしまうと、あたかもすべてが同じようなバリューを持っているかのように見えてしまうところもきわめて問題だと感じます。

 ある問題に対して、元●●知事のなにやらだとか、売れない物書きの誰々だとか、芸人の何とかだとかがそれぞれ持論を展開するのは勝手ですけど、大手メディアまでがそのような連中のことばを時に大きく取り扱うのは一体どういうことなのか。大手メディアも自分たちの情報発信力が乏しくなっていることを、さまざまな連中による無責任な発言で補おう、あるいはそれらに阿ることで読者を確保しようと考えているのではないかと思ってしまいます。そして、そうした記事は、新聞社や雑誌社がカネを払うことで、検索サイトのニュースラインナップの上位に表示されることになります。これを読んで、情報を鵜呑みにする人たちが多ければ多いほど、扇動作戦は効力を発揮します。悪意をはらんだ無責任な意見や発言が力を得てしまいます。

 個人による発言が記事になるほどニュースが枯渇しているかというと、決してそうではありません。国会をめぐる動き、外交の動きなど、きちんと伝えるべき情報は山ほどあります。大阪での警察官襲撃事件も大事ですが、だからといって犯人がつかまったのにダラダラとその話題を垂れ流し続けるワイドショー。一国の総理大臣がお笑い劇場で媚を売っているさまを何の批判精神も持たずにタレ流すニュースショー。ほかに時間を割いて伝えるべきトピックがあるのに伝えない。日本は世界でも有数のメディア後進国だといわれていますが、最近の状況を見ていると目を覆いたくなるような体たらく。あまりにも視聴者、ネットユーザーをバカにしていると感じるのですが、所詮この国の民度にはこの程度のメディアクウォリティーが合っているのかも。

6月16日(日曜日) 古い名刺を整理していたら 驚きの事実が…

 身の回りの紙類を整理していると、自分が就職した当時に出会った人たちと交換した名刺がたくさん出てきました。一度整理した記憶があるのですが、おそらく重要なものは捨てずに残したのだと思います。

 その中で、就職してから数年後、つまりいまからおよそ30年ほど前にいただいた一枚の名刺を目にして、驚きました。その名刺にはجمال أحمد خاشقجي と書かれています。裏面の英語表記は Jamal Khashoggi です。そうです、2018年の10月にイスタンブールのサウジアラビア総領事館で殺害されたとされるサウジアラビア人のジャーナリスト、ハーショクジー(カショッギー)氏です。名刺に書かれている肩書きはDeputy Editor-in-chief of Arab Newsとなっています。

 当時、名刺を交換しても会った日付や相手の様子を名刺にメモするという習慣を身につけていなかった(社会人としてはまずいです)ので、正確にいつ会ったかは記憶がないのですが、おそらく日本政府がアラブ世界の若手ジャーナリストを定期的に日本に招聘する、交流プログラムの一環として来日していたグループの一人だったと思われます。会った場所までは記憶にありませんが、サウジアラビアだけでなくパレスチナやヨルダンなどのジャーナリストも一緒だったような…

 人と人との出会いというのは本当に不思議なもので、ハーショクジー氏がおととしあのような大事件の渦中の人物となるとは、名刺を交換した際には想像だにできなかったことでした。古い名刺を見返してみると、意外な人に出会っていたことがわかります。逆に言うと、多くの人たちに出会っても、それがたった一度で終わってしまうケースが多いということでもあります。仕方がない面もありますが、もったいない話ですね。

6月15日(土曜日) 情報を鵜呑みにしてはいけない

 また更新が滞ってしまいました。公私共に何かと週末が忙しく、ついつい書き込みがおろそかになってしまいました。

 さて、ここのところイラン、アメリカ、日本をめぐるニュースが乱れ飛んでいます。日本の首相がイランの首脳と会談したかと思えば、アラビア湾(ペルシャ湾)で日本の船舶が何者かに攻撃されるし、アメリカはイランが犯人だと言っているし… きな臭い話です。

 この手の話が出るたびに思うのは、2001年のいわゆる911事件とアフガニスタンへの米軍主導の武力攻撃、その後2003年のイラクに対する米軍などによる攻撃を思い出さずにはいられません。

 ご存知の通り、2001年の9月11日にニューヨークのツインタワーに航空機が突っ込んだ事件後、犯人グループとされるアル・カーイダのメンバーを引き渡さなかったという理由などで、アメリカなどがアフガニスタンのターリバーン体制を武力で攻撃しました。2003年にはイラクが大量破壊兵器を所有しているという理由で米軍などがイラク攻撃を行いました。2011年には化学兵器疑惑やシーア派とのつながりなどを理由にシリアを空爆。そして今回は、アメリカが「イランが中東地域の不安定を煽る脅威だ」と盛んに宣伝をしています。

 アフガニスタンのターリバーン体制については、犯人グループをかくまっていたのかどうか(アフガニスタン国内にいたかどうか)ははっきりしないまま、武力攻撃が行われたわけですし、イラクに到っては実のところ大量破壊兵器は存在しなかったという結論が後になって出てくる始末。シリアについても、結局何が何だったのかがわからないままいまだに混乱は収まらない状況です。ではイランはどうでしょうか。

 アメリカは、中東の不安定要因をイランが作り出していると繰り返し述べています。アラビア半島のイエメンの反政府グループ「フーシー派」はイランの支援を得てイエメンのみならず隣国のサウジアラビアに対して武力攻撃を繰り返しているとも述べています。核兵器をひそかに開発しているのではないかという疑惑も取りざたされています。そして、今回のアラビア湾(オマーン湾)での船舶への攻撃もイランに責任があると…

 事実はどうなのか、実際に現場を見たわけではないので断定的に話をするわけにはいきませんが、アメリカ側の主張に必ずしもすべて信憑性があるわけでもないようです。たとえばイエメンの反政府グループ「フーシー」によるサウジアラビアなどへのミサイル攻撃一つとってみても、現時点では周囲をサウジアラビア、オマーン、イエメン南部には反フーシー勢力…と事実上周囲を囲まれた状況にあって、アメリカなどが主張するようにイランから大量の武器をどうやってイエメンまで運べるのかは疑問です。イエメンの首都サヌアとイランの地方都市を結ぶ民間航空便があるとの情報もありますが、とはいえそのような民間機で武器の部品を大量に輸送することはなかなか現実的でもなさそうですし、万一そのような事実があるとして周辺国が見逃すはずもないと思うのです。

 オマーン湾での船舶への攻撃にしても、アメリカ側はイランの革命防衛隊が船舶にとりつけた爆発物を外した様子を収めたものだとする映像を公開していますが、そもそも革命防衛隊が世界の注目を浴びている「その場所」にノコノコと出向くかどうか、と考えると、なんとなく非現実的な気もします。船舶の乗組員は何かが飛来したと証言する一方、アメリカ側は機雷による攻撃だったと主張するなど、証言に食い違い(これはかなり重要な食い違いだと思います)が出ています。アメリカ、あるいはアメリカの意を汲んだ政府あるいはグループが何らかの行動を起こしたという「陰謀説」もあながち否定できないかもしれません。

 誰がウソをついているのか、そしてその背後に何があるのか。事実はまだ霧の中ですが、今回の騒動で得をするのは誰かをじっくり考えると、いくつかの可能性が見え隠れします。

 アラビア湾での船舶の航行が妨害されることにより、原油の供給に支障が出るリスクに世界が反応し原油価格が上昇すると、イランだけでなくサウジアラビアなどの産油国も得をすることになるかもしれません。

 一方、イランがイエメンの反政府派を支援していることをよく思っていないサウジアラビアやアラブ首長国連邦は、イランが湾岸・アラビア半島地域の不安定要素になっていることを国際的に強く印象付けることにより、自分たちが行っているイエメン反政府派への空爆を正当化するでしょう。そしてサウジアラビアに亡命中の「正統政府」がサヌアに復帰することにつなげていけると… 
 
 アメリカはイランを一方的に悪者に仕立て上げることで、制裁強化をより実効性の高いものとし、シリアやレバノンの親イラン勢力とのつながりを弱体化させ、ひいてはイスラエルへのこれら勢力による脅威を減らすことにつなげていきたいでしょう。しかも、親米のサウジアラビアやアラブ首長国連邦は、イランを締め付けることによって裏庭であるイエメンの問題も片付けたいし、湾岸のそのほかの王国ではイランの影響(シーア派勢力)による政情不安のリスクをより小さくしたいでしょう。

 要するにアメリカ側にとっては理由は何でもいいのです。イランをけん制し、締め付ける理屈はいくつあってもよいわけです。事実無根だとしても言ったもの勝ちです。そんな中でイランとアメリカの間を仲介しようと、このタイミングで税金を使って現地に赴いた日本の首相の存在はとても小さいもののように見えてきます。問題はもはや二国間関係にとどまりません。もし仮にこれでアメリカがイランを武力攻撃したら(あるいはアメリカの手先が武力を使ったら)… 今後の成り行きを注目していきましょう。

5月25日(土曜日) トイレから女性が…

 職場のトイレで起きたできごとの話です。

 今週水曜日のこと。仕事を終えて帰る前に、会社の通用口の横にあるトイレに入ろうとしました。通用口の近くにはトイレが2か所あります。1か所は男性用と女性用、もう1か所わたくしが普段使うトイレはスペースの関係で男性用だけがあります。

 わたくしがトイレに入ろうとしたら顔を伏せ気味にした女性が「すみません、すみません」といいながら出てきたのです。トイレは入ったところに男性用の小便器が並んでいるので明らかに男性用だとわかるはず。女性が出て行ったあとにトイレに入ったら、どうやら洋式のほうで用を足していたらしい(水がまだ流れていました)ことがわかりました。

 まぁそれだけの話なのですが、少し照明が暗いトイレの中から女性が飛び出してきたのでびっくりしました。で、なんで近くに女性用のトイレがあるのに、わざわざ男性用トイレにその人が入っていたのかを考えてみました。

1.その人は実は女装をしていた男、LGBTの人だった ⇒ それはあるかもしれないです
2.清掃担当者の女性だった ⇒ いいえ、制服じゃなくて黒いブラウス姿でした
3.近くの女性用トイレに行くことができないほどに切羽詰っていた ⇒ それは気の毒です
4.完全に間違えて男性トイレを利用した ⇒ 男性用小便器が目に入らなかったのでしょうか
5.隠しカメラをつけるなど、悪意がある行動をしていた ⇒ 怖いです

 このご時世、1のようにジェンダーも多様化していますから、このようにちゃかして書くのは不適切かもしれないのですが、とても驚いたできごとでした。

 まぁ、今回の話は別として、高速道路の渋滞に巻き込まれたときや、コンサート会場、その他催し物の会場などいろいろな機会に、日本では女性用のトイレが足りていないと感じます。緊急時にあの行列のために本当に我慢できなくなる人も少なくないのではないかと心配になるほどです。大阪のオバチャンだったら「あ~、もう我慢でけへんわ。いまだけオバチャン、男になるわ~~」とか堂々と男性トイレに入ってしまうかもしれませんが、緊急避難的にはそれもありかと思いますけどね。

5月24日(金曜日) 久しぶりのページ更新です…

 久しぶりの更新です。振り返ると、今月はじめの連休の前にページを更新して以来、1か月以上経ってしまっています。更新が滞っていることを心配して連絡くださった方もおられました。申し訳ございません。特段自分の身に何かあったというわけではなく、連休以降週末にやることが多く、こちらまで手が回らなかったというのが正直なところです。

 「やることが多かった」という中には、これまでずっとトライしては失敗していたSONYのHDD Blu-rayレコーダーの修理(というかHDDの乗せ替え)作業がありました。

 実は、我が家には2009年に購入したSONYのBDZ X95というデッキがあります。

95.jpg

 さまざまな掲示板に書かれているように、このBDZ X95というのはHDDに問題を抱えている場合があるようで、一部のロット番号はリコール対象になったらしいのですが、我が家のマシンはとりあえず問題なく2年前までは動いていました。ところがある時、メニュー画面がすべて空っぽになり、録画されているはずのテレビ番組や外部映像にアクセスできなくなってしまいました。SONYのHPに書かれている復旧方法を試してみたものの、状況は悪化するばかりで(HDDが物理的トラブルを起こしていたのです)結局はシステム自体が起動しなくなってしまいました。

 SONYに問い合わせても、製造から10年近く経ったマシンにはとても冷たい対応で、HDDを取り換えても復旧するかはわからないし、録画してある映像は消える、しかも3万円程度の費用は最低かかる…などの回答でした。

 実はこのHDDデッキには、2011年のアラブ諸国での一連の政変の際に録画した各国の衛星テレビの録画がたくさん収められていました。カッザーフィー政権のLJBC TVや、ムバーラク政権崩壊の際のエジプトテレビなどです。テレビ番組の録画ならまぁいつかは再放送が行われたり、DVD化されたりする可能性もゼロではないのですが、海外テレビの録画は他にはどこを探しても存在しないものも恐らく多く含まれているはずで、これは簡単にあきらめるわけにはいかなかったのです。

 そこで、ネットを検索して、SONYのHDDデッキを復旧できるかもしれない と謳っている業者に見積もりを出させてみました。一つ目の会社は、今思うとナンチャッテ業者だったようで、デッキに搭載しているHDDをチェックして「対応不能」だと回答してきました。データを別のHDDに救出したと言ってきましたが、そのデータが果たして正しく救出できたのかどうか、確認する術がありません。

 余談ですが、当時のSONYのHDDレコーダー(今もそうだと思いますが)は、とにかく著作権保護の観点からデータの暗号化がガチガチに行われていて、しかもマシン側とHDD側のマッチングがきちんと記録されているので、別のHDDにデータを移したとしても認識されないという困った代物です。ですから、実のところ物理的エラーを起こしたHDDの復旧だけが問題解決の唯一の方法だったのですが、つい最近まで私はそのことをきちんと理解していませんでした。なので、業者に対応不能と言われた後に、自分でHDDを外して、他のHDDを載せてみたりと、もう完全に「やってしまったら終わりじゃん」ということをあれこれやってしまったのです。

 本来ならばこれで万事おしまい! でも、わずかな希望をもって、もう一つの業者にも見積もりを依頼してみました。自分がネットであれこれ検索していると、PCの検索履歴に基づいて関連の広告が画面上に現れ、それにつられて(笑)東京の業者に連絡してみたのです。HP上ではこの業者、公共機関や国の機関、大手企業との取引があるらしいのですが… この時点で、仮に対応可能でもかなりのお金がかかりそうだという予感はしていました。

 業者にデッキを送ってチェックさせたところ、「前に対応させた業者がHDDの基板を交換してしまったようだ。これでは対応できない。でもデータを救出したというHDDからなら対応できるかもしれない」との微妙な回答。その上で、「対応可能な場合は20万円かかる。データが全部救出された場合は20万円。データが救出できなかった場合は16万円に値引きする」と! よく考えるとこの話「やってみるけど、失敗しても16万円はかかりますぜ」というメッセージです。ここで私は腹を決めました。そんな不確実な事象に16万円などという大金をかけることは無駄に思えてきました。2011年の衛星テレビの録画を失うことはあまりにも大きなダメージなのですが、そもそもデータが復旧できるかどうか確証がないのに最低16万円ですから、さすがにそれは無理だと。

 業者には断りの連絡を入れました。それまで丁寧に対応していた業者は、急に冷たくなって「では返却手続をとります」とだけ伝えてきました。マシンの返送もかなりの日数を要しました。

 で、話はここからです。
 例によって私は自分の部屋のガラクタを片付けておりましたところ、1枚のBlu-rayディスクが出てきました。ここで思い出したことが… 確か一度だけ2011年の海外テレビの録画の一部をBlu-rayに焼いておいたような… 自宅ではBlu-rayの視聴ができないため、職場にディスクをこっそり持っていってデッキに入れてみたところ…  なんと!まったく消えたと思っていた録画の3分の1ほどが残っていることが確認できました。中でも、エジプトのムバーラク政権が崩壊する前日のエジプト国営テレビの録画が残っており、これは歴史的資料(この話は以前のブログで書いたことがあります)ともいうべき番組だったのですが、100%ではないものの、まぁこれで納得するしかないと考えました。

 録画されている素材が復旧できなくてもいい、ということであれば話は少し簡単になります。要するに使えなくなったHDDを乗せ換えればいいわけです。そこでウエブで調べたところ、システムが含まれているHDD(要するに別のSONYのHDDデッキのHDDなど、システム情報が含まれたHDDが「種」ディスクとなる)をマウントすれば、デッキとして使えるようになる可能性があるとのこと。そこで、ネット上で売られている「種」HDDを手に入れることにしました。

 数日後HDDが届きました。もともとX95は500GBの容量なのですが、購入した「種」HDDは1TBの容量があります。うまくマウントできれば1TBのHDDデッキとして甦らせることができます。

 SONYのHDDデッキに新しいHDDをマウントするためには、デッキにHDDのシリアル番号などを登録してマッチングを行わなければならず、それらの作業には隠しコマンドを使う必要があります。最近ではこの隠しコマンドがネット上で公開されるようになったので、そこに書かれているとおりに作業を進めていきました。

 結果は成功! 壊れたHDDデッキが無事に使えるようになり、しかもHDDの容量が500GBから1TBに増えるというオマケつきです。この一連の作業が完全に終わったのが大型連休の最終日の5月6日のことでした。それまでいろいろな業者に見積もりを出させたり、予備のHDDを購入してみたり、果ては自力でHDDを分解してヘッドの交換を試みるために、専用の工具を買ってみたり(これは実際には使わずに済んだ)と、時間とある程度のお金を費やしてしまいました。結果的に、奇跡的にバックアップを残しておいた海外衛星チャンネルの録画があったことに救われました。

 最初からSONYの修理を受けておけば、あまり時間がかからずに、費用は3万円から4万円でことは済んだのかもしれないと今になってみれば思うのですが、当時はHDDの中身を何とか消さないで対応できないかと思っていたので、このような顛末となった次第です。修理までに要した時間はかなりのもの。あきらめて何もしなかった時間を含めて2年ほど(笑)。かかったお金自体は総額(マシンを業者に送って見積もりを出させた際の送料なども含めて)1万6千円程度でしたが、何とか自力で復旧させることができたので、満足感半分といったところでしょうか。

 SONYのHDD Blu-rayデッキをお持ちの方で、2010年以前のモデルのHDDが使えなくなってしまったというケース、しかも録画が消えてしまっても仕方がないという覚悟がある方は、今回わたくしが試してみた方法が使えるかもしれません。ただ、あくまでも自己責任ということで。

4月21日(日曜日) 事件、事故が多い気がします…

 ここ数日、メディアを賑わす事件、事故が多発していて、普段よりもその量が多いような気がするのは私だけでしょうか。

 先日、東京池袋の路上でクルマが暴走して死傷者が出たと思ったら、今度は神戸でバスが事故を起こしました。神奈川では踏み切りにクルマが侵入して列車と衝突し車の運転手が死亡しました。フランスのパリではあのノートルダム寺院で大きな火災が発生し、スリランカ最大の都市コロンボでは大規模な爆破テロが200人以上の命を奪ってしまいました。幸い人の命には影響がなかった阿蘇山の噴火や、さらに身の周りの小さな事件や事故を含めるともっと多くのできごとが短期間に発生しています。

 まぁもちろんこうした一連の事件や事故が多発している(と感じる)のは単なる偶然だとは思うのですが、それにしてもこれほどまでに悪いニュースが続くとやはり気分がよくないです。気持ちが落ち着かないし、殺伐とした感じになってきます。皆さんの周りに明るいニュースがたくさんあることをお祈りしています。

 ところで、きのう、古いアラブ歌謡のカセットの話をしたところ、早速興味を持った方から連絡をいただきました。よろこんで提供いたします。…と言っておきながらまことに恐縮ながら、テープを差し上げるのはいいのですが一つお願いが。もしみなさまにご家族がおられるようでしたら、ぜひ叱られないようにくれぐれも話をつけておいていただきたいのです。 「ま~たこんなもの、どこで拾ってきたの?」などということになり、挙句の果てにわたくしが悪者になるなどという展開だけはご勘弁ください!! 笑

4月20日(土曜日) カセットテープが全然片付かない…

 朝から放送の録音の古いカセットテープの整理を行っていますがまったく片付きません。引き出しや段ボール箱から次々にテープが出てきます。以前整理したはずのテープがまだ未整理のままになっていたり、ラベルをつけていないテープの中に意外に大切な録音が含まれていたりで、いままでのズボラな整理のツケがここにきて重くのしかかってきています。

 以前にも書きましたが、ラジオを聞き始めた頃に比べて言葉がわかるようになっていることも、整理を忘れてついつい録音に聞き入ってしまう原因です。我が家のラジオの録音の半分ぐらいはインターバルシグナルや開始音楽だけで、放送の中身をきちんと録音したものではないのですが、残りの半分はダラダラと放送を録音していたもので、それが逆に今となっては中身を聞いて楽しめてしまうので、困ったものです。

 とはいえ、身の周りがあまりにもゴチャゴチャしすぎているのはやはり好ましくありませんから、こうなったらとりあえずアラブ音楽やその他の民族音楽系カセットテープあたりから思い切って整理していこうと考え始めています。少なくともCDを持っているアーティスト、楽曲についてはもうカセットテープは不要かと… クルマの中でもカセットを聞くことはもうありませんし、そもそもCDがあれば十分だということで。

 もしアラブ音楽のカセットテープに興味がある方がおられましたらお申し出ください。捨ててしまうよりは興味を持っている方に差し上げたほうが気持ちが楽(?!)なので、送料さえ負担していただければ適当なところを差し上げます。

 いま、この文章を書いている傍らで、1980年当時のイランのアラビア語放送の録音を流しています。革命直後、イスラム色ガチガチのラジオ番組で、イラク・イラン戦争のさなかということもあって、ほんとうに暗い雰囲気が漂っています。時代を感じさせてくれます… 

4月19日(金曜日) 個人情報が緩かった時代

 きょうは、片付けついでに久しぶりに昔のラジオ雑誌をパラパラ読んでいたのですが、いろいろななつかしい記事を目にするにつけ、70年代から80年代というのは世界のラジオ放送、とりわけ短波放送にとってほんとうによき時代だったんだと改めて感じておりました。

 わたくしが学生だった頃にはあの有名な「月刊短波」誌をはじめ、「ラジオの製作」「電波技術」などが世界の放送についての情報を掲載していました。インターネットなどまったくなかった時代ですから、毎月雑誌が発行されて書店に並ぶのを楽しみにしていたものです。投稿欄に受信レポートを送って掲載されたときの嬉しさもなんともいえないものでした。

 過去の雑誌を眺めていて、こんにちの状況ともっとも大きく異なるのが、個人情報の扱いです。わたくしが言うまでもなく、雑誌の投稿欄には「受信レポートコーナー」「売ります・買います」「ペンパル募集」などがあって、そこには名前と住所が堂々と掲載されていました。「電波技術」誌には受信レポートを送った全員の氏名と住所が掲載されていました。それをきっかけに友だちになった人もいます(その友人とはいまもつながっています)から、一概にとんでもない時代だったと切って捨てるのもどうかと思うのですが、これが今の時代だとそんな悠長なことは言っていられません。それこそ詐欺ハガキが大量に送られてくるような事態に陥ることでしょう。

 古い雑誌を眺めながら、当時の住所にいまどのくらいの人がまだ住んでいるのだろうか、などと考えたり。少なくともわたくしは当時雑誌に掲載された住所にはもう居所がありませんけど。

4月13日(土曜日) スーダン情勢その後

 スーダンでは政変劇からわずか2日足らずで暫定政権のイブン・オウフ国防大臣が辞任するというニュースが入ってきました。まだ自体は流動的な様相をみせています。

 国営ラジオは日本時間14時の時点で通常番組をすべて中止し、愛国歌を流しています。ただ、きのう、おとといと異なるのは一曲ごとにID(Huna 'Ummdurman, Idha'at Jumhuriyati-s-Sudan)が出ていることでしょうか。正時にはニュースが放送されています。

 日本時間15時(現地時間朝8時)の少し前に流れていた歌はجنود الوطن(直訳:祖国の兵士)という愛国歌。その後時報、国内ニュースと続きました。

 ニュースの内容は軍事暫定政権の代表が辞任し、後任にアブドゥファッターハ・ブルハーン国軍監察官が就任したこと、新体制の顔ぶれ、エジプトが新体制をいち早く承認するとともに国際社会にスーダン支援を呼びかけ、バハレーンもスーダンの新体制を支持… などの項目でした。ニュースは10分間で、その後はふたたび愛国歌となりました。
 
 なお、国営テレビは現在軍楽ではなく、愛国歌のビデオクリップを流していて、おととい、きのうとは雰囲気が若干変わってきています。

 以上、途中経過でした。

4月12日(金曜日) スーダン情勢その後

 スーダンの政変のその後ですが、依然として国営ラジオ、テレビは愛国歌やブラスバンドのマーチの合間に、きのう暫定政権が出した声明を繰り返し流している状態です。ラジオ(Radio Omdurman)は、現地時間5時(日本時間12時)少し前からコーランの朗誦を流し、モスクからの金曜の夜明けの礼拝(صلاة الفجر)を現地生中継で放送し、現地時間5時には時報のあとニュースの要旨を放送しました。その後、前日の軍の声明の音声を流した以外はまた愛国歌や音楽がノンストップで放送されました。

 現地時間6時(日本時間13時)からはニュースが放送され、編成が徐々に元に戻りつつあるような印象を持ちました。ニュースの時間の殆どが暫定政権による声明の代読でした。ニュースは15分間で、その後はまた音楽の繰り返しに戻りました。

 スーダンの首都ハルツームに住む、知人の家族に話をうかがうことができました。一部で停電が起きているという情報はあるものの、市民生活は特に大きな混乱はないと話していました。その人が住んでいる地区では電気、水道、電話は問題なく機能しているとのことでした。ただ、もちろん去年12月からのデモで、スーダン国内はすでに混乱状態にあるわけですから、混乱がないというのは、デモ隊による騒乱状態が起きていないという意味なのでしょう。

 知人の家族にうかがったところによると「きのう11日、皆が30年続いた圧政が崩壊して喜んだ。しかし、新しく登場してきた暫定軍事政権は、結局はバシール前大統領に近い連中が運営することになった。つかの間の喜びだった。デモ隊は国軍の建物の周辺に集まって、真の民主化を求め、それが達成できるまでは夜間外出禁止令が出ていようと、デモを続ける。軍の大半も民衆のデモを支持しているようだ」とのことでした。

 上の話に出てきたように暫定軍事政権を率いる国防大臣がバシール前大統領にきわめて近い人物であったことなどが、民衆の落胆を買っているようです。今後どのような展開を見せるのか、さらにモニタリングを続けてみます。

4月11日(木曜日) スーダンの政変劇

 スーダンで30年あまり続いたバシール政権が崩壊し、暫定政権が樹立されました。パンの値上げが引き金となったといわれる民衆デモが去年12月から続いていて、国内情勢が混乱する中、バシール前大統領の身柄が拘束され、独裁が終わったという形です。

 11日の午後からスーダンの国営ラジオは愛国歌と軍による行進曲を流していました。テレビ放送も通常番組をすべて中止し、軍による吹奏楽(短いフレーズが繰り返される、まるでインターバルシグナルのような楽曲)が延々と流れました。画面にはスーダンの国章が表示されていました。ラジオは短波7205kHzでも送信が続いていると、エジプト・カイロのTarek Zaidanさんから連絡をもらいました。また、ラジオ、テレビともインターネットのライブストリーミングは落ちずに継続しています。

 日本時間の夕方になって、暫定政権が軍によって樹立され、イブン・オウフ国防大臣が一回目の声明を読み上げました。この模様は繰り返しラジオ、テレビで放送されました。その中で、非常事態宣言と夜間外出禁止(22時から4時まで)、陸海空の国境の閉鎖などが打ち出されるとともに、政治犯の釈放が宣言されました。

 一方、反バシール政権の立場でアメリカからスーダン向けにインターネットで放送を行ってきたネットラジオ局、Voice of Sudanは、こちらも通常番組を中止し、愛国歌とスーダン国歌を繰り返し流しつつ、「国営ラジオ、テレビが伝える情報は、いまなお新しく樹立された暫定軍事政権の都合のよい情報しか伝えていない」と、バシール後の国内情勢を注意深く見守る姿勢をみせています。

 国際メディアは、記者やリポーターのスーダンへの出入りができない(国境が一定期間封鎖されている)状態にあることから、現地からの情報を十分に映像で伝えられていないようです。アラビア語による国際テレビチャンネル、Al-JazeerahやAl-Arabiyahなども現地からの中継映像はあまり多用せず、むしろ電話による現地リポートに重きを置かざるを得ない状況にあるようです。

 スーダン情勢については暫くの間チェックしていきます。

4月8日(月曜日) どうしても納得できないこと

 きのう、統一地方選挙の前半戦の投票日でしたので、いちおう権利を行使してきました。みなさまの地域でも選挙があったのではないでしょうか。あるいは後半戦?

 投票所は家の目と鼻の先なので気軽に投票に出かけられます。投票もあっという間に終わりです。

 ところで、いつも不思議に思うのは、国政選挙・地方選挙を問わず「なぜ投票者の本人確認を行わないのか」という点です。わたくしがかつて住んでいた町では本人に住所と生年月日を言わせて確認する方式だったのですが、いま住んでいる町では「投票所入場券」を持っていけばそのままノーチェックで投票を行うことができます。

 投票所の係員は選挙管理委員会の人間とアルバイトで構成されていますから、特にその地域と縁があるというわけではありません。なので、投票所入場券のチェックもきわめて形式的に行われます。これでは「なりすまし投票」が横行しませんかね? 悪意をもった人や団体が「意識低い系」のひとたちから投票所入場券をカネで買って、いとも簡単に替え玉投票ができてしまいます。これ、絶対たくさんやってますよね。

 選挙というのは、主権者たる国民が代表を選ぶ大事な機会です。それが、このような誰が考えてもわかるような決定的な瑕疵が放置されている状態で行われていることには大いに疑問があります。わたくし個人的には「マイナンバーカード」には抵抗があるので作っていませんが、今後は写真がついたマイナンバーカードやら免許証やらを本人確認手段としてしっかり活用し、不正がはびこる可能性を徹底的に排除するべきです。ひょっとして、選挙結果がだいぶ変わるのではないかと思うのです。ただ、主権者が代表を選ぶはずの選挙なのに、選ばれる側が厚顔無恥にも定数やら区割りやら選挙制度そのものやらを勝手に議論して決められるという、もう一つの大きな問題は残ります。そのようなことに疑念を抱かない主権者の側にも大いに問題があるのですけれど。

4月7日(日曜日) 花粉症が急に…

 ことしは症状が軽い…などと安心していたのですが、花粉症の症状がきのうの午前中あたりから急に強くなってきて、ここ20年あまりでもっとも重い状態に陥っています。とにかく目が痒みを通り越して痛いし、涙が止まらない。うさぎさんの目みたいになって、このままでは目の周りが爛れてきてしまいます。目薬も効きません。点鼻薬も効きません。なので鼻もつまったり、水のような鼻水が突然出てきたりと症状がコロコロ変わって大変です。

 気象予報では相変わらず花粉の飛散量が多いと言っていますが、明らかにスギ花粉からヒノキ花粉に変わってきています。考えてみるとわたくし、スギのシーズンはそれなりに症状をコントロールできるのですが、ヒノキ花粉が飛び始めると目がイガイガ(この形容詞をわかっていただける人は少ないかも)して、鼻づまりも起きてくるのです。例年ならそれでもさほど重症化せずに何とか過ごせるのですが、きのうからきょうにかけての症状は久しぶりに「最盛期」を彷彿とさせるほど強烈です。スギのアレルギーはどちらかというとWETな感じ、そしてヒノキはDRYな感じ…です。

 外はいよいよ春本番で、天気もいいのでしっかりと洗濯してフトンも干して… と思うものの、取り込んだあとが恐ろしいことになることが目に見えているので躊躇してしまいます。もうこのブログにも何度も書いているので花粉症の話は「お腹いっぱい」という感じで、読んでくださっているみなさんには甚だ恐縮ですが、同じような症状を抱えている方々とはこの憂鬱を共有できるかも…

4月6日(土曜日) ことばは正しく使わないと…

 朝、地元のコミュニティーFMラジオを聞いていたら、流れてきたCMにツッコミを入れたくなりました。そのCMは、駅前のデンタルクリニック(歯科医院)のもので、新年度から毎朝流れています。きょう初めてよ~く聞いていたら 「???」 となった次第。

 そのデンタルクリニックはどうやら美容歯科を兼ねているらしく、歯科医師と衛生士が歯列矯正やホワイトニングなどを担当していること、そして「美しさは口元から」というキャッチフレーズを掲げています。

 気になったのはCMの最後の部分で「●●デンタルクリニック、△△駅前店にお越しください」という一節です。わかりますか?普通、病院やらクリニックは「●●診療室」だとか「●●分院」とは言っても「●●店」とは言わないと思うのです。この言葉だけで、このデンタルクリニックは「医は算術であ~る」と声高に宣言しているようなものだと感じられ、ぜ~~~~ったいこんな歯医者にはかからないぞと決意を新たにしてしまうわけです。

 商売には、決して「ありがとうございます」と言わないジャンルがある… というのは、故桂枝雀師匠が落語の枕、とくに「代書屋」を演じるときに触れていました。
 
 「儲かった日も代書屋の同じ顔。代書屋というのは今でいう司法書士、行政書士のようなもので、いわばインテリ商売ですから、客が来たら嬉しいのですが、決して嬉しそうにはしないのです。医者もそうです。患者が来たら嬉しい。儲かった儲かった!という按配でしょうけれど、そこは難しい顔をして『どうしたの?具合がわるいの?』と…」

 病院で会計のとき「毎度ありがとうございます」「またお越しください」などとは冗談でも言わないです。冒頭のCMを流しているデンタルクリニック●●駅前「店」ではそうじゃなくて「毎度ありがとうございます。また歯が痛くなって、ふたたびお目にかかれますように♪」などと言われるのじゃないかと思っています。いや、絶対そうだ、これは。

4月5日(金曜日) エイプリルフールは何も書き込みできませんでした…

 去年のエイプリルフールには面白い(自分ではそう思った)ネタをこのページでアップしたのですが、気づいた方はどれぐらいおられたのでしょうか? ことしも頑張るつもりでいたのですが、残念なことに今回は年度変わりが何かと忙しくて残念ながらブログの更新そのものすらままなりませんでした。ですので先週末は何も書き込みができませんでした。

 毎年エイプリルフールには気の利いた、しかも読んでいる人に迷惑がかからないような、さらに思わず信用してしまうようなウソというのをどうやって書こうかとアイデアを巡らせてみるのですが、なかなかそんな面白いネタは簡単には考えつかないものです。書いたとしても、ブログに残しておくとヘタに引用されて、拡散されてしまい、あとで釈明するはめになる…などという笑えない状況も考えられるので、数日で公開をやめることにしています。ただ、ラジオを趣味としている世界では、ネタ元を明かさずに盗用(引用じゃないですね)する行為が結構頻繁にあるので、ウソ情報だけが独り歩きした結果、盗用した人間が恥をかくならそれはそれでいいかとも思うのですが(フフフ)。

 まぁ、ことしはわたくしがエイプリルフールでウソを書くよりも、国会議員が気分が高揚してしまったとかなんとかで、ウソ、デタラメ、忖度をたくさんしてくれているので、ちょうどよかったです 笑  

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