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中東と世界をラジオで聞く ~店主の独り言~

5月21日(日曜日) 「…スポラディックE層と呼ばれる…」

 古いテープの整理、続けています。

 きょう引き出しの中から出てきたテープに、なんとNHKのニュースの一部が録音されていました。当時タモリが流行らせた「つぎはぎニュース」の材料にでもしようと思っていたのでしょうか。記憶がないのですが。

 その中に、Eスポに関する項目が含まれていて驚きました。ニュースを録音したのは1981年6月ごろとなっています。NHKはEスポについてたびたびニュースなどで周知をしていますが、この録音もそうした周知のひとつです。

 1981年当時、関西に在住していた私は、中国、韓国、北朝鮮、台湾、ソ連から飛んでくるFMの電波を必死に受信したことを思い出します。中国局の開始部分の受信音は我がHPの「インターバルシグナル」のページで公開しているので一度お聞きになってみてください。

 というわけで、きょうはNHKニュースの音を少しだけ: Eスポの発生を伝えるNHKニュース

5月20日(土曜日) この季節が来れば思い出す…

 毎年この季節になるとなぜか思い出すのが、35年前、1982年3月~6月のフォークランド諸島(マルビーナス諸島)をめぐるアルゼンチンと英国との戦争(フォークランド紛争)当時のRAEアルゼンチン国際放送のことです。このとき、アルゼンチン国際放送RAEは周波数を増やして特別体制で放送を行いました。

 日本語放送も日本時間19時から2時間の放送となっていました。周波数も一時期5つの波を使用していました。通常の番組は中止され、「マルビーナス行進曲」を挟んでニュースと解説が繰り返されました。私は、11710kHzが比較的安定していたのでRAEの日本語放送を時々聴くようにしていました。日本語アナウンサーの高木一臣さんの「…この戦争に対する日本政府の立場が気になる…」という内容の解説を聞いて、アルゼンチンの日系人の置かれている立場に気づかされたりしたものです。

1982年5月のRAE日本語放送: RAE日本語1982年5月11日

 おそらく私がRAEの日本語放送をいちばん頻繁に聞いたのがあの時期だったと思います。ただ、手紙や受信報告は送らずじまいでした。

 結局82年3月に始まった紛争は、6月にアルゼンチンが降伏する形で終結しました。ちょうど戦況がもっとも緊迫していた時期の放送だったこともあり、いまも強烈な印象があります。

5月14日(日曜日) 夕方からEスポ

  • Posted by: KAUNAS
  • 2017-05-14 Sun 17:13:04
  • 未分類
 現在Eスポが出ています。日本のワイドバンドFM帯で放送している局のうち、当地で信号が弱い茨城や静岡の局が中国局の混信を受けています。全体にバンドの中がギュルギュルというFMの混信独特のノイズでうるさい状態です。

 さて、Eスポというと以前から約束していながら公開できていなかった、チュニジアのチュニスで遭遇したEスポの状況を録音したテープをデジタル化しましたので、一部をUPいたします。この録音は83年6月15日のUTC1100ごろのものです。西のポルトガル語地域から徐々に東にEスポの雲(そんなものがあるならば)が動いていく様子を録音したものです。もちろん、完全にきれいに西から東へというわけではなく、おそらく何度も波のようにEスポが押し寄せるので、東西の局が混在して聞こえたりもしています。私は半ばパニック状態になりながら録音を続けました。IDがとれた局は皆無でありますが。

 ファイルの容量の関係でほんの一部をUPします。録音の初めのところは、東のユーゴスラヴィアとFrance Interの混信、そして強烈な混信の中BBC Radio2のニュースにフランスが混信、そのあとドイツ語局、最後はオランダ語局が受信できて… という状態です。実際の録音は1時間ほどあって、最後はギリシャのERT2のISで幕を閉じるのですが、今回はフランスからオランダ(オランダあるいはベルギー)あたりの様子、そして最後のギリシャの受信音の2つのファイルをUPします。雰囲気の一端を感じていただければと思います。

 録音1(フランス→イギリス→ドイツ→オランダ): Sporadic E 1993 in Tunis
 録音2(ギリシャERT2): ERT2

5月13日(土曜日) どうするつもりなんでしょうか?

 もうひと月ほど前のことで、このページに書こうと思ってそのままになっていた話をします。

 ある日自宅のポストを見たら少し分厚めの封筒が入っていました。表には見慣れたクウェートの国章が印刷されていて、Radio Kuwaitからの郵便物だとすぐにわかりました。そもそもこのところRadio Kuwaitは短波送信を停止していて、撤退したとばかり思っていたものですから不思議な気持ちで封を切ると、写真のようなカレンダーが入っていました。毎年のことながら悠長な話で、クウェートからのカレンダーは3月以降に送られてきていたのですが、さすがにもう今年は送られてこないだろうと思っていたので驚きでした。
Radio Kuwait calendar 2017

 カレンダーをめくっていってもう一つ驚いたのは、休止(中止)になっているはずの短波送信のスケジュールが堂々と掲載されていることです。すぐさまRadio Kuwaitに「短波再開の予定があるのか?」とメールを送りました。残念ながら1か月経った今も返信はありません。あるいは、古いスケジュールをそのまま数年前の版からコピーしてしまったのか…。私にはどうもそのように思えてならないのです。
Kuwait fq1 Kuwait fq2

 数年前に米国のIBBが行った「短波聴取率」の調査によると、湾岸諸国の中でクウェートだけが比較的高い短波の聴取率を維持しているとの数字が出ていました。湾岸諸国といえば、アラブ中東地域でも屈指のデジタル先進地域です。そこでオールドメディアが健在だとはにわかに信じられない話なのですが、考えてみれば二つ理由があるともいえます。一つ目の理由は湾岸危機~湾岸戦争のときの記憶です。クウェートは1990年8月の湾岸危機で隣国イラクに侵攻されました。その際、最後まで抵抗の声を短波で世界中に送り続けたことはRadio Kuwaitの当時の職員たちの間で「誇り」として語り継がれてきました。また、イラクによる占領から解放後まで、クウェートの人びとは海外からの情報を短波ラジオに頼ったこともありました。こうした理由からクウェートでは短波放送に関する認知度が他国に比べて高いのではないかという話。そしてもう一つは、クウェートにはクウェート人だけでなく、むしろパキスタンやバングラデシュなどのアジア諸国からの出稼ぎ労働者が多数います。そうした人びとの中に衛星テレビではなく短波ラジオで祖国の情報を聴いているという人も少なからずいるらしいことも短波が健在である理由の一つなのだと思います。

 クウェートが短波送信機を更新しているとい話をどこかで聞いたことがありますが、もし将来的に短波が復活するとしたら、現在は全波停止の上で工事しているという期間なのでしょうか。それはそれで前代未聞ではあります。実際はどうなのか、もう一度Radio Kuwaitの周波数担当部に連絡してみようかと思います。

5月7日(日曜日) きょうで大型連休も終わりです

 ことしの大型連休もきょうで終わりです。私はカレンダーどおり5月3日から5連休をいただきましたが、南関東地方は毎日好転に恵まれたおかげで洗濯、掃除がはかどりました 笑  特にどこに出かけたわけでもないところが悲しいところですが、毎日の緊張をしばしほぐしてのんびり過ごすことができました。

 さて、大型連休企画として(?)続けてまいりました「昔の録音公開します」←そんな名称だったっけ? ですが、最終回となるきょうはみなさまにあまり馴染みのない放送をひとつお届けします。少なくとも私にとっては、いつも9560kHzにリストされていながら日本ではクリアな受信ができたためしがないどころか、本当にオンエアされているのかどうかも怪しい放送であり続けたヨルダンのHKBSの英語放送です。
 
 受信日は1987年11月25日のUTC1700、周波数はFM99.0MHzです。このとき私はエジプトのカイロにいました。カイロでは近隣諸国のFM放送が対流圏伝播やEスポによって頻繁に、しかも安定して受信することができました。当HPのインターバルシグナルのページの受信音の中にもこうした伝播状態のおかげで聴くことができた放送がいくつかあります。このHKBSの英語チャンネルも対流圏伝播によって受信できた放送のひとつです。

 この録音を聴いてわかったことは、短波で聴くアラビア語メインチャンネルと同じニュースのテーマ音楽が英語放送でも使われていたということです。アラブ諸国の放送はメインのニュースの時間に必ずテーマ音楽を流してくれるので、たとえIDがとれなくてもその音楽で局名が確定できました。HKBSのニュースのテーマ音楽は、アラブ諸国の放送が流すニュースのテーマ音楽の中でも自分としては1、2位を争うかっこいい楽曲だと思っていました。でも、この録音を聴いて少しがっかりしたのは、どうやら放送局が使っているオリジナルテープがかなり疲労していて音が悪くなってしまっていたことです。アラブ各国の放送のニューステーマの中で、光っていた華やかさに翳りが出ていたのです。

 HKBSの英語ニュースの導入部の録音をお聞きください: HKBS English 99MHz

 なお、録音の中でバイクのイグニションノイズがうるさいのは、カイロ市街を走るオンボロ原チャリのせいです。FMで遠方の局を聴いているとこの手のノイズは本当に耳障りな存在でした。

 明日以降、またページの更新の頻度が低下する恐れがありますが、みなさまからのメッセージには必ず目を通しておりますので、何かご意見やご要望がありましたらいつでもどうぞ。 

5月6日(土曜日) 調子に乗ってもうひとつ昔の録音

 好評をいただいたので調子に乗ってまたひとつ昔の録音をUPすることにしました。

 きょうの録音は、私が大好きなRadio Kuwaitのイブニングニュースショー「夕刊 جريدة المساء」という番組の現地録音です。現地録音といっても、クウェート国際空港でのトランジットの間にラジオをつけたら偶然にもRadio KuwaitのFM周波数で聞くことが出来たという、幸運がもたらしてくれたサプライズでした。

 録音の日付は1983年7月9日。日本時間では10日の午前2時半です。ちょうど日本航空機の南回りJL464便(当時は南回りがあったのです)で、ローマ→カイロ→クウェート→バンコク→成田 と各駅停車で帰国するときの録音です。実はこの日、南回りのJAL便はカイロでの通関手続きのトラブル(エジプトの税関のミスで搭乗人数と通関人数が一人ずれていた)のために数時間の遅れが発生していました。定刻どおりのフライトだと、この音は録れていなかったことになります。

 この「夕刊」は、とにかくテーマ音楽と演出がかっこいい(と、当時は思っていました)のがお気に入りでした。毎日のニュースをまとめて伝えるとともに、GCC(湾岸諸国協力会議)加盟各国の放送局からのリポートが入ったりと、とてもジャーナリスティックな雰囲気でした。この番組でアラビア語の聞き取りの練習をしていました。

 録音はこちら: Radio Kuwait イブニングニュース 夕刊

 余談ですが、この放送を録音したテープを聞き返してみると、JAL464便の機内アナウンスも録音されて残っています。1983年当時のJAL南回り国際線(ローマ発成田行き)の機内アナウンス。航空機ファンの皆さんには面白いかも…

 

5月5日(金曜日) ご要望にお応えして

 先日の書き込みで「この種の録音は掃いて捨てるほどある…」などという大胆な言葉を発してしまったため(笑)、それに対して「じゃぁ、もっと面白い音を聞きたい」という要望をいただいてしまいました。

 このHP、ブログは基本的には中近東に軸足を置いていますが、もちろんメインタイトルに書いているとおり「世界」も対象にしているわけで、そういう意味ではラジオの世界なら日本から世界までをカバーしているわけです。というわけで、きょうは少し変り種ではありますが、皆さん(我々)が必ず聞いていた、しかし内容をあまりよく覚えていないかもしれない「モスクワ放送日本語放送」が1973年に放送した番組部分のさわりをお聞きいただきます。

 カセットテープが高価だった私の小中学生時代にあって、国際放送の録音はもっぱらインターバルシグナルとIDを集める手段でした。しかし、時に番組部分の録音が残っていて、改めて聞いてみるとそれなりに面白い話題も含まれていたことに気づきます。70年代のモスクワ放送の日本語番組も、退屈で面白くない番組ばかりだった記憶があるのですが、文化関連のテーマのときにはスタッフがインタビューに出かけたりもしていたことがわかります。放送全体があまりにも宣伝臭かったので、まじめに聞いていなかったのが少し残念に思えます。

 きょうの音声はモスクワ放送日本語の「ソヴィエト文化の時間」という番組です。毎週火曜日の22時台にオンエアされていました。

 音声はこちら: モスクワ放送日本語 ソヴィエト文化の時間

5月4日(木曜日) イエメンの受信音

 きのうこのページに書き込みをしたところ、メッセージをいただき喜んでおります。

 ファイルをMP3化したので、早速UPします。11770kHzのAden、夜のメインニュースの時間のTMとアナウンスの部分です。インターバルシグナルではないので、これまで公開してこなかった音源です。こんな音なら掃いて捨てるほど(笑)あります。

 音声はこちら: DYBS Aden 11770kHz

 ほぼ同時期に録音した北イエメンSan'aからの放送の音声もついでにUPします。

 音声はこちら: San'a 9780kHz

 イエメンが統一したあとの放送の音声は、インターバルシグナルのページでお聞きいただけますのでそちらをどうぞ。

5月3日(水曜日) えらく間が空いてしまいました ~ 南イエメンの放送の録音

 忙しさにかまけて更新をサボっていたら、知らぬ間に5月に入ってしまいました。4ヶ月ぶりの更新です。おかげさまでこちらは元気で貧乏暇無しを絵に描いたような毎日です。

 毎度のこと、我が家のカセットテープを整理していたら統一数年前の南イエメンのDYBS(إذاعة جمهورية اليمن الديمقراطية الشعبية)の録音が出てきました。受信状態は良好。1997年末、11770kHzでの受信でした。ちょうどニュースが始まるところからニュースの内容が録音されています。同じテープには、北イエメンのRadio San'aの9780kHzでの受信音も入っています。南北イエメンの統一という話が具体化し始めた頃で、自分にとっても南北イエメンの統一に興味が向いていたのでしょう。なかなか懐かしい録音です。

 その後、1990年5月にイエメンは統一を果たすものの、その後内戦が勃発。そのさなかにアデン近郊の送信所が攻撃されて、以来アデンからの短波はなくなりました。

 現在のイエメンは親イラン派のHouthi勢力が首都サヌアを実効支配していますが、泥沼の戦闘状態が続いています。アデンからの短波が出ていれば、反Houthi派のメッセージをラジオで聴くことができたのでしょうけれど。

 と、ここまで書いて、当然のことながら当時の音声をこのページにアップしようと思ったのですが、なんとこのブログではファイル形式が「サポートされていない」とのことで、あえなく断念します。近々MP3ファイル化したら、ご紹介することにします。

 

1月7日(土曜日) 40年前のきょうのLOGから

 ネタがないときの話題。昔のLOGから…です。
 きょうは40年前、つまり1977年のきょう、1月7日に何を聞いていたかを古いLOGブックから見てみたいと思います。

JST
1000 15100kHz Radio Vilnius (English) 44444
1345 15400kHz Radio Bangladesh (English) 23332
1525 15290kHz Voice of Malaysia (English) 24332
1550 15105kHz ORF (German) 23432
1700 11730kHz RTVE (Spanish) 34443
1830 9550kHz Radio Finland (English) 34433
1940 7500kHz VNG-Australia 44433
1955 9655kHz Radio Thailand (English) 34443
2000 7180kHz BBC (Japanese) 54444
2015 9605kHz DW (Japanese) 34443
2145 12025kHz Kol Israel (Frensh) 34443
2215 17920kHz Radio Cairo (English) 24332
2300 11960kHz Kol Israel (Yiddish) 34433 Jammed
2300 11740kHz Radio Netherland (English) 34443
2330 5035kHz Radio Alma-Ata (Kazakh) 44433

といった具合でした。

 このころは、やはりリトアニアSSR(当時)のRadio Vilniusを熱心に聴いていました。ちょうど76年の新年番組で自分の投書が読まれたということと、極東中継が始まって受信状態が飛躍的によくなった時期でもありました。それから20年ほど後、ソ連崩壊後にヴィリニュスの放送センターにお邪魔し、あの新年番組で自分の投書を読んでくれたVirginia Budorite女史と実際にお会いするような日がくるとは、1976年にラジオを聴いていた自分の中では想像もしていませんでした。ソ連が崩壊するということ自体がこの頃は絵空事みたいなものでしたから…。時の流れ、人の縁とはなんとも面白いものです。

1月6日(金曜日) 値上げ

 きょうは散漫でとりとめのない話をします。

 年始早々物の値段が高くなっています。ひどいのは野菜、中でもキノコ類。あとガソリンの値段も徐々に上がってきています。今に始まったことでもないですが、ヨーグルトのパッケージがいつの間にか小さくなり、袋入りの菓子の量も減っています。いずれも「宣戦布告なき闇討ち」状態です。

 特に目立つのはシイタケとマイタケの高騰です。年末から年始にかけて、急にシイタケがものすごい値段になって驚いています。シイタケの原木不足などの理由で生産量が減っているというのですが、なんでこんなに急に値上がりしたのか不思議です。原発事故の影響もあるそうです。マイタケはテレビ番組でその効用が宣伝されて一時的に品薄になったあと、そのまま値段が高止まりしているようにも思えます。鍋料理の材料をそろえようとするとき、一瞬考え込んでしまいます。

 ヨーグルトについていうと、かつては500グラム入りだったものがいつの間にか450グラムや400グラムに減っています。値段はとりあえずほぼ以前と同じということで、実質的な値上げ。これについては事前にアナウンスがあったようななかったような…。牛乳の価格はさほど上がっていないと思うのですが。メーカーによってバラツキがありますが、最も悪質だと思うのは「●崎グ●コ」で、中身が大幅に減っているのにしっかり値上げもしています。不愉快なのでこの会社の商品はできるだけ買わないように、ほんのささやかな抵抗をしています。

 菓子の袋の中身が減っていることについても皆が気づいているはず。でも、こんな菓子類は別に絶対必要というわけでもないので、どうしてもという時以外は買わずに、別のメーカーのコスパがましな商品を買います。

 チーズも以前と比べるとずいぶん小さくなっています。あの6Pとかベビーチーズとか。めっちゃ薄くなりました。

 と、物価についてあれこれ文句を言っていますが、これって本当に正当な理由があって値上げしているのでしょうか。経済政策に失敗した政権がどうしても経済をインフレに持っていきたいと考える中、メーカー各社がここぞとばかり便乗して値上げをしているように思えるのですがどうでしょう。メーカーとしては免罪符を得たようなもので、ベクトルは一致しているのでしょう。デフレスパイラルの中で無理やり値上げを引き起こして「賃金アップに結果としてつながる」などという理屈でしょうか。 

 しかし、そんな姑息な手を使われても、消費者は必要以上のものは買いません。少なくとも私は。財布の紐はもっと固くなります。大手メーカーが儲けても所詮は内部留保にまわるだけで、我々の給料には反映されてきません。物価上昇だけが先行して正のスパイラルにつながらない状況は続くと思います。株価上昇を見て経済状況がよくなっていると言っている人たちもいるようですが、庶民には実感はありません。景気さえよければ人種差別だろうと独裁政治であろうと何でもOK、というようなカネの亡者たちがこの国、この世界を加速度的にダメにしているように思えます。

2017年1月2日(月曜日) 謹賀新年

 あけましておめでとうございます。ことしも皆様にとってよい一年でありますように。
 昨年一年間、このHPの更新が滞る中、皆様からメッセージをいただき感謝に堪えません。HPの存在意義、価値を考えると継続するかどうか迷っていましたが、とりあえず継続こそ力であるとの認識を新たにし、細々とではありますがこのHPを続けてくることができました。今後ともよろしくお願いします。

 さて、話は変わって、大晦日の紅白歌合戦、視ましたか?私も一応視ました。一部の時間帯は「らじるらじる」でラジオ放送を聴いていました。総じて言うと、とても見ていられないほどの雑な演出で、歌手のパフォーマンスもとてもヘタクソに思えたのは私だけではなかったのではないかと思っています。何であんなに酷い番組になってしまったのか。しかも最後の投票の結果が出来レースのようで、興ざめ。タモリとマツコの使い方もめちゃくちゃ。出演者に失礼だったのではないかと心配になりました。と、いいながらも、他のチャンネルは暴力(スポーツではないと思いました)やらアホ番組やらで、選択肢としてはやはり紅白を視てしまったわけで(笑)。ま、おそらくこれから色々な分析や評論が出てくると思うので、それを読んでみたいと思っています。

 国際放送の世界に目を向けると、国際情勢が不安定さを増す中、役割が終わりつつあるといい続けられてきた短波はまだその役目を果たしています。特に東アジアとアフリカ地域です。BBCワールドサービスは近々11言語によるサービスを開始すると発表し、その中には短波を使用する言語もあるとしています。朝鮮語放送が始まるというのは最も大きな話題になっていますが、私としてはインド向けのグジャラート、タミールなどの言語サービスが行われることになったことに注目しています。インドの旧宗主国であるイギリスが、インド向けに英語ではなく地域言語でのサービスを行うという意味はとても興味深いものです。

 思えば、10年ほど前にインドのニューデリーに出張したとき、タクシーの運転手がまったく英語を解さず、目的地に行くのにとても苦労した記憶があります。社会的階層や地域差もあろうかと思いますが、我々が想像する以上にインドは広大な国なんだという事実を思い知った気がします。どこかの国の国際放送は、インドは英語圏だから英語で情報を発信していればよい、地域言語は英語で代替できると考えてきたようですが、このBBCの政策がどのようなデータと分析に基づくものか、改めて立ち止まって考える必要があると思います。

 このようなネタで、これからも時々更新かけていきたいと思います。時々覗きに来てください。  店主敬白

 

 

12月24日(土曜日) WRTH2017

2017年版のWRTHが手許に届きました。写真左手は1962年版。両者の間には55年という歳月が…。

WRTH 1962 WRTH2017.jpg

内容を見ると、当然のことながら国の数、放送局の数、周波数等々とても大きな差があります。

ここ10年以内に世界で国際放送が始まって100年という節目がやってきます。いま、世界的に大きなメディア変革が起きています。インターネットがあたかもオールマイティーであるかのように勘違いされている面もあります。しかし、国境を越えて自由に情報の伝達・受信が可能なメディアは、やはり電波媒体、とりわけ短波を置いて他にありません。

情報の洪水の中で、ややもすれば我々は溺れて方向性を見失いがちなこんにち、自らの意思で海外からの放送を受信し、情報に直接触れることができるいわゆるBCLという趣味は決して時代遅れではないと感じています。

11月26日(土曜日) テーマ音楽発掘 ~ DW日本語放送 放送マガジン

 インターネットのアプリを使った、放送のテーマ音楽発掘作業を続けています。先日は、Radio Kuwaitの「夕刊 جريدة المساء 」というニュースショーのテーマ曲の原曲をついに発掘し、Youtubeで聴くことができました。アナウンスが乗っていない原曲を聴くのは初めてですが、まったく同じ演奏だ(当たり前ですが)ということに感動してしまいました。

 中東のラジオ局が使っていた楽曲の中には、アラブ音楽も多く含まれていて、残念ながらそれらは検索にひっかかってくれません。それでも30年以上前に聴いて、ずっと気になっていた楽曲の正体が徐々に明らかになっていくことに、その都度スリルと喜びを感じつつ作業をしています。

 中東のラジオ局のテーマ音楽について話をし始めるとキリがなくなる反面、多くの皆さんはRadio Kuwaitの「夕刊」などといっても興味がないと思いますので、詳細な情報はここでは割愛します。もし知りたいという方がおられましたら個別にメールでお尋ねくださればお答えしますね。

 そんな中、おそらく多くの方々が興味を抱かれるであろう楽曲を紹介しておきます。Deutsche Welle日本語放送の「放送マガジン」のテーマ曲の原曲です。Youtubeで Berry Lipman and His Orchestra – Amigos と入力してみてください。懐かしいあの曲が聴けるはずです。「放送マガジン」のテーマ曲は、なぜか強烈に印象に残っている楽曲の一つです。軽快なイントロの中にマリンバの旋律が入っていて、それを風呂上りの夕べのひと時に聴いたときの情景とともに蘇ってくるのです。皆さんも、それぞれの記憶の中にある特定のシーンと紐づいているメロディーがあるのではないかと思います。

 ほかにも懐かしい音の発掘を続けて、何か情報が出てくれば皆さんに紹介しようと思います。

11月5日(土曜日) BCLグッズ 巨匠のイラスト

 確かかなり前にも我がHPで紹介したことがあったかと記憶している、日本BCL連盟が販売していたBCLTシャツの話です。

 我が家には当時のBCL連盟からもらったTシャツが2枚現存しています。全部で3枚あったはずなのですが、たぶん1枚は捨ててしまったと思います。大事にとっておいたのではなく、かなり着込んでしまったものですが、シャツに描かれたイラストがかの手塚治虫さんによるものだということで、最近はなんとなく着るのをやめていました…

 しかし、綿のTシャツは、年月が経つとどうしてもシミが出てきます。しかも、何度も着てしまったものですから、正直なところヨレヨレになっています。

 それでも先日、酸素系漂白剤につけおきした上で煮沸してシミがどれぐらい抜けるかやってみました。その結果がこの写真です。見た目は大変きれいになったように見えますが、やはり細かいシミまでは消えませんでした。これ以上煮沸すると繊維自体がだめになってしまうので、ここまでにしました。

SN3V0044.jpg SN3V0046.jpg


 大御所手塚治虫さんに特別にイラストを描いてもらったものなのでしょうが、1970年代から80年代当時、BCLという趣味がいかに社会的に認知されていたかを示す遺産(?)の一つと言えるでしょう。

 とりあえずできるところまできれいにしたシャツは、折りたたんでクローゼットの中にしまってあります。

11月3日(木曜日) ブログの写真には注意

 先日、イラクのモスル付近で日本人がイラク当局に拘束され、日本政府が解放を求めているというニュースが報じられました。日本側のニュースを見ていると、フリージャーナリストが取材中に拘束された… と書かれています。

 しかし、この事件をめぐってイラク国内から発信されるツイートなどを見ていると、この日本人は「フリージャーナリスト」ではなく、「テロ組織ISの日本人協力者」だと見られていることがわかります。実際にそのようなキャプションがついた写真がアップされています。

 この日本人は、かつてISに日本人2人が拘束されているときには、自分がテロ組織の取材をしたことがあり、テロ組織とのパイプ役になれるのだと話していました。そして、テロ組織の指導者であるバグダーディーと一緒に撮った写真を自らのブログに掲載したりしていました。まぁ、結局人質の解放は叶わず、2人は殺害されたのですが。

 今回、イラクの人びとがこの日本人に厳しい反応を見せている背景には、この人物が単にバグダーディーとともに写真に写っていただけでなく、ISのポーズ(人差し指を挙げる)をニコニコしながらとっていることにあると思います。もし本当にフリージャーナリストで、ISのシンパでないのなら、バグダーディーと写真に写っても決してISのポーズをとるなどということはしないと、普通なら考えるのではないでしょうか。

 イラク当局は、おそらくこうした写真を含めて過去の経緯を厳しく質しているのだと思われます。この日本人が本当にテロリストたちを支持しているのであれば、正気の沙汰ではないと思われますし、そうではないというのであれば、過去の行為は軽率で無責任なスタンドプレーだったと言われても仕方がないのかもしれません。

 そういえば、ISに殺害された2人の日本人のうちの1人がブログに掲載した写真にも、武器を手にシリアの反政府勢力でISと対峙している勢力と一緒に写っているものや、日本の右翼軍国主義者と一緒に写っているものが多数ありました。その日本人がISに拘束されてすぐに、日本人のブログに掲載されていた写真がテロリストたちの間に拡散していました。そして、その人物が「スパイ」であると断定的に書かれていました。ISの理解では「スパイ」は即刻処刑ということになっています。ブログの写真によって自らを危険にさらしてしまったということでしょう。

 ブログに掲載している写真は、いまや世界中で見ることができ、何かあれば日本国内だけでなく全世界的に瞬く間に拡散する。たとえ日本語で書かれたブログでも、いまは電子翻訳があるので、その内容まで拡散していきます。SNSの便利さの裏にある恐ろしさに気づいていないと、思わぬところで足をすくわれかねません。

10月29日(土曜日) Radio Mosul復活 Radio Al-Bayanの今後は?

 イラクの各メディアは、テロ集団ISによって2014年から占領されているイラク北部の町モスル解放に向けて作戦が進んでいる中、国営ラジオのモスル局が放送を再開したと伝えています。

 モスル局の番組は、ネットストリーミングでライブで流れているので日本でも聞くことができます。時々サイトごと落ちていることがありますが、つながっている時には比較的安定して音声が聴けます。直リンクは: こちら です。

 ロイター通信が伝えるところによると、モスル局のスタジオは、モスルの南約60キロにある空軍基地に置かれているとのこと。放送の中で103.3MHzで放送を実施しているとアナウンスされています。放送が始まったのは10月4日といわれています。番組は、ニュースやIS支配下では禁じられている音楽のほか、モスルの住民に向けたさまざまなメッセージが頻繁に流れています。

 一方、2年あまりにわたってモスルを支配下に置いてきたテロ集団ISの放送、Al-Bayanのほうは、10月上旬以降一時聞かれていないという情報が、こちらもイラクのメディアから出ています。Al-Bayanのネットストリーミングはたびたび閉鎖を余儀なくされて、URLがつぎつぎと変わる状態が続いてきました。最近ではライブストリーミングが聞けない状態が続いていましたが、ここにきて一時的に(?)復活していることが確認できました。ただ、これはウエブ上でのストリーミング放送のこと。現地で放送されているとされるFMのほうは一部の報道によると、10月7日の空爆によって施設が破壊され、放送が出ていないとも言われています。ウエブ放送もモスルで放送を制作しているのかどうかはわかりません。

 空爆によって地元のラジオ放送の電波を沈黙させ、その代わりに米軍主導の放送を流す… というのは、アフガニスタンやサッダーム・フセイン政権下のイラク向けに行われた心理戦のプロセスと同じです。ただ、アフガニスタンやサッダーム・フセインのイラクと今回が決定的に異なるのは、もともとISはモスルの住民にラジオを聞くことを禁じてきたと言われており、もしそうだとすると国営ラジオのモスルからの放送が再開したとはいえ、どのぐらいの住民がそのメッセージを受信できているのかは不透明な状況だということです。家の中に隠し持っていたラジオをどのくらいの人が聞いているのでしょうか?

 ISはモスルの住民を「人間の盾」として利用していることは明らかで、民間の犠牲をいかに最小限に食い止めながらモスルの解放が行われるのか、状況は大変心配すべきものだと思います。

10月26日(水曜日) 追悼 肝付兼太さん

 ずっとこのことをこのページで書こうと思っていたのですが、きょうまでページを更新できていませんでした。

 去る10月20日、声優の肝付兼太さんが亡くなりました。80歳。まだ元気で活躍できる歳だったと思うと残念です。

 肝付さんというと、世間ではドラえもんのスネ夫の声があまりにも有名ですが、我々の世代ですと天才バカボンの本官さん(拳銃を撃ちまくるお巡りさん)をはじめとする様々なキャラの声、銀河鉄道999の車掌の声などでの活躍が思い出されるところでしょうか。

 しかし、海外放送を楽しんでいたいわゆるBCL世代にとっては、肝付さんといえば「ハロー・ジーガム」のイメージも強く記憶に残っているのではないかと思います。私も、肝付兼太=ハロー・ジーガム といっても過言ではないほど印象に残っています。このページでもハロー・ジーガムについて書いたばかりですが、当時中学生だった私が番組宛に送った投書を何度か読んでもらったことも記憶の片隅に残っています。そのときの録音が残っているはずなのですが、どのテープに収められているのかが定かではなく、今のところ探し出せていません。

 私はアニメファンというわけではありませんが、肝付さんをはじめ、昭和から平成にかけて愛されてきた声優さんたちがだんだんいなくなるのは残念なことです。御冥福をお祈りします。

10月9日(日曜日) 35年来の懸案がひとつ解けた!

 昔、ラジオで耳にした音楽のタイトルを知りたいと思ったことはありませんか。私はそんな経験がけっこう頻繁にありました。多くの楽曲はその後何らかの機会にラジオやテレビで耳にする機会に恵まれ、タイトルを知り、場合によってはCDを購入するという結果に終わっているのですが、中には手がかりがあまりなくて今まで「迷宮入り」していた作品もいくつかありました。

 スマホやタブレットを使っている方ならご存知だと思いますが、最近は市販されているCDの音を聞かせるだけで楽曲名やCD番号などが一発で検索できる機能(アプリ)があるのです。恥ずかしながらその存在を知ったのはごく最近のことです。で、早速そのアプリを使ってみると、面白いように楽曲情報が出てくるのです。一人感動し、興奮し、家にあるCDを聞かせまくったことはいうまでもありません。試しにクラシックの名曲をオーケストラを替えて聞かせてみたら、それでもほぼ正しい情報が出てくるのには本当に驚いてしまいます。

 そんなとき、ふと頭をよぎったのが、昔ラジオで聴いた楽曲でとても印象に残っている作品のことでした。35年前の夏、KBS第一FMの「番組案内」の時間にBGMとして流れていた局で、当時日本の自動車のCMにも使われていた記憶がありました。我が家のカセットテープの中に確かKBS第一FMをEスポの際に録音したものがあったはずだ、と思い出し、探してみました。昔のEスポを録音したカセットは整理が行き届かずにラベリングもできていないのですが、35年経っても「確かあのテープに…」というおぼろげな記憶が残っていましたので、あたりをつけて3本のテープを聴き始めました。1本目、冒頭のところでその楽曲とアナウンスが録音されている部分がビンゴ!で出てきたのですが、受信状態が悪く、楽曲の部分にアナウンスがしっかりと乗っているため、アプリが反応してくれません。確かにもっと長い録音で、しかも受信状態がよいものがあったはずだという希望を託して2本目。でも、録音されていたのは台湾のFMと中国のFMで空振り。そして3本目。吉林人民広播電台のFMの放送終了部分が録音されていて、その後に 出ました! 目的の音が入っていました。

 録音の冒頭はやはりフェーディングが酷く、しかも番組案内のアナウンスが延々と続いており、アプリが反応してくれなかったのですが、3分ほど経ったところでアナウンスが切れてBGMだけの部分がありました。受信状態も比較的安定していたので、ここぞとばかりアプリを起動して聞かせてみると… 35年間わからなかった楽曲のタイトルがしっかりと現れてくれました。このときの感動は筆舌に尽くしがたいほど… というとオーバーですが、まぁ本当に長い間の胸のつかえがとれたような清清しい気持ちにさせてくれました。

 曲名をもとにYoutubeで検索してみると、確かにその楽曲が!さらにググってみたら、この楽曲が自動車のCMに使われていたこともわかりました。ただ、自分の記憶ではトヨタのクルマだったと思っていたものはホンダだったということも判明。かなりいい線をいっていたということで、自分的には満足できる結果となりました。

 すぐさまAmazonでCDを探してみましたが、残念ながらアルバムは絶版のようで、MP3のダウンロードだけでしか楽曲は提供されていないことがわかりました。私は楽曲を「現物主義」で手許に置いておきたいものですから、とても残念ではありましたが、35年越しの執念が実っただけに、今回に限ってMP3ファイルを購入することでよしとすることにしました。

 結果に気をよくして他の録音も聞かせてみましたが、アラブ歌謡や各国の地元の演奏家が演奏している楽曲についてはアプリが反応してくれないケースが多く、やはり100%の解決とはいきません。

 とはいえ、技術の進歩のすごさは大したものです。あと数曲気になっている楽曲があるので、しばらくは謎解きを楽しんでいきたいと思っているところです。

10月8日(土曜日) 昔の記憶

 きのうの夜、古くからの友人たちと集まる機会がありました。ラジオが縁でつながった学生時代からの友人たちとは本当に長いつきあいなのですが、他愛もない話でいつもあっという間に時間が過ぎてしまいます。

 毎回驚いてしまうのは、みな昔の話をよく覚えていることです。「あのとき●●だった」「あのときあなたは△△と言った」等々、私がすっかり忘れてしまっていることを、まぁよく覚えていること。もちろんこまめに日記をつけていて、そこに時々の感想などをメモしている友人もいるのですが、それにしてもたいしたものだと感心することしきりです。

 私も1973年ごろから83年ごろまではLOGを残していますが、それはもっぱらラジオの受信に関してのこと。今思えば、LOGノートの端にでも一行日記のようなものを残しておけば面白かったのに、と思ったりもしますが、自分の大雑把な性格からするとたぶん三日坊主に終わってしまっていたことだろうとも思います。

 友人の一人が「日本BCL連盟」とわれわれにまつわる古い記録と記憶を年表としてまとめて持ってきてくれました。以前わたくしが「昔の記憶にあいまいなところがある」と話したのをうけて、調べてくれたものです。もう40年近く前のことも含まれているのですが、書かれた内容を読んでみると「確かにそうだった」という記憶が掘り起こされてきて、それぞれの日の天気のことまで思い出されたりして、新鮮な驚きがつまった貴重な資料です。

 去年同様の集まりを持ったときにも、かつてのいわゆるBCL全盛時代の記憶の一端を詳細にまとめた資料をつくってくれた友人がおり、こちらもきちんとファイルに入れて時々引っ張り出しては一人で思い出し笑いをしています。ただ、自分の発言などが記されている項目には、「若気の至り」で今となっては恥ずかしく感じる内容も多く、読み返すたびに反省することしきりです(笑)

 学校、とくに高校での記憶があまり鮮明に残っていない中で、なぜかラジオ関係の記憶は比較的よく残っており、さらにこのような資料でInspireされ、しばし記憶の活性化をさせてもらっています。ありがたいことです。

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