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中東と世界をラジオで聞く ~店主の独り言~

11月18日(日曜日) Radio Kuwaitその後

 Radio Kuwaitの英語15530kHzは、きょうはとても弱いです。1400JSTの放送開始部分ですが、1355ごろからすでに電波が出ていて、15515kHzのアラビア語総合チャンネルと同じ番組を流していましたが、1400JSTに時報が出て英語放送に切り替わりました。ただ、あまりにも信号が弱く、クウェート国歌もクリアには聞けないほどの状態でした。その後も受信状態はあまりよくならずに推移しています。

 一方15515kHzのアラビア語放送のほうは比較的きれいに聞こえています。SINPOで34443といったところでしょうか。きょうはJST1400のニュースを含めて「オマーンの第48回建国記念日」一色です。1430にニュースが終わった後は、オマーンの建国記念日にちなむ特別番組がずっと続いています。クウェートとオマーンは湾岸諸国6カ国で構成されるGCC(湾岸協力会議)のメンバーであることから、互いのナショナルデーには特別番組などを放送します。

 ちなみに、Radio Kuwaitからの周波数表のB18期分はいまのところまだ届きません。おそらく年明けにゆ~っくりやって来るものと思われます 笑

11月17日(土曜日) 古いラジオに灯を入れたのですが…

 我が家にはいわゆるアンティークの部類に入るであろう古いラジオが何台かあります。SONYの往年の名機と呼ばれたワールドゾーンシリーズのうち9と13、つまりCRF-5090とCRF-200や、TFM-2000Fなどのアナログレシーバーです。

 これらの受信機のうちTFM-2000Fは、わたくしがいわゆるBCLを始めたときに購入したワールドバンドラジオです。ただし、このTFM-2000Fは二代目。初代は酷使が祟って1980年代後半にお陀仏となり、この二代目が縁あって我が家にやってきたのです。チューニングがフライホイールのおかげでとてもスムーズです。当時スカイセンサーシリーズが出始めたときだったのですが、幸いにもICF-5800が「品切れ」状態だったためにこちらのTFM-2000Fを購入した(親に買ってもらった)のですが、このラジオがなければいまのわたくしは存在しなかったであろうほどの影響力がありました。感度も音質も、当時のラジオの中ではかなりよかったと思います。我がHPのインターバルシグナル・アーカイブの受信音の多くがこのラジオで集めたものです。音質のよさは、当HPでアップしている音声を聴いていただければわかるのではないかと思います。

TFM 2000F 近影

 実はこのTFM-2000Fですが、ここ1年以上「灯入れ」をしたことがありませんでした。そもそもラジオをたくさん所有していても聴くのは所詮数台がせいぜいというところです。しかも、この二代目についても経年劣化が著しく、接点はガリガリでバンドの切り替えもうまくやらないと音が出てこないという状況です。だからこそもう少し頻繁に電源を入れてやる必要があるのでしょうけれど。きょう、部屋を片付けながら、ふと電源を入れてやろうという気になり、久しぶりにコンセントにつないで音を出してみました。ところが、案の定スイッチを入れてもウンともスンともいいません。ついに完全に壊れたか、とがっかりしつつ、それでもバンド切り替えのロータリースイッチをガチャガチャ動かしていた、突然「ガ~~~~」というノイズが発生し、音が復活しました。チューニングしていくと、中波とFM、そして短波の4つのバンドのうち一番高いバンドで放送が受信できました。ただ、接点が不安定なので突然音が聞こえなくなったりします。短波の1~3までのバンドでは「ラジオNIKKEI」すら受信できず、これはもう少しガチャガチャやらなければならないようです。いま、何の意味もなく中国語局を受信して音声を出しています。しばらく音を出したのちに、片付けようと思います。

 さて、往年の名機のうちCRF-200(いわゆるワールドゾーン13)についても電源を入れてみました。仕事関係の先輩から90年代前半に譲り受けたラジオですが、こちらもかなり悪い状態でして、中波と長波、FMでは放送が受信できますが、ロータリースイッチで選択する短波のほうは残念ながらガリガリいうばかりで放送を受信することができません。一年以上前に電源を入れたときにはそれなりに放送が聴けていたので、こちらも接点の問題かと思います。このラジオもスピーカーが大きめなので音質は良好。FM放送を聴くには十分かなと思います。CRF-200は、AC電源コードの形状が古いソニーの4穴仕様です。

 もう一台のCRF-5090は、どうやらコンデンサーが飛んでしまったようです。前回灯入れしたときに、すでに大きな音が出なくなるなど、厳しい状態だったのですが、ついに… こうした古いラジオを修理してくれる人が何人かおられるようですが、それなりの費用もかかるようなので、5090はあきらめようと思っています。5090はこのCRFシリーズの中では唯一エア・バンドが受信できます。ただ、エア・バンドについては我が家にはICF-2001Dという心強いラジオがおりますので、わざわざ5090で受信する必要はありません。

 古いラジオを大事に持っていても何になる?と思いつつ、でもいまのところはまだ廃棄する気にはならないですね。

11月16日(金曜日) 録音文化の日 だって!

 きょう、11月16日は「録音文化の日」なのだそうです。ネットで調べてみたら「1878(明治11)年のこの日、東京大学に招聘されていたイギリス人外国人教師ジェームズ・ユーイングが、持参した蓄音機を使って日本初の録音・再生の実験を行った」ことを記念して定められた(誰が?笑)ようです。

 録音技術はその後、磁気テープから光ディスク、HDDやカードへと進化してきました。録音技術もアナログからデジタルへと変化してきました。いまでは、個人レベルでデジタル録音が可能で、さまざまな大事な音源を劣化させることなく保存することができるようになっています。媒体自体が劣化しなければ、という条件つきではありますが。

 我々が子どもの頃はCDなんてものはありませんでしたし、自分でそのようなものを製作できるなどとは想像もつかなかったことです。さらに、いまはメモリに音源を保存する時代となり、複製や持ち運びが容易になりました。ただ、個人的にはやはり「何かが動いていないと物足りない」という気持ちがあり、音が録れているのかどうか、とても不安になってしまうのも事実です。

 当ブログでも何度か書いてきましたが、いまわたくしが直面している喫緊の課題は、古いカセットテープの音源をデジタル化して保存するにはどうすればよいか、どうすれば手間がかからずにそれができるか、です。この作業、手間がかかります。カセット音源を流しながらデジタル化するので、確実に「実時間+α」を要します。自動的に音源をMP3に変換できるカセットプレーヤーが発売されているのですが、どうやら音質が悪いようで、また回転の安定度も低くていわゆる「ワウる」らしいのでこれは論外。結局のところ長く使っている大型のカセットレコーダー(これが大事です、回転が安定しない小型のプレーヤーは論外なので)から、デジタル録音機に音を流し込んで、こまめにデジタル化するしかない状態です。幸いなことに我が家の音源(カセットテープ)には「カビ」は発生していないので、あとはテープが切れないことを願うばかりです。

11月11日(日曜日) Radio Kuwaitの英語放送~ペルシャ語放送の冒頭 15530kHz

 インドのチェンナイ在住のSekar PS氏からRadio Kuwaitの英語放送(アジア向け)が15530kHzで受信できると報告があり、当方でも試してみたところ、比較的良好に受信できています。JST1600過ぎからSINPO34343程度と安定しています。Radio Kuwaitの英語アジア向け送信はA18期までは11970kHzで出ていることになっていたのですが、日本での受信状況はよくありませんでした。また11970kHzはDRMモードでの送信だったようですが、15530kHzはAMモードでの放送です。

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 この時間の英語放送は国内向けに93.3MHzで放送されているマルチリンガルネットワークで放送されているものを海外向けにも出しています。英語放送はその編成の一部です。このネットワークはRadio Kuwaitのネットライブストリーミングでは提供されていません。英語の時間はJST1400から1700と0200から0600で、0200からの放送も海外向けに短波送信されています。この放送は国内向けも兼ねているので、クウェート内務省からの交通違反への注意喚起がアナウンスされていたりします。

 Radio Kuwaitの英語放送は、ニュースと文化番組以外は欧米のポップスやラップなどを流しています。また曲の合間にはIDがあまり出ませんので、ちょっと聴いただけではこれが中東からの放送かどうかわからないぐらいです。その昔、Radio Kuwaitの英語放送は、イージーリスニング曲をたくさん流していました。

 JST1757から英語放送の終了アナウンスが出て、クウェート国歌で終了。そのまま時報をまたいで次のペルシャ語放送(Seday-e Farsi az Radyo Kuwayt)がこの周波数で出てきました。ペルシャ語放送もIDのあとクウェート国歌、コーラン朗誦で放送を開始しています。Radio Kuwaitのペルシャ語放送を良好に受信したのは多分初めてだと思います。と、書いていたら1707JSTに電波が突然切れました。周波数の切り替えが遅れたのでしょう。うっかりしていてペルシャ語放送の開始アナウンスで周波数をどうアナウンスしているかを聞きそびれましたので、次回までの宿題としておきます。Radio Kuwaitから周波数変更の情報が届くのは恐らく数か月後になると思うので、それまでに自分で確認します。

11月10日(土曜日) ベルリンの壁崩壊から29年

 きょうはベルリンの壁崩壊から29年にあたります。1989年のきょう、わたくしたちはテレビでベルリンの壁が崩壊する様子、正確には人びとが壁の上にのぼって壁を壊す様子など、を目の当たりにしました。歴史が大きく動く瞬間をニュースで知ったのです。ベルリンの壁崩壊当日ほど「現地にいたかった」と感じたことはありませんでした。 

 1980年代の前半には東西冷戦がこのようなかたちで収束に向かうとは想像もできないことでした。そしてこの後2年ほどで東側諸国では政変のドミノが起き、国際秩序は瞬く間に変化することになりました。

 東西冷戦が収束したときには、これで平和な世界が実現するかもしれないとの期待が広がった(少なくとも私はかすかな期待を抱いていました)のもつかの間。世界は地域紛争と対立の渦に巻き込まれていきます。ソ連の崩壊とともにソ連軍が撤退したアフガニスタンではさまざまな軍閥が勢力争いに明け暮れるようになりましたし、東西冷戦構造の崩壊とほぼタイミングを合わせたかのように90年8月にはイラクがクウェートに侵攻し、さらに93年には統一まもないイエメンで武力紛争が勃発しました。世界各地で宗教の名を騙る過激主義者グループなどの台頭もあって、その後こんにちまで国際社会は安定とは程遠い状況が続いています。

 余談ですが、わたくしが好きな曲のひとつにドイツのバンドScorpionsのWind of Changeがあります。ご存知のとおり東西冷戦収束を象徴する名曲です。

11月9日(金曜日) 1976年のきょうのLOGから

 ブログの更新が滞り気味なので、ここで久しぶりに昔のLOGを引っ張り出してお茶を濁してみます(笑)

 きょうは1976年11月9日の受信記録です。42年前ということになりますかね。信じられません。そんなに昔のことになってしまったとは… 例によって、時間(JST)、周波数、局名、使用言語、受信状態(SINPO)の順に記載しています:

0130 9525 Trans World Radio Monte Carlo in Bulgarian 23432
1200 9785 Radio Kiev in English 34433
1345 15400 Radio Bangladesh GOS in English 34443
1500 15100 ORF Austria in German 34433
1530 6095 HCJB Quito in English 43443
1640 11815 Radio Free Europe in Hungarian 44433
1620 15305 Swiss Broadcasting Corporation in English 44443
1630 15415 Radio Prague in English 23432
2120 6383 Radio Ulan-Bator in English 44433
2300 11740 Radio Netherlands in English 44443
2330 7345 Radio Prague in English 33443

 と、あまりたいした局は聞いていなかったのですが、このLOGからは、チェコスロバキアのRadio Pragueのアジア向けを21700kHzではなくて15415kHzで聴こうとしているなど、ハイバンドの状況が芳しくなかったことが伺えます。たしか、翌年の1977年の冬あたりが最悪のコンディションだったように記憶しています。ラジオが壊れたのかと思うぐらいハイバンドが静かだった時期でした。

11月3日(土曜日) 箱根にススキを見に行ってきました

 きょうは文化の日です。しかもいつの間にか11月です。ことしも残すところ2ヶ月を切ってしまいました。早いです、時間が経つのがめちゃくちゃ。

 南関東地方は朝から曇りがちだったのですが、これまで毎年行こうと思いつつ行けなかった箱根の千石原のススキを見に出かけることにしました。電車にしようか、クルマで出かけようか迷いましたが、けっきょくクルマで向かうことにしました。渋滞を覚悟で…

 高速道路は案の定渋滞してました。そして箱根方面に入ってからも、湯元のあたりがひどい混雑。「あ、ここは大学駅伝が走るところだ...などと気を紛らわしながら箱根路をノロノロと走っていくと、目の前にススキの野原が見えてきました。でも悪いことに雨が降り出しました。空を見ると雨雲がびっしり。

 雨が降ってきたためか、駐車場からは早々に出て行くクルマが多く、意外にも待たずにクルマを止めることができました。傘を手にススキ原に向かうと、運のよいことに雨が上がり薄日が差す展開に… 

 旅のガイドブックにも載っているし、この季節になると新聞をはじめとするメディアでこのススキの原っぱのことがとり上げられるので期待していたのですが、正直なところ「まぁ、こんなもんかな…」という感じでした。規模感といい、風景といい。真っ青な空の下、風が適度に吹いていたらまた雰囲気が違ったのかもしれないな などと思いつつ、数年越しの念願がかなった一抹の達成感とともに山を下りることにしました。

 それにしても、わたくしは基本的に混雑する場所が大嫌いなので、きょうはほんとうはどうなるか心配だったのですが、途中の渋滞はあったにせよ意外にスムーズに行き来できたことにホッとしました。これぐらいなら行楽地も悪くないかな…という感じで。

11月2日(金曜日) Radio Kuwait 安定して受信できています

 今週の日曜日、つまり10月28日から国際放送の世界ではB期に入っています。周波数変更を行った放送局も多いと思います。表題にも書きましたが、クウェートからの短波放送極東向けは周波数変更がありませんでした。依然として15515kHzでアラビア語総合番組が安定して受信できます。送信されている時間は以前と変更なくJST1400から1800です。

 短波による送信自体、多くの放送局が規模の縮小を続けている中、BBCなど大手については「下げ止まり」を見せています。短波の有効性が低下しただとか、無用になったとかという議論がある中、やはり有事、天災などのときには電波媒体は重要です。とりわけ国境を簡単に越えられて、しかも受け手側でも電池があれば何とかなるというラジオ媒体の重みは消えていません。一度手放してしまうと、短波の大規模な送信設備を建設することはなかなか難しいことなどもあります。Radio Kuwaitも含め、そう簡単に「All or nothing」の判断を下すことはできない という考えが根底にあるとすれば、それが国際放送機関の矜持というものだと思います。

 という話をしたばかりで恐縮ですが、やはりエジプトのラジオ国際放送Radio Cairoの様子が変です。2017年ごろから海外のDX関係サイトなどで、エジプトのRadio Cairoの短波周波数が受信できなくなっているという報告が出始めて、確かに殆どの周波数が聴取不能に陥るという事態が発生しています。電波を出している送信時間帯もあるようなのですが、実情はどうやら政府の予算が送信機の保守点検にまわらなくなっているために、電波の質が著しく劣化している様子です。欧州で受信されている一部送信についても、メンテナンスが悪く、音質が劣悪なほか、周波数が安定しておらず、また信号もあまり強くないという状況です。

 Radio Cairoの国際放送部門に勤める知人に尋ねてみると、ラジオ国際放送Radio Cairoの廃止という具体的な話はまだ出ていない様子ですが、局員たちはなんとなくそのような空気を感じているとのことでした。エジプトの短波放送というと、かつて70年代から90年代初頭にかけては多くの周波数を使用して、中東およびアフリカを代表する国際放送だったのですが、いまは見る影もありません。

 エジプトはテレビ国際放送もいくつかのチャンネルを運用していますが、見ていてもあまり面白味がありません。Nile TVでは英語、フランス語、ヘブライ語のサービスを実施していますし、ESC(Egypt Satellite Channel)は国内向けの番組を抜粋編成して放送していますが、いまだに「エジプト考古学の旅」などという悠長で代わり映えのしない番組を垂れ流しています。ラジオもテレビもチャンネル数だけは多いのですが、そもそも何をどう伝えるかというポリシーがエジプトの国営メディアにはないのが問題です。

 いずれにしても、エジプトの短波国際放送は、2011年のムバーラク政権崩壊後のエジプトの政治的混乱の中で忘却の彼方へと押しやられてしまった感じがあります。短波もネットも失って、制作された放送番組は出口に何を見出すのでしょうか…

10月28日(日曜日) 謎の?小型ラジオ SONY ICR-5

 引き出しを整理していたら、小さな中波(AM)専用の、しかもどう見ても学校の理科の実験用じゃないのかと疑うようなSONYのラジオが見つかりました。そういえばそのようなものが存在したかもしれない、見たことがあったかもしれない、という記憶はおぼろげにあるのですが、いつ、どのような状況でそのラジオを手に入れたのか、まったく記憶がありません。ICR-5という型番をSONYの商品検索で調べてみましたが、該当がありません。ネットで検索をかけても、当該の型番はヒットせず、当然のことながら写真も見つかりません。

 このラジオ、小さなプラスチック(ポリプロピレン?)のケースに入っていて、チューニングダイヤルやボリュームつまみが申し訳程度についています。単5型乾電池2本で動作します。専用のイヤホンで聞く方式で、スピーカーはついていません。取り扱い説明書を見ると、1988年という数字が書かれています。とてもシンプル、というかきわめて安っぽいつくりです。

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 わたくし、このラジオを入手した(であろう)88年当時から乾電池を一度も入れ替えたことがありません。というか、裏蓋を開けたこともありません。しかし、スイッチを入れるといまも問題なく放送を聞くことができます。結構感度はよいようです。ふつうなら30年前のラジオに乾電池を入れっぱなしにしていれば液漏れしてつかいものにならなくなると思うのですが、奇跡的に無傷です。

 いつ、どのような目的でSONYが販売したラジオなのか、謎の小さなラジオ。しかもめちゃくちゃ基本機能しか備えていないラジオですが、災害時など緊急事態になるとこうしたラジオが実はもっとも力を発揮するのかも…。きちんと包装して我が家のラジオラインナップに収めるこにします…

10月27日(土曜日) DATテープの音源

 DATテープに収められた音源を別のメディアに移し替える作業を始めました。DATテープをお持ちの方は意外と少ないのではないかと思います。ちょうどカセットテープからMDに移行する時期に、併行して存在した録音媒体だったのですが、頭出しなどがMDほど簡単ではなかったことや、テープ自体の耐久性にも問題があって、流行らずにいつのまにか消えてしまった感があります。

 我が家ではMDとともにDATに録音された音源が複数存在します。ところが、貴重な音源の一部を別メディアに移し替えようとした際に、なんとテープが切れてしまい、永遠に再生ができなくなったものがあるのです。幸いにもその前にカセットテープに音声をコピーしていたので、音質は少し落ちるものの音声そのものが失われることだけは避けられました。原因は我が家のDATデッキとテープの相性がよくなく、おそらくテープを引っ張る力が強すぎたためだと思われます。

 どうしようかと思っていたら、知人が使わなくなったDAT WALKMANを貸してくれました。すごいですね、WALKMANにDATヴァージョンがあったんですね。こちらのほうはどうやら引っ張る力はさほど強くないようで、心配していたテープの断裂はいまのところ発生していません。1993年のイエメン内戦のときの録音や、1991年の湾岸戦争の際のさまざな放送の録音などが甦りました。2000年のユーゴスラヴィア民主革命の際のRadio Yugoslaviaの録音も残っていました。確か、アフガニスタンのRadio Shari'ahが放送した「オサーマ・ビン・ラーディンは我々の客人だ」という声明もあるはずなので、探しているところです。

 技術の進歩はメディアの進化をもたらす一方で、アーカイブ映像や音源の継承を難しくするという側面があります。以前にも話したことがあると思いますが、どこかでデジタル化をしたり、デジタル音源を他の媒体にまとめて移したりと、タイミングを逸することなく作業をすることが求められるのですが、とてもそんな作業をできるだけの余裕がありません。聴けなくなる、見られなくなる前に何とかしなければ…

10月26日(金曜日) 日本人ジャーナリスト解放

 シリアで長期間拘束されていたフリージャーナリストが無事に解放されて帰国しました。一時はダメかと思われましたが、生還という結果になりました。拘束されている期間に何が起きたのか、拘束していた集団の正体は何かなど、今後真相が徐々に明らかになると思われます。ジャーナリスト本人も、話すことが義務だと語っていますから。

 先日の、トルコでのジャーナリスト殺害もそうですが、事件が起きると(解決した場合も)さまざまな「識者」たちがメディアに登場してその背景などについて分析して話をします。まぁ、何をどう語ろうと勝手ですが、「識者」たちの話をきいていると彼らの中にどれだけ「一次情報」を自分の力やネットワークを通して得ている人がいるのかなぁ と思ってしまいます。他のメディア情報をかき集めて「まとめサイト」のような解説を行う人や、Assumptionに基づくコメントをする人もいるようですし。まぁ、どの世界にもそういう動きはありますね。

 メディアを賑わす人たちの中には立場上「知ったかぶり」をせざるを得ない、というか「知らない」と言えないケースもあるかもしれません。よく見ていると、たとえば元々はイランの研究をしている人なのに、なぜか中東情勢やイスラム全般についてのコメントを求められているケースなどがあり、なんとなく危うさを感じてしまうことがあります。ゲストとして無理に専門外のことをコメントさせられることでその人の信憑性が低められてしまうというリスクもあるのではないかと… でも「これはわたくしの守備範囲外なので、わかりません」とは言えない立場、場面設定があるのでしょう。かなり荒っぽいと感じます。

 今回の日本人ジャーナリスト解放をめぐっては、実行犯グループの上部組織だとの疑いがかかっている急進派グループはウエブ上で嫌疑を否定する見解をいちはやく発表しています。そして「シリアの現状を外国人のジャーナリストに知らしめることのほうが大事だという見地に立つと、我々は彼ら(外国人ジャーナリスト)を守ることはしても拘束して身代金を求めることなどない」とも述べています。さらに、この組織に近いグループによるとみられるニュースサイトでは「現在のシリアの真実を本当に外国のジャーナリストに知られたくないのはアサド政権側だ。拘束事件はジャーナリストに取材を思いとどまらせたい、政権側の息がかかったグループによるものだ」とまで述べています。

 身代金については、あるサイトでは100万ドル(1億1500万円)、またあるサイトは300万ドル(3億4500万円)だったと伝えています。「日本政府は身代金の支払いを拒否したが、複数の人間が金策に動いた結果としてカネは動いた」と伝えているサイトもあります。日本政府は身代金の支払いを拒否したとのことですから、支払い自体もなかったと当然否定すると思いますが、たとえば巷間伝えられているようにカタル政府が立替を行ったとしたら、その後政府間支援など何らかの形で日本政府からカタル政府にカネを支払えば帳尻が合います。

10月21日(日曜日) アンテナ品切れ

 親戚の家でテレビが映らないので調べてほしいという要請があり、でかけてきました。

 そういえば、いつもは道路から見えているはずのUHFアンテナが見えません。親戚の家は陸屋根なので脚立を使って屋根の上に上がってみたら、先月の台風で見事にアンテナが崩壊しておりました。経年劣化でアンテナポールが錆びていたこともあり、真っ二つに折れて、屋根の上で残骸となっていました。逆に、これでよく一部のチャンネルが映っていたと感心するほどでした。

 早速配線の状況をチェックして、必要な部品をホームセンターで調達することにしました。我が家の近所には大型のホームセンターが2つあるのですが、出かけてみてビックリ! アンテナ関係の品物がほとんどないのです。店の係員に尋ねてみたら「台風の影響でアンテナが品薄になっていて、次は何時入荷するかもめどが立っていない」という返答。

 結局、壊れたアンテナを何とか補修して、新しいアンテナが入荷するまでのつなぎとして応急措置を講じることしかできませんでした。考えてみたら、確かにアンテナが折れたり飛ばされたりした家が我が家の近所にもいくつかあります。そこまでの被害でなくとも、いわゆる「屋根馬」がずれてしまっている家が散見されます。こんなところにも台風の爪あとがまだ残っているとは驚きました。それでもアンテナ程度でゴチャゴチャ言っていられる我々はむしろいいほうです。まだ被害から復旧できていない地域のみなさまのことを考えると…

10月20日(土曜日) 記者暗殺

 トルコのサウジアラビア総領事館で行方不明になったジャーナリストは、どうやら殺害されたらしいことがわかってきました。サウジアラビア政府はジャーナリストが死亡したことを認め、総領事館内での「個人的な」喧嘩が原因だったことにするようです。この事件がどのように決着するか、とくにサウジアラビアがどう言い訳をでっち上げるかに注目してきましたが、サウジアラビア側の発表に「なるほどそういう話にするんだ」と思わず口走ってしまいました。

 トルコ政府側があんなにいろいろと証拠(といわれるもの)を公開して、サウジアラビア側から多くの実行犯らしき男たちがトルコに入国し、その日のうちに出国するという事実が映像つきで流れている中で、要するに「どんなウソをつくんだろう?」と興味がありました。

 サウジアラビア内政、トルコとサウジアラビアとの関係など、背景には複雑な要素がからみあっているようです。わたくしは実際の音声を聞いていないので、正直この事件そのものについてコメントすることはできません。さまざまなメディアが伝える情報がどこまで信憑性があるかもわからないですし。

 ただ、この事件に関する報道を見ていて、アラビストの端くれとして違和感を禁じえないのは、殺害されたであろうジャーナリストの名前のことです。

 日本のメディアは「カショギ記者」という呼び方をしていますが、なんでこんな音になるのかわかりません。この記者の名前はアラビア語ではجمال خاشقجي アルファベット表記をするとJamal Khashuqjiとなります。「ジャマール・ハーシュクジー」という音がもっとも正則語に近いのです。

 「カショギ」という読み方は、かなり無理があります。アラビア語の破裂音であるKh音が日本語にはないため、しばしばKhの音を「カ」と表記するケースが見られ、今回もそれが採用されているようですが、その後のQ音とJ音の扱いも変なのです。サウジアラビアではQの音をGと発音しますが、逆にJの音はJです。Jの音をGと発音するのはエジプトとイエメンです。ですのでサウジアラビアでの読み方では「ジャマール・ハーシュグジー」となるべきです。

 実のところKh音を「カ」と読むかどうかはカタカナや英文字表記に転記する際の規則はありません。なのでメディアなどではKh音の扱いにはブレがあります。逆にKh音がいつも「カ」と表記されるかというと、そうではないケースの方が多数です。Khameneiというイランの宗教指導者の名前は「カメネイ」ではなく「ハメネイ」ですし、アルジェリア系フランス人のライシンガーであるKhaledも「カレド」ではなく「ハレド」として知られています。わたくしは、Kh音は常に(一部すでに定着しているものを除いて)「ハ」と表記するようにしています。そのほうが原音のニュアンスに近いと考えています。

 細かいことを言っても読んでいるみなさんにはわからないと思うので、これで止めておきますが、日本のメディアにおいて(欧米においてもそうかも)のアラブ・イスラム系の名前の読み方にはときにきわめて不自然あるいは奇怪なものがあり、今回の「ハーシュクジー記者」の名前の表記もその一つです。

10月19日(金曜日) 少しスッキリした話

 以前このブログで、最近やたらと「日本すごい」「日本人すごい」という内容のテレビ番組が多い気がすると書きました。違和感バリバリで、決して日本はそんなに特別ですごい国でもないし、日本人としてここに住んでいて民度が低いことを痛感することもしばしばなので、これは一体??と思っていたのです。

 知人の中にはわたくしの感覚・違和感に賛同する人もいますが、そんな違和感はないという人もいます。果たしてこのページをごらんの皆さんはどう感じているのだろうかと思っていたら、最近になって「東洋経済」のウエブサイトに記事が掲載されていて、その見出しが「日本賞賛番組の信憑性」というのです。

 この記事はフリーライターによるもののようですが、中身は要するに海外からこの種の番組を見たときの違和感について書かれています。その記事は<<こちら>>

 記事の内容はわたくしが感じていたモヤモヤとした不快感と違和感をある程度共有できるもので、読んだ後少しスッキリしました。自分の感覚とある程度同じベクトルを共有している人がいるのだと。

 いろいろと人の話を聞いている中で「テレビ局が外注するプロダクションに対して広告代理店などからこの種の番組を制作すると「ご褒美」がもらえる。そのお金はもともとは政府から出ているが政府が直接関与するのではなくて、大手広告代理店などを経由している…」といった情報を耳にすることがありました。真偽のほどはわかりませんが、まんざらありえない話ではないと思っています。本当だとしたら、まさに戦前のプロパガンダみたいです…

10月14日(日曜日) 悪夢

 きょうも仕事でした。

 多忙だからとか、ストレスフルだからという理由じゃないとは思うのですが、このところまた「悪夢」をよく見ます。もともとわたくしは夢を見ること(見た夢を覚えていること)があまりなかったのに、ここにきて夢をよく見るようになってきました。しかもこの数か月というもの、頻繁にいやな夢、悪夢に遭遇するのです。(ことし3月8日のブログも参考にしてください)

 3月のブログでは「自分が死ぬ夢」をよく見ると話しましたが、ここにきてもっとも多いのが、国際線のフライトの時間が迫っているのに、まだ全然遠方にいて、当然のことながら間に合わない…というシーンです。これが何度も出てきます。しかも、夢の途中で目覚めて「あ、夢だったんだ。よかった」と安心して再び眠っても、また悪夢の続きが出てくるというたちの悪さです。個人的な経験で、国際線のフライトに間に合わないなどという経験は一度もしたことがないので、何らかのトラウマというわけではないと思います。

 もうひとつ、これも最近時々出てくる悪夢なのですが、地震が起きて日本のある有名な海岸地帯がドカーンと海中に沈没するというシーンです。夢はかなり現実的で、夢の中では海岸線が数十キロにわたって海中に沈んでいってしまうのです。海岸線だけでなく、数キロ内陸までも海底に沈没するという恐ろしい映像つきです 苦笑 

 これはおそらく最近日本各地で地震が相次いでいて、深層心理で「また恐ろしい災害がもたらされるのか…」などと考えているからなのかもしれません。現実の世界でこのようなことが起こることはまず絶対にないと信じたいところですが、目覚めはよくないです。朝からとても疲れてしまうのです。

 なんか幸せな、目覚めたときに「もっと見ていたかった」と思えるような夢に遭遇したいものです。

10月13日(土曜日) 週末の渋谷スクランブル

 今週末は土曜日、日曜日と仕事で東京方面に出かけることになってしまいました。きょう土曜日の昼前、世界中に知られるようになった渋谷のスクランブル交差点を歩きました。

 以前にも書いたかもしれませんが、いま、渋谷のスクランブル交差点を眺めていると、多分そこにいる人たちの3割ほどは外国人だと感じます。日本人と見分けがつかない台湾や中国などからの人もいるとして、ひょっとして時間帯によっては4割ぐらいが外国人かもしれないです。それぐらいすごい。聞こえてくる言語もさまざまです。

 スクランブル交差点の何がおもしろいのかはあまり理解できませんが、彼らのほぼ全員が交差点の写真を撮影しています。交差点はただでさえ混雑しているのに、グループで固まって記念写真や自撮りをするものですから、歩くのに邪魔になります。交差点の真ん中であれこれとパフォーマンスまがいのことをやる連中もいて、信号が赤になっているのに中央分離帯に取り残される人もいます。ちょっと危ないかな?

 来日外国人が増えている中で、時代の流れを感じさせることがひとつあります。それは、かつて外国人から時々道を尋ねられたことがあったのが、ここ数年はぜんぜんそのようなことがなくなったことです。皆、スマホやタブレットで地図情報を見ながら目的地に向かっているので、わざわざ日本人に道を尋ねる必要がなくなったということなのでしょう。こちらとしては、時々珍しい国からやってきた旅行客と話してみたいという気持ちになることがありますが、技術の進歩というのは、海外旅行のスタイルまで大きく変えているんですね。

10月12日(金曜日) 涼しくなると分厚い音が心地よくなります

 毎日めっきり涼しくなってきました。涼しくなると夏の間は聞く気にならなかった重厚なクラシックなどの音楽を聴きたくなります。逆に夏の音楽はなんとなく軽く感じてしまいます。これは音楽のせいではなくて、自分の中でそういたジャンル分けが行われていて、季節と音が関連付けられているのだろうと思います。

 夏の音楽の代表というと、とても単純ですがわたくしにとってはハワイアンです。それも、スチールギター系の楽曲ではなくてなぜかビリーヴォーン楽団のそれがとても気に入っています。ビリーヴォーン楽団はアメリカのオーケストラで、1950年代から70年代に日本でも一世を風靡しました。日本公演も何度も行っていて、わたくしも小学生の時代に親と一緒にコンサートを聞きに行きました。わたくしのひと回り上の世代のみなさん辺りは、ハワイアンのブームを体験された方も多いようで、先輩方の中には大学でハワイアンバンドを組んでいたという方もおられます。その方とカラオケに行くと、自然と一緒にハワイアンを歌ってしまいます 笑

 ビリーヴォーン楽団の演奏はいまも結構耳にします。FMラジオを聴いていると番組のテーマ音楽として流れていることが多く、世代を超えて受け入れられている音楽という感じです。でも、ビリーヴォーン楽団の明るいハワイアンは真冬には少し不向きかもしれません。

 一方で、寒い季節に聞きたくなるのはクラシックの名曲の数々でしょう。特に交響曲など、じっくりと腰を落ち着けて聴くような楽曲です。小編成の弦楽曲もなかなかいいです。チャイコフスキーの交響曲1番なんか、ほんとうに雰囲気があっていいです。その昔、東京のサントリーホールにマリス・ヤンソンス率いるオスロフィルがきて、チャイコフスキーの1番を演奏するというので聴きに行ったことがあります。第一楽章のバイオリンの囁くような導入部を聴いただけで鳥肌が立ち、思わず失禁しそうに(失礼!)なったほど感動したことを思い出します。

 BCLを趣味としている人たちの中には、意外に多くのクラシックファンがおられるようです。国際放送局のテーマ音楽などを通してクラシック音楽に触れるという経験も、クラシック音楽のファンになるきっかけになったりして。

 きょうはとんでもない駄文を重ねてしまいました(いつものことですが)。物憂い午後のひと時や夜の時間帯にじっくり音楽を聴くのが心地よい季節を楽しみたいと思います。

10月8日(月曜日) ない、ない と思っていたものが…

 ものが行方不明になるときというのは、往々にして無意識のうちにどこかに置いたり仕舞い込んだりというのが原因ですが、意識的に片付けたものであっても時が経つにつれて忘却の彼方に追いやられてしまうものです。

 きょう、本棚を整理していたら、ある本の「しおり」として昔のベリ・カードが挟まっているのを発見しました。アフガニスタン関連の書籍で、挟まっていたのはRadio Afghanistanのカード。その本は2007年発行のもので、筆者からもらった時に一気に読んだきりになっていますので、しおりとして挟んだベリ・カードは10年以上そこにとどまっていたことになります。

Radio Afghanistan QSL


 時折古いベリ・カードを整理したりする中で、どうもRadio Afghanistanのカードが一枚行方不明になっているようだということには気づいていました。しかし、まさか本のしおりとして使ったとは! 全然記憶に残っていないのです。わたくし、基本的には書籍類を処分することは好まない上に、万一処分する際にはきちんと中をチェックするようにしているので、間違ってもこのカードを捨てることはなかったと思いますが、それにしても、偶然手にした本の中から10年以上ぶりにカードがポロリと出てきたことには驚きました。

 10年間本の中で過ごしたカードは、いい感じにプレスされていて、しわがとれてピンと張った感じになっていました 笑  実は我が家には「あるはず」のベリ・カードで行方不明になっているものがあと数枚あります。どこにしまいこんだのか、見当もつきません。またひょんなことから「こんなところに!」という驚きの発見があるかもしれません。

10月7日(日曜日) そういえば…

 イラン国営ラジオの海外向け日本語放送の短波・ネットによる音声サービスが9月22日を最後に打ち切られたというニュースは、みなさんご存知の方も多いと思います。1999年7月に日本語サービスが始まったときには、中東から唯一の日本語放送だということで、久しぶりに日本語放送が「増える」という明るいニュースとなりました。

 今回のサービス廃止の理由は明らかにされていないものの、おそらくはコストパフォーマンスが悪いと判断されたからだと思われます。他の国際放送局と同様に、IRIB日本語サービスもネットの文字情報に特化したサービスへと形態の変化を余儀なくされたのだろうと。日本語放送(9月21日)の中では「今回のラジオ放送の停止は、ラジオという古いメディアから現代的なメディアに移行しようというIRIBの方針の一環であるようです」という話も出ていましたが、果たしてどうでしょうか。そもそも「ラジオが古いメディアだ」と言い切って、切捨ての大義名分にする風潮には同意しかねます。電波媒体(あるいは少なくとも音声サービス)を手放した国際放送でうまく顧客を掴み続けられているところは皆無だといえ、IRIB日本語サイトの将来も決して明るいものではないと思います。

 わたくしは、イランのプロパガンダが何語で行われようとさして興味があるわけでもないので、いまさら「日本語ラジオサービス廃止反対!」などと声を上げる気はありません。そもそもめったに聴いていなかった人間にそのようなことを言う権利はありませんから。ウエブサイトが存続されるので、最低限イラン政府の見解などはそこを通して知ることができます。情報が早いかどうかというとあまり期待できないかもしれませんが、とりあえず日本語で読める生の情報が存続されることは悪い話ではありません。

 イラン国営ラジオは1979年のイスラム革命以降は一貫してイランのプロパガンダを世界に広める役割に徹しています。国際放送だから当然のこと、といわれればそうなのですが、わたくしの場合はIRIBのラジオサービスのすべての情報を身構えて聴いてしまうので、イスラム共和国の本音、素顔(それが何なのかも含めて)はなかなか垣間見ることができない思っています。イランは北朝鮮よりも本音が見えにくい国だと感じています。

 革命前には、名歌手Googooshなどが歌う華やかなイラン歌謡をたくさん放送していて、豊かな文化を世界に発信していたイランの国際放送でしたが、往時の姿はもう遠い昔の話になってしまいました。

10月6日(土曜日) スーパーの伊藤さん

 地元のスーパーに名物おじさんがいます。勝手にわたくしが「名物」だと決めているのですが。その人の名は「伊藤さん」。歳はおそらく60代後半ぐらいでしょうか。背が高くスラッとしたおじさんで、最初この人は店長なのかと思っていたら、そうじゃなくて、しかも売り場責任者かと思ったのですが、それでもない、一般の店員らしいです。

 この伊藤さん、素晴らしいのはそのソフトで上品な語り口です。普通、どのこスーパーの店内でもセールのお知らせなどを威勢のいい声で案内していますが、この伊藤さんのアナウンスはとっても柔らか。囁き、とまではいきませんが、静かに呼びかける声は聞く人を落ち着いた気分にさせてくれます 笑  品格と知性が感じられます。下品な痴性が売り物のわたくしとは正反対!

 伊藤さん、ことしの花見の季節にはなんと和歌を織り込みながらちらし寿司を勧めるインテリぶりを発揮してブイブイいわせていました。この人、とにかくアドリブがおもしろいのです。

 春のある休日のこと、じゅんさいが目玉商品で売られていたときの口上は「みなさま、じゅんさい、おいしゅうございます。でも、みなさま、最近はお子様方の中にはじゅんさいをご存知ないかたも多いのではないでしょうか。そこで、今夜は、美味しいじゅんさいのお吸い物や酢の物をお子様とご一緒に楽しまれてはいかがでしょうか。お子様にとりましては、じゅんさいを見て、味わう、いわば理科のお勉強のチャンスでもございます…」。 最近では、駅弁フェアの際に「●●弁当、いよいよ残りが4つとなってまいりました。きょうは当店自慢のお弁当を多数取り揃えておりまして、お客様がたの多くがお手にとってごらんになり『まぁ美味しそう』と言ってお買い求めくださっております…」といったアナウンスを堂々としておられました。

 だいたい、じゅんさいを「理科の勉強」に無理やりこじつけたり、弁当を手に取った客が「まぁ美味しそう」などと声を上げたりという設定自体に無理があるし、そりゃウソでしょう(笑)などと言いたくなるところですが、この伊藤さんならすべてが許されてしまう雰囲気なのです。そのほか伊藤さんは「今夜は●●はいかがでしょう?」という表現ではなく、必ず「みなさま今夜のお献立は●●などいかがでございますか」という、いまどき「お献立」などという上品な語彙がすらすら出てくる。お育ちのよさが随所ににじみ出てくる方なのです。

 あ、そろそろ今夜の「お献立」を考えて「お買い物」にお出かけする時間となってまいりました。今宵も「伊藤節の名調子」が聞けるでしょうか? 楽しみでございます。

10月5日(金曜日) リモコンが壊れた!

 先週末の台風は本当に怖かったのですが、幸いにしてアンテナ類をはじめ、我が家の屋外設備にはトラブルは起きませんでした。停電もなく何とか生活は通常のリズムに戻りました。近所にはブロック塀がフェンスとともに完全に壊れてしまい、道路をふさいでしまったところもあり、自然の猛威を改めて感じているところです。

 さて、台風を無事にのりきったのに、我が家の衛星チューナーのリモコンがダメになってしまったようです。いくらボタンを押しても、数字の1を押していると認識されるようになってしまい、チューナーのSETUP画面が出てきません。パラボラの微調整をしようと思っているのに、それができません。

 衛星チューナーは、Amazon.co.jpで3000円ほどで購入したものですが、意外にもコスパが良好でびっくりしていたのです。なのにまさかリモコンが暴走して故障するとは… しかも、Amazonでもう一度購入しようと検索したら、もう品切れだとのこと。海外衛星チューナーは他の場所で購入しようとするとけっこうな値段ですので、困っていたのですが… ふと中国のアリババで扱いがないか調べてみました。以前アリババから何点か衛星受信用のパーツを購入したことがあったのであ。すると、やはり同等品の扱いがありました。しかも値段も送料込みで3000円を切る程度。Amazonで買うよりも安いのです。届くまでに半月ほどかかることを除けば、まぁ許容範囲かと。これまでもアリババで買い物をしたことがありましたが、トラブルなく商品も届いたので、今回も発注をかけました。

 商品が届くまでしばらく待つことになります。

10月4日(木曜日) Shall we dance?

 電車の中の変な人。きょうもいました!

 帰りの電車の中のことです。帰宅ラッシュが少しおさまった午後8時台。ドア横の「戸袋地蔵ポジション」に、年のころなら30代前半とおぼしきメガネの男が立っていました。でもなんとなく挙動が不審。落ち着きがないのです。

 よく見てみると、ドアに向かって一生懸命ステップを踏んでいる様子。いくらピークを過ぎたとはいえ、車内にはひとが大勢います。みな不審者を見る目でその男をチラ見しています。男の周囲だけ人がいません。みな迷惑を被っています。

 メガネの男のステップは、社交ダンスのそれか、あるいはジャニーズのどこかのグループのそれなのか… いずれにしても、右足から踏み出して長方形を描くようにステップを何度も何度も踏んでいます。ダンスをやりそうにない男の風体とあいまって、ちょっと異様な風景でした。

 途中駅でさらに車内が混雑し、一方でわたくしの目の前の席が空いたので着席することができ、男がどの駅で降りたのかは確認できませんでしたが、あれでよく周囲の人間と喧嘩にならないなぁと思うぐらい大きなステップを踏む男。頭の中ではShall we dance?の楽曲が流れているのかもしれません。

 ちなみに、電車の中の不思議な人では、もう一人、つり革を持ちながら多分「ハンマー投げ」の動作を練習しているのではないかとみられる(でも、ピンクレディーのUFOの振り付けだといわれると、そうかな?とも思える)20代後半の男もかつては存在しました。その男とはもうかれこれ8年以上遭遇しておりませぬが。

10月3日(水曜日) 東西ドイツ統一からことしで28年だって?!

  1990年のきょう、10月3日、旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)が統一されました。テレビはこぞってこの歴史的なできごとを伝えました。我々の記憶には新しいのですが、もう28年も前のことです。

 メディアが伝える情報とは別に、国際放送を聴いている我々にとってはこのドイツ統一というできごとは、一つの国が消滅し、一つの国際放送局が消滅するという、大きなできごととして重い意味を持っていました。

 わたくしは、統一前日の10月2日、1545JSTからの東南アジア向け英語放送を聴いていました。しかし、この時間はドイツではまだ朝。前日の番組のリピートの時間だったので、残念ながら最終日の番組ではありませんでした。通常のニュースではなく、女性のアナウンスで「10月3日、ドイツ民主共和国は消滅します…」という言葉で放送は始まり、音楽で45分の番組は終了しました。

 Radio Berlin Internationalはアジア向けに日本時間の夜にも放送があって、おそらく2日のその時間には最終日の番組を聞けたのだと思います。受信状態がよくなかったのと、仕事の関係で聴くことができなかった記憶があります。欧州のリスナーがYoutubeなどに最終日の放送の録音をアップしているので聞くことができます。

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 東ドイツの国際放送は所詮はプロパガンダ放送だったわけですが、放送開始時に流れる東ドイツ国歌の演奏は好きでした。いまYoutubeなどで公開されている東ドイツ国歌の演奏とはヴァージョンが異なるオーケストラによるインストルメンタル曲です。この演奏を聞くたびに往時のことを思い出します。

 いまはなきRadio Berlin Internationalの送信設備は、その後統一ドイツの国際放送を世界に発信することになります。局舎は使用されることなく廃墟となったそうです。

10月1日(月曜日) 家が揺れています…

 いま、日付が変わって午前0時をまわったところです。きょうから10月です。

 南関東地方は猛烈な風雨の真っ只中です。家が揺れています。こんなことは恐らく初めてです。外を見ると、道路に叩きつける雨が強風に煽られて霧のように舞っています。いつかテレビで見たブリザードを髣髴とさせる光景です。時折電気がチカチカしています。停電するかもしれません。高層マンションの上層階などはもっと揺れているでしょうね。

 アンテナのことも心配ですが、それよりも窓ガラスが割れたりしないかが気がかりです。よそからモノが飛んできたりしたら、この風雨の中大変ですから。

 台風の進路にあたるエリアにお住まいのみなさま、どうぞくれぐれもご注意ください。

9月30日(日曜日) 電車止めるんですか?

 大型の台風が近づいていて、暴風域に入った四国や九州では大雨と強風に見舞われています。テレビやラジオのニュースでは、ものすごい風が吹いている様子などが流れています。

 いきなり話は横に逸れますが、ここのところ台風報道を見ていると、現地のリポーターの多くが「屋内の安全な場所からお伝えしています」ということわりを入れて、建物の中から情報を伝えているように見えます。少し前までは不必要なまでに雨風に「耐えながら、嬉しそうに」いかに風雨がすごいかを伝えようとしていて、要するに大げさに見えるようにとの報道する側のスケベ心が見えるようで、こちらが不快になり白けてしまうほどだったのですが、多少の改善が見られたようです。

 さて、話をもとに戻します。嵐の前の静けさ、とでもいうのでしょうか。我が家のエリアは昨日は秋雨前線の影響もあって一日中雨模様だったのに、今朝は快晴。しかも気温も高くて心地よい天気でした。

 昼ごろになって、青空が急に曇り始め、南のほうから雨雲がやってきました。そして午後になると雨が降ったり止んだりしはじめ、雨脚も強くなったり弱くなったりを繰り返すようになりました。

 この台風、大型で今後速度を速めていくと考えられていて、首都圏のJR各線は、なんと午後8時以降全部の路線で運休を決めたというニュースが入ってきました。ほんとうに驚きました。しかも、我が家の近所のスーパーも閉店時間を繰り上げて午後6時過ぎには営業を終了するといいます。さきほどは、東海道新幹線も午後5時以降運転を取りやめるというニュースも入ってきました。

 JR東日本が全線で運休するというのは前代未聞のできごとです。まだ風も全然吹いていないし、雨もいまは止んでいるのに… と思ってしまいますが、無理に運転するよりも、運転を中止して明日朝の通勤時間帯に影響を与えないようにするという目的を優先した結果だとしたら、まぁ理解できないわけでもありませんが…。なんとなく、これまでの後手後手にまわるさまざまな対応を踏まえて、すこし大げさでも先手を…と考えたようなふうにも見えます。というか「羹に懲りて膾を吹く」という図式にも見えます。しかも、こうした最近の「先回り対応」を見ていると「電車なんか動いていなくても生活でいるでしょ?」などと、徐々に見えない手によって暮らしの質を下げる方向に我々が慣らされ始めようとしているのではないかとまで考えてしまいます。

 関東地方はきょう午後9時ごろから午前3時ごろまで風雨に警戒が必要だといいます。明日の朝の通勤時には鉄道ダイヤが乱れていないといいのですが。

9月29日(土曜日) せっかくのイベントが…

 お台場で開催されている国際協力イベントGLOBAL RESTA JAPAN2018に出かけてきました。政府関係からNPOまで、国際協力にさまざまな形で携わる団体や企業がブース出展して日ごろの活動を紹介するイベントで、毎年10月の「国際協力デー」にちなんで開かれています。

 ことしは台風の接近を前に、雨模様の中での開催となりました。しかも、きょう29日とあす30日の両日開催予定だったのに、30日は中止となり、変則的に29日一日だけの開催が決まりました。出かけたのは昼過ぎでしたが、雨にもかかわらず多くの来場者で賑わっていました。

 ブースのなかには珍しい料理を提供しているところもあり、アフリカ料理やトーゴのビールなど、普段は目にしないようなものも見たり味わったりすることができます。もちろん、日本●●協会 など、海外支援や協力を行っている団体の展示を見るのもなかなか楽しいものでした。夕方5時にはイベントは終了し、各ブースとも撤収となってしまいました。

 去年はとてもいい天気のもと、ゆっくりと楽しめたのに比べて、やはり雨の中では立ち食いを楽しんだり、ブースをいろいろとまわるのもなかなかうまくいかず、ことしは消化不良感が残り、とても残念。また来年同様の催しが開催されるので、そのときには好天に恵まれるといいのですが。

9月28日(金曜日) けっこう気に入っています TOKYO MX TV

 関東地方のローカル民放TOKYO MX TVを視ることはありますか。東京を中心としたサービスエリアをもつローカル民放テレビ局です。

 このテレビ局、弱小チャンネルながら、何かと話題になったり物議を醸したりしていて、興味深い存在です。何しろ、マルチチャンネル編成がけっこう多い。弱小チャンネルなのに、表チャンネルは通常の番組、裏チャンネルは競馬中継といった編成を堂々とやっています。夕方放送している「5時に夢中」などではゲストたちが世相やニュースに結構辛口のコメントを発したりしていて、「お、なかなかやるじゃん」と感心することもあります。

 いま売れっ子になったマツコデラックスも、この番組に出演したあたりから人気が出たと思います。MX TVだからこそ、いまのように気を遣って発言することもなかったのかもしれません。あるとき、与党の中堅人気代議士のことを「だ~い嫌い!」だと言ってのけたこともありました。LGBTに対する理解もこの番組のおかげで深まった面もあったかも。

 先ごろ行われた与党の党首選挙の際も、在京民放各局と公共放送はこぞって見たくもない記者会見やら何やらをタレ流していましたが、唯一MX TVだけは(Eテレは別として)その時間のニュースで堂々と「ラグビーワールドカップ」を延々ととり上げていました。気骨があるのか、それとも記者会見に入れてもらえなかったのかは別として、対応が目立っていました。

 MX TVは、時折驚くほど劣悪な外プロ制作番組をなんの検収作業もせずにタレ流してしまい、顰蹙を買っていますが、キー局の放送があまりにもくだらないときには、ちょっとのぞいてみる価値があるかもしれません。

9月27日(木曜日) その話 電車の中ではダメなんじゃない?

 通勤帰りの電車の中。運よくボックスシートの一角に座ったのですが、横に座っていた年のころなら20代後半ごろの男2人がやたらとよくしゃべるのです。酒が入っていたのかもしれません。しかも声が結構大きいのです。

 まぁ、うるさいのは自分がヘッドホンをして遮断してしまえばいいのですが、2人が話をしている内容がちょっと… はっきり言って、そんな話を公共の場でやるか?というような内容のエロ話でして… ヘッドホンをかけようと思ったのですが、逆におもしろくなってきてついつい盗み聞きしてしまいました 笑

 2人の風体ですが、両方とも体育会系でそのまま就職した感じ。片方はちょっとイモ系。もう一人は細くもなく太ってもいないブ男。イモのほうは秋葉系のコスプレが好き。もう一方は風俗が好き… その2人が、知人の女性やら飲み屋の女性やらの品評をしはじめて、どの子が美人だとか、つきあいたいとか、「オマエの秋葉系の趣味をばらすぞ」だとか、まぁ完全にプライバシー全開で、コンプライアンス違反状態。

 おそらくわたくし以外の周囲の人たちも2人の会話が聞こえていたはずで、その中には女性も少なくありませんでしたから、不快な思いをした人もいたと思います。ハラスメントの域に達していたと思いますから。

 いい年をした大人が電車の中という公共の場所でプライバシーを一切気にせずに大声ではしゃいでいる様子を見ていると、ほほえましいなどという感じを通り越して「こいつら完全にバカだ!」という気分になってしまいます。いるんですね、分別のないばか者が。でも、思わずそれを盗み聞きしてブログの材料にしている人間もどうかと思いますけどね 笑

9月24日(月曜日) 1982年のLOGから

 1982年の9月、わたくしは単身チュニジアのチュニスに渡り一年間の留学生活を始めました。チュニスにはめっちゃ重いにもかかわらずCRF-1を連れていき、現地の放送を受信しました。勉強そっちのけで…笑  36年前のきょうのLOGを見てみると、日本から北アフリカにロケーションが変わって結構興奮しながらラジオを聴いていた様子が蘇ってきます。チュニス到着後約2週間経っていました。

 CRF-1は外部アンテナがなくても相当な受信性能を有しており、事実ロッドアンテナだけで遠方の放送が受信できました。我がHPのインターバルシグナルのページにアップしている音声の多くが、チュニスでCRF-1のロッドアンテナだけを使って受信したものです。

 では1982年のきょうのLOGから。例によって時間(この場合はチュニス時間 UTC+1)、周波数、局名、使用言語、受信状態の順に記載しています。

0800 15190 Radio Japan via Sines (English/Japanese) 54444
0900 21610 Radio Japan from Yamata (English) 34443
0930 15190 Radio Beijing (English) 23432
1000 9560 Swiss Radio Intl. (English) 34443
1200 18080 BBC London (Japanese ) 44444
1230 17825 DW (Japanese) 44444
1230 15320 DW (Japanese) 42432
1940 711 Voice of the Arab World-Libya (Arabic) 44433
2100 738 Radio Nacional de Espana-Barcelona (Spanish) 44443
2100 684 Radio Nacional de Espana-Sevilla (Spanish) 43443
2120 6550 Voice of Lebanon (Arabic) 44443
2120 7550 Radio Korea (French) 34443
2130 9022 VOIRI Teheran (English) 45444
2145 6025 Radio Portugal (English) 43443
2200 666 SWF Germany (German) 44443
2220 9625 Voice of Turkey (English) 44443
2300 540 Budapest Koshuth Radio (Hungarian) 44443
2300 11840 Radio Japan via Sines (Japanese) 33443

 他の日にはやたらとアルジェリアやリビアの国内中波をチェックしていたり、スペインの民放を聞いていたりしていました。あと、Radio Japanの周波数のチェックも。当時、アラビア語放送は2波で八俣送信所から出ていたのですが、たいていは受信できず。一度だけ11705kHzでクリアに聞こえたことがありました。中森明菜のトワイライトが流れていたのを思い出します。英語放送は八俣からの電波が受信できたほか、シネス中継は朝は良好、夜は不良でした。

 夜、イタリアをはじめ欧州の中波を受信することがとても楽しみでした。近隣の真空管テレビがついているとノイズが酷かったのですが、そうでなければかなり良好な受信が楽しめました。

9月23日(日曜日) あっという間に秋分

 南関東はつい先日までの猛暑がウソのような涼しい毎日です。そしてきょうは秋分。いよいよ昼よりも夜の時間のほうが長くなり始めます。虫の声も蝉からコオロギに変わって、なんとなく物悲しい風情です。

 夏の猛暑にやられたから… というわけでもないのでしょうけれど、ここのところ我が家の電化製品が次々と壊れています。固定電話端末が暴走しはじめて表示が文字化けするようになってしまいました。さらに長年愛用してきたダブルCDデッキが壊れてしまいディスクトレーが出てこなくなってしまいました。1970年代から動いてきたテープレコーダーのモーターがついにダメになってしまいました。スタンバイ機に乗り換えることになりました。これらの電気機器の多くが「よくここまで働いた」というぐらい長い間稼動してくれていたのですが、さすがにそろそろ寿命。しかし、同時多発的にいろいろなものが壊れてしまうと困ります。往々にしてこうなるもののようですが。

 メンテ部品の保存期間はとっくに過ぎている家電品ばかりなので、修理して使うというオプションは残念ながら考えられず、残念ながら廃棄ということになります。それにしても昔の電気機器は頑丈にできています。いまのプラスチック躯体の薄っぺらな製品とは違います。クラフツマンシップ、製品への愛着と誇りといったものを日本のメーカーの多くが放棄して久しいわけですが、実に残念なことです。

9月22日(土曜日) これでも受信確認証です

 世界の放送局の「受信確認証」(ベリ・カードやベリ・レター)の話をすこし。

 「受信確認証」は多くの場合専用のデザインのはがき大のカードや、絵葉書にデータを記入したもの、あるいはデータを記入したレター形式のもの…が一般的なのですが、中には少し驚くようなものもあります。

 個性的なベリ・カードの代表格というと、旧ソ連のアゼルバイジャン共和国のRadio Bakuを挙げないわけにはいきません。カードの材質は「わら半紙」で、活字が磨り減ったタイプライターで打たれた確認文のところに受信日や周波数などのデータが手書きで記入されていました。ソ連のアルメニア共和国のRadio Yerevanも小さな紙切れを使った確認証でしたが、こちらのほうは確認文があらかじめ印刷してあるのと、紙の質が多少はよいという点でRadio Bakuとは多少趣を異にします。

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 そのほか、変り種というとRadio MaltaやRadio Tunis-Monastirからは、こちらから送った受信レポートのコピーに先方が確認文とサインを入れて戻してくれた立派な受信証が。欧州の長波局Europe 1からは、局のリーフレットの空きスペースに確認文をタイプライターで記入した確認証が送られてきました。

 「アイデアもの」の受信確認証は日本のRadio Japanもかつて発行したことがありました。1960年代、Radio Japanは受信確認証(ベリ・カード)自体が「ソノシート」になっている珍しいカードを発行しました。カードの中心には穴が開いていて、カード自体をレコードプレーヤーにかけ、針を落とすと放送開始音楽「さくら」とともに局の歴史を説明するナレーションが流れるというものです。昔は各局ともリスナー獲得にいろいろと工夫を凝らしていたのですね。

9月21日(金曜日) あんたも他人の迷惑かもよ?

 本日はまた久しぶりに電車ネタです。多少の自戒の念を込めて… 笑

 今朝の通勤時、電車に乗って座っていました。向かいの席には男が一人。その横の席が空いていました。わたくしの横も空いていました。向かいの席の男は30代後半ぐらいのサラリーマン風。小太り気味。

 向かいの席の空いているところに、60代とおぼしき小太りの男が座りました。だいたい、60代のオッサンというのはなぜか足を広げて座るので、わたくしは隣り合わせになりたくない人種のワースト1なのですが、おそらく向かいに座っていた小太り30代も同じ気持ちだったのでしょう。60代男が座ろうとしたとたんに立ち上がって私の席の隣に移ってきました。60代のオッサンは、予想通り足を広げて座っておりました。

 しかし!わたくしの横に移ってきたその30代の小太り男はめっちゃ汗臭い! おそらく前の日に風呂に入らなかったのではないかというくらい「キ~ン」という感じの不快な臭いを発しています。汗の臭いといっても、少し時間が経ったあとの「タマネギのような刺激臭」です。だからといってもともと着席していたのにわたくしが逃げるのも癪にさわるので、何とか耐えましたが、やはり腐臭やら不快な臭いというのは電車の中ではテロ行為に等しいと思います。こんなことなら、「足を広げる60代小太りvs汗の悪臭ふりまく30代小太り」のたたかいを向かいの席で繰り広げておいてくれたほうがよかったのに…などと勝手なことを思わざるを得なかったのであります。

 幸いなことにわたくしの横に座った30代悪臭男は数駅だけ乗車して降りていき、その代わりに普通の女性が座ってくれました。

 でも、他人のことばかり揶揄しているわけにもいきません。自分自身も汗をかいたあとは悪臭を放っているかもしれないのですから。こればかりはこまめに注意しておく以外には対策がありません。親切に「あんた臭いでっせ」などと指摘してくれる人などまず絶対にいないわけでして…

9月17日(月曜日) いつのまにか季節は秋

 この季節、日ごとに日没が早まっていて、きょうの関東地方の日没は17時50分ごろだとか。つい最近まで午後7時ごろまで空が明るかったのに、もう午後6時を過ぎる頃には暗くなってしまいます。来週末は秋分。いよいよ夜長の季節に突入です。まだきょうなどは気温が上がっていて日中は暑いぐらいなのですが、季節は確実に秋へと変化しています。だからといって何をするでもないのですが、日本に住んでいると四季の移ろいが感じられるところがいいですね。

 わたくしが住んだことがある北アフリカのチュニジアは、春と秋がありません。というか、ほんとうに短いのです。夏はとても天気がよくて、からっとしていて過ごしやすいのですが、10月のある日、突然空が曇り始めて、それまで数か月にわたって降らなかった雨が突然降り始め、きのうまでの青空がうそのように暗くなります。そして気温が下がり始めて、冬が近づいてきます。12月から2月ごろにはみぞれも降ります。寒いのです。季節の変わり目が実にはっきりしています。一方冬から夏への変化も同様です。それまで暗かった空が急に真っ青に晴れて、気温がぐっと上昇します。4月半ばから5月になると、野原に急に花が咲き乱れて色鮮やかになります。

 同じく北アフリカのカイロも似ています。夏は砂漠気候で、とにかく暑くて乾燥しているのですが、10月下旬ごろになると急に曇り始めて、時折強烈な雨が降ります。カイロの町は基本的に「晴れ仕様」なものですから、道路の排水が上手くいかず、道が川のようになります。しかも土埃が普段からひどいので、一旦雨が降ると泥べちゃ状態になり、歩くことがままならなくなるほどです。自動車にはワイパーがついていないものが多く(使わないから外している という説と、ワイパーを盗まれたままにしている という説がありましたが真偽のほどはわかりません 笑)、一旦雨になると前が見えなくなります。この雨の季節が強いて言うと秋なのかもしれません。その後冬になるとそれなりに気温が下がりますが、あまり雨は降りません。朝は必ず霧がかかって、日が昇るとともに霧が晴れるという繰り返しになります。

 ご存知の方も多いかもしれませんが、日本では「秋の虫」としてコオロギなどの音色を楽しみますが、北アフリカではコオロギは夏の虫で、しかも日本のコオロギと比べると大きいので、間違って部屋に入ってきて鳴かれると、音色を楽しむなんて風流なことにはなりません。めちゃくちゃうるさいので、見つけ出して退散願うことになります。

 さて、話はまったくかわりますが、昨日、女優の樹木希林さんが亡くなったという訃報がニュース速報で流れました。自然体で率直な話をされる女優さんで、古くはTBSのドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」、最近では映画「万引き家族」での演技が光っていました。女優としての演技はもとより、権威や権力におもねることなく適度に距離を保ち、またさまざまなことに前向きだった人柄にも敬意を表したいと思います。御冥福をお祈りします。

9月16日(日曜日) 紙の辞書類とカセットテープとMDと

 わたくし、身の周りの整理が下手なものですから、どうしてもモノが溜まってしまいます。しかも、メディア(録音用のカセット、MDなど)が一箇所に整理できていないものですから、いまも「あ、こんなところに」という事態がしばしば起きてしまいます。

 きょうは我が家の録音用の未使用メディアを整理しました。そうです、使っていないカセットだとかMDだとかがあちこちに埋もれているので、せめてそれらを一所に集めて、使う、使わないにかかわらず「見える化」しようというわけです。あ、ついでにCD-ROMも。

 結論からいうと、未使用のMDが30枚以上、カセットは40本以上、CD-ROMもかなりの数が出てきました。未開封のものだけでこんなに…です。いまさら録音用に使うのはどうだろうかと思案しつつ、丁寧に引き出しの中に分類して片付けました。そんなもの、こまめにやっていれば、今更ドタバタすることもなかったのでしょうけれど 笑 ひょっとして「引き出しの肥やし」になって、ずっと先になって「デッドストック」として値打ちが出る… なんてこともないでしょうね。ただ、カセットテープについては今になって高校生やら一部のミュージシャンの間でリバイバルしているという話もききます。

 もう一つの課題は大量にある「紙媒体の辞書」です。よく「断舎利」などということばをききますが、わたくしは今のところ本を傷つけてデジタル化する気持ちにはなりませんので、それこそ「書棚の飾り」と化したままになっています。多くが昔買ったアラビア語の辞書類で、それなりの努力をして手に入れたものばかりです。

 こんにちわざわざ紙の辞書を開いて単語や文法をチェックするようなことは、自分でもやらないことはわかっています。ウエブ辞書でたいていの場合は事足りるからです。こうなると、書棚のスペースばかりを占拠しているこれらの辞書の扱いについて結論は出ているようなものですが、まだ躊躇している状態です。下の写真はほんの一部です…

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 みなさんの家にも、もう何年も何十年も開いたことすらない本があるのではないかと思います。廃棄すべきか、それとも持ち続けるべきか…迷うことはありますか。

 と、ここまで書いてきて、我が家の書棚で一番スペースを占拠しているのは、World Radio & TV Handbookだということに気づきました。1970年版から2018年版まで、相当な量です。いままでラジオ関係の本を処分したことはありましたが、WRTHだけは手放す気になりませんね。

9月15日(土曜日) グリーンブック(緑の書)  

 我が家の書棚には「グリーンブック」(緑の書)という本のアラビア語版と英語版があります。

 海外放送に興味を持っている(持っていた)かたがたはご存知だと思いますが、「グリーンブック」は、リビアの元指導者ムアンマル・アル・カッザーフィー(カダフィ)が1975年に出版したもので、①人民の権威 ②社会主義(アラブ社会主義) ③第三の世界論理 という3部から構成されています。カッザーフィーの民主主義思想と哲学が書かれています。カッザーフィー政権は、この「グリーンブック」を国(ジャマーヒリーヤ)の規範と位置づけていました。まぁ、古くは「毛沢東語録」、最近ではトルクメニスタンの独裁者ニャーゾフ前大統領による「ルーフナーマ」などと似ているともいえます。

 カッザーフィー時代のリビアの国際放送Voice of the Arab World (صوت الوطن العربي الكبير)、Voice of Africa、国内向けラジオ、テレビ各ネットワークではニュースの前に必ずこの「グリーンブック」の一節が朗読されていました。70年代のカッザーフィーは晩年ほどはおかしくなっておらず(といっても変人だったことには変わりないでしょうけれど)、「グリーンブック」に書かれている思想は、断片的に切り取って読んでみるとそれなりに理にかなっているところもあります。ただ、それを国家の体制にあてはめる、というかその思想で国家を建設しようということになると、話は別です。かつてのリビアがカッザーフィーの描いた理想の国家ではなかったことは皆が知っているとおりです。

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 カッザーフィー時代のリビア国営放送は、実は結構サービスのよい放送局で、メールで受信報告や手紙を送ると数時間後には返信が来ました。絵葉書や受信報告用紙、そして時にはこの「グリーンブック」が送られてきたりしました。上の写真で紹介しているのはグリーンブックのアラビア語版と英語版ですが、確かアラビア語版は放送局からもらったと記憶しています。

 いまとなっては単なる歴史のひとコマに過ぎず、書籍としての値打ちもないに等しい「グリーンブック」ですが、かつては世界第三の論理などといってもてはやされて、スポットが当たったこともありました。一つの時代を彩った書籍として大事に保存しておくことにします…

9月14日(金曜日) アラブ世界を代表する歌姫 ファイルーズ(Fairuz)を知ってますか?

 ふと思いついたことなのですが、そういえばこのHPでアラブ歌謡について書いたことって殆どなかったような… そこで、きょうはわたくしが大好きなアラブ歌謡のレジェンド、ファイルーズ(女性歌手)について少しだけ書いてみようと思います。

 アラブ世界の音楽事情は、その国の多さ故に一口に「アラブ」というカテゴリーで括れないほど多彩です。とくに21世紀に入るとメディアの多様化が爆発的に進んだことから、欧米の音楽との融合が加速し、ジャンル分けができないほど細分化してきています。

 とはいえ、アラブ世界には1950年代に源を発する「正統的」な歌謡のジャンルがあって、それは健在です。わたくしは、正統派歌謡(Pops)、「アラブ歌謡」と呼んでいます。「アラブ歌謡」の源流はエジプト、レバノンの二つに分かれます。20世紀半ばのアラブ文化の中心がカイロとベイルートにあったからです。

 エジプトからは、ムハンマド・アブドゥルワッハーブ、ウンム・クルスーム、アブドゥルハリーム・ハーフィズなどの超大御所が輩出され、いまも愛され続けています。アブドゥルワッハーブの楽曲は、アラブ世界各国のラジオやテレビ放送のテーマ音楽として使われています。エジプト国営ラジオやテレビのニュースのテーマ音楽イラク(かつての第2放送 2'30"あたりから)シリア、イエメンのラジオのニュースのテーマ音楽もアブドゥルワッハーブの作品です。エジプトの歌手たち、特にアブドゥルワッハーブは音楽面で「アラブ世界の団結」の象徴のような人物でもありました。いまの若い世代は興味を示さないかもしれませんが。

 一方のレバノンからはわたくしが愛して止まないファイルーズ(Fairuz)、マージダ・エル・ルーミーなど人気歌手が輩出されてきました。

 エジプトのアブドゥルワッハーブが「アラブ世界団結の象徴」だとすれば、ウンム・クルスームは「アラブ世界の淡谷のり子」でしょうか。そしてレバノンのファイルーズは「アラブ世界の美空ひばり」とでも評することができるかと思います。

 ファイルーズのデビューは1950年。1951年の初めてのアルバム発売を皮切りに、全アラブ的な人気が広がり、押しも押されもせぬ大歌手としてその地位を築きます。人気・実力ともに全盛期にあった70年代から80年代にかけては、レバノンだけでなく全アラブ諸国、イギリス、フランス、アメリカなど海外での公演も行っていました。発売されたアルバムの数は正確な数がわかりませんが、少なくとも我が家にCDが20種類以上あることから考えると、50枚はくだらないかもしれません。

 ファイルーズの魅力はその声。ベルベットのような声だと評されます。そして独特なこぶしをまわす歌唱法でしょうか。西洋音楽を学んだファイルーズは、伝統的なアラブ音楽からジャズまで幅広くこなし、さらに彼女はクリスチャンですので、アラビア語で賛美歌まで歌います。彼女が主演の映画も多数あって、レバノンのラジオ局Voice of Lebanonのニュースのテーマ曲として劇中音楽が使われた例もありました。

 彼女のすごさは、デビューからすでに68年も経っているのに、その楽曲がいまだにさまざまな国のラジオやテレビで放送されていることです。しかも、宗教、人種を超えて愛されています。先ごろのシリアの内戦のさなか、ファイルーズの歌が流れていなかった地域はテロ組織ISに支配されていた地域だけだったといわれます。先日Radio Kuwaitを聴いていたら、ファイルーズの歌が流れていましたし、東京のアラブ料理店に出かけたときもファイルーズの歌がノンストップで聞こえていました。

 申し遅れましたが、たくしがファイルーズの楽曲と出会ったのは、1982年にチュニスに留学したときです。街角のキオスクで初めて買ったファイルーズのカセットテープを聴いて、その魅力に感動したことを思い出します。その時に聴いた楽曲の一つがAl-Boustaです。もともとはレバノンの民謡だった曲で、Al-Boustaとは郵便ポストやバスのことを意味します。歌はバスの車内をユーモラスに描いたもので、日本で「田舎のバスはオンボロぐるま~♪」という歌がありますが、あの曲のレバノンヴァージョンといったところです。もう2曲、ファイルーズの魅力を感じられる楽曲「鳥よ」と、Nassama 'alayna al-Hawaにもリンクを張っておきます。聴いてみてください。

 ファイルーズはことし83歳。もう歌手活動はほとんど行っていないようです。日本公演が実現していればぜったい行ったのに…と思うのですが、もう無理ですかね。ときどきCDを聴いて、ファイルーズが全盛だったよき時代のアラブ世界に思いを馳せています。

9月11日(火曜日) 9.11から17年

 きょうは9.11事件から17年目にあたります。ニューヨークの貿易センタービルが崩壊するなどして多くの人びとが犠牲になった、あの映像はいまも忘れられません。あの日以来、世界は一層不安定な時代に突入します。9.11事件の翌月には米国主体でアフガニスタンのターリバーン勢力への武力攻撃が行われました。

 言い方が不謹慎かもしれませんが、国際放送を聴いている我々にとっては、この一連の流れは実にモニタリングし甲斐がありました。世界で紛争や戦争が起きたときに貴重な情報源となるのはいまもラジオです。アフガニスタンに限らず、リビアやイエメン、シリア、イラクもそうです。あまたある情報の中から、他のメディアが取り上げていないものが、電波の世界には結構あります。それらを自分の知識を駆使して自らのアングルから掘り出し、分析していくのは、DXingの醍醐味であると思います。

 2001年9月11日以降、放送のモニタリングから何が見えたかについては、また機会を見て事象ごとに紹介できればと思います。

 ところで、この9.11事件の2年後、2003年のまさに9月11日、わたくしは知人に会うためにプライベートな旅行でニューヨークのJFKに到着していました。ウソのような本当の話です。その時、わたくし、パスポートコントロールを通過するのを実は少し心配していました。というのは、当時所持していたパスポートに仕事やプライベートで訪れた中東各国のビザがたくさん記録されていたからです。UAE、エジプト、パキスタン×2、アフガニスタン…といった具合です。幸い「別室」には「御案内」されることもなく入国できましたが、少し緊張する場面でした。

9月9日(日曜日) お奨めのラジオ関連(国際放送)本

 私が気に入っているラジオ関係(国際放送関係)の本を紹介します。といっても洋書です。最近は日本国内でこのジャンルの本を見かけることがありませんので、興味のあるタイトルがAmazonでひっかかってくると、中身を斜め読みした上で買い求めることにしてきました。

 一番のお気に入りは、内容が歴史的、技術的に体系だててまとめられている"History of international broadcasting Volume2"(James Wood)という本です。2000年刊と少し古いのが難点ですが。こちらはVolume 1が1992年に先に出ていたのですが、国際放送の世界の変化を加筆して第2版としたものです。斜め読みするだけでも興味深いのですが、ハードカバー本は価格が高めです。ソフトカバー本が出ていてくれればいいのですが。なお、現在Amazonなどでは表紙のデザインが違うものが出ていますが、出版元がIEE(The Institution of Electrical Engineers)であれば同じものです。

History of International Broadcasting

 もう一冊は"Broadcasting on the Short Waves 1945 to Today"(Jerome S.Berg)です。こちらは、もう一冊}"Listening on the Short Waves 1945 to Today"という本と対になって発行されています。前者は放送を送る側の視点に立った歴史を、後者はリスナー側からの歴史を追っています。いずれも興味ある内容です。こちらのほうもハードカバー本はやたらと高価ですが、ソフトカバー版も出ていて、Amazonで4000円ぐらいから手に入るようです。なんでこんなに高価なのでしょうか?買ったときは30ドルしなかった(ハードカバー版です)のですが。
Broadcasting on the Shortwave

 そのほかにももし手に入ったらぜひ目を通しておきたい本が何冊かあります。また機会をみて紹介してみます。

9月8日(土曜日) オークションのベリ・カード

 ヤフオクなど、オークションを眺めていると時々古いベリ・カード類が出品されているのを目にします。先日は1950年代のRadio Japanのカードが18万円(!)で出ていて驚きました。恐らくどこかで遺品整理をしていた業者が法外な値段をつけて出品したのでしょう。入札はさすがにこの値段ではありませんでした。

 この18万円というのはちょっと常識の範囲を逸脱しているように感じますが、もし、誰かが1950年代のRadio Japanのベリ・カードにそれだけの価値を見出せばその価格で取引されることになります。まぁ、我々が大事にしているラジオ関係の書籍やベリ・カードといった品物、そしてラジオ、受信機などは、同じ趣味を持つもの同士でなければその価値がわからないものです。

 オークションに出品されるベリ・カード類にはほぼすべて受信者の名前や受信データが記入されています。そうしたデータが入ったもののほうが価値があるのか、それともデータ等が未記入のほうがよいのかもわかりません。ま、そもそもベリ・カードは自分が受信報告書を送ってそれに対して放送局から送られてくることに意義があるわけですから、オークションに出品したり落札したりすること自体がいかがなものかと考えてしまいます。

 ただ、Radio Japanの1950年代のベリ・カードとなると、それ自体が歴史的な価値を持っていると判断することもできます。現在発行されているベリ・カードとは重みが違うという見方もできます。その意味では、ベリ・カードをオークションに出品した業者は「この品物には何らかの価値がある」ということはわかった上で、18万円の価値があると踏んだわけです。もしそうなら、我々の手許にはかなりの「お宝」が存在することになるのですが…

9月7日(金曜日) 災害時のラジオ

 きのう、6日の午前3時過ぎに発生した北海道南部の大地震では甚大な被害が発生しました。夜が明けるにつれて被害の大きさに驚かされました。北海道全域での停電も大変なことだと思います。被災地のみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

 全道停電という事態は、最近の日本ではなかったことで、テレビはもちろんインターネット、スマホや携帯、IP電話などあらゆるメディアが使えなくなりました。私の同僚で札幌に家族がいる単身赴任の男性が家族に安否確認の電話をしたら「不要不急の電話はするな」と叱られたそうです。停電の中、スマホの充電がままならないそうです。

 そうした中、強みを発揮したのがラジオでした。急遽家の中のトランジスタラジオと乾電池を探した人も少なくなかったようです。ラジオですと、電池の消耗もスマホほど速くはないので、情報過疎に陥りがちな被災地域では重要な情報源になることを改めて認識できました。ラジオの電波は比較的遠くまで届くので、万一被災地域のラジオ送信所がダウンしたとしてもダイヤルを回していると遠方の大電力局が受信できることもあります。

 いま、高校生や大学生の世代よりも若い世代の多くが「ラジオ」そのものを知らないという状況が一方であるので、緊急時のラジオの重要性と、せめて基本的な使い方ぐらいはことあるごとに周知しておく必要があると感じています。

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