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2018年12月 Archive

12月31日(月曜日) 大晦日 ことしもお世話になりました

 いよいよことしも残り10時間あまりとなってきました。年始用の買い物に出かける前にこのブログを書いています。

 ことしも一年、このページに多くの皆さんが来訪してくださり、掲示板やメールでさまざまなメッセージをいただきました。どうもありがとうございました。

 アクティブに国際放送を聴いているわけでもなく、新しい情報を提供することも殆どできない状態にありながら、多くの皆様にご贔屓にしていただき感謝に堪えません。とりわけことし後半から急に来訪者数が増えたことはわたくしにとって驚きでもありました。

 いま、日本、そして世界は不確実な時代を経験しています。来年がことしよりもよい年になるなどという保証はどこにもありません。そのような世の中ですから、正しい情報とは何か、正しい選択とは何かを自ら判断していかなければ、見えない邪悪なものに自分たちが押し流されてしまいます。そうした中、国際放送をはじめとするメディアから能動的に情報を集めて自らの考えで分析し、自らの行動につなげていくことはとても大事だと思います。

 このブログの駄文は大半が過去のラジオの話や、日ごろ見聞きしておもしろいと感じた他愛もないエピソードで埋められていますのでおそらく何の役にも立たないのかもしれませんが、時折つぶやく、わたくしが感じる違和感や不快感についての文章から、情報に能動的に接していくことの大切さを共有できればいいと思っています。

 くれぐれもよいお年をお迎えください。

12月30日(日曜日) レコードのデジタル化

 ことしもきょうを含めてあと2日。つい先日クリスマスだったと思ったら、もう世の中の雰囲気は正月準備一色です。

 きょうは古いレコードの音源のデジタル化をしました。といっても、レコードをかけてそれをMP3化するだけの作業です。ただ、デジタル化といっても殆どがアナログ作業なのものですから、実時間分+αがかかり、効率が悪い作業です。

 我が家にはまだLPレコードが多数存在していて、プレーヤーも健在なのですが、一部のレコードについては比較的よく聴くのでいちいち袋から出す手間を考えるといっそのことCDに焼いてしまうほうが使い勝手がよいということなのです。

 LPレコードは、中心の穴の微妙なズレが原因で音声がワウってしまうことがしばしばあります。特にレコードの中心部に向かうほど音のゆれが大きくなります。その昔、中心の穴を少しずらして音のゆれを修正しようと挑戦しましたが、結局その努力は無駄になってしまいました。ズレの大きさを正確に修正することは素人には無理だったのです。

 結局今回のLPのCD化においては、音のゆれ、そしてレコード盤のスクラッチ音はそのままデジタル化することになりました。まぁ、こうしておけばレコード針もLPの盤面そのものも劣化することがないので、あと数枚デジタル化しておこうと思います。CD化されていない音源もありますから、こうしておけばある意味安心です。

12月29日(土曜日) 1976年のきょうのLOGから

 久しぶりに昔のLOGを紐解いてみます。きょうは1976年、つまり42年前の12月29日のLOGです。40年以上前ですよ!最近のように感じている(?!)のに、もう何と言っていいか言葉を失うほどです。

 いつものように、時刻はJSTです。

0400 11720 CBC Northern Service in English 35443 (CBC=Canada)
0430 5920 Radio Kiev in English 24332
0440 5038 Radiodiffusion Central Africa in Frensh 43443
1000 9610 Radio Vilnius in English 44444
1600 11950 Swiss Broadcasting Corporation in English 44443
1600 6095 HCJB Quito in unknown language 32432
1630 11970 R.TV Tunisienne in Arabic 34443
1700 3945 Radio Port Villa (New Hebrides Islands) in Pidgin English 33333
2120 6383 Radio Ulan-Bator in English 44444

この日は毛色の変わった局を、しかも早朝4時なんぞという、自分としてはかなりめちゃくちゃな時間に聞いていたことがわかります。学校が冬休みに入っていたのでこのような時間に起きていたのでしょう。ハイバンドが不調で、スイスを25メーターバンドで聞いていました。11970のチュニスが良好に聞けていました。このときはまだ私はアラビア語とは無縁でしたが受信報告を送った記憶があります。

12月28日(金曜日) 御用納め

 ことしも無事に御用納めを迎えることができました。とにかく年々時間の流れが加速度的に速まって、つい先日新年を祝ったのにもうことしも残りわずかに… みなさまにとって2018年はどのような一年だったでしょうか。

 時間の流れが速いということは、それだけ忙しかったということになるのでしょう。確かに毎日To Do Listを作成しても仕事をこなしきれないことがたびたびありました。「お座敷がかかる」ことはよいことだと思わなければならないのだと思いますが、その一方で「働き方改革」などというスローガンのもと、仕事が減らないのに給与を抑制しようという動きが広がって、やりにくいことこの上なしです。だいたい国に働き方をどうこう言われること自体大きなお世話だというものです。ならばもっと人を増やしてほしいです… などとブツブツ文句を言いながらも、とりあえず健康で過ごせたことはよかったかな。

 明日からは年末年始休暇に入ります。大掃除は11月に済ませているのですが、部屋の片付け、掃除は改めて行う予定です。

12月16日(日曜日) 忘年会の季節なんですけど…

 いよいよ12月も半分を過ぎて、今週はほぼ毎日のように職場関係の忘年会や食事会が開催される予定です。特に金曜日には2件出席する予定があり、正直なところ疲れてしまいそうです。懐のほうも…

 まぁ、グチはこのへんにしておきましょう。でも、面白いもので、普段はなんとなく毎日が過ぎていくのに、師走となるとなぜか皆が何か理由をつけて集まろうとするのですね。時代が変わって、職場の飲み会のような機会もほとんど無くなってしまった今日この頃ですが、師走だけは別ということで。声を掛けてもらえるということはありがたいことなのですが、少しインターバルが開いたほうがありがたいかな。

 集まるといえば、いまも日本各地でDXミーティングが開催されているようです。わたくしもかつて学生時代にはミーティングに出席していたのですが、就職して以来、そのような集まりに顔を出す機会はほとんどなくなってしまいました。現在、いわゆる「復活組」を含めてBCL人口は少し増えたようですが、短波国際放送局の数自体が減少傾向にある中で、ミーティングは「集まって情報交換をする場」というよりも「仲間とお互いの近況を確かめ合う場」として活用している方も少なくないのではないかと思います。

 わたくしも、ミーティングとは縁がなくなってなお、かつての仲間やラジオを通じて知り合った方々と話をする機会を時々持っています。もう昔の趣味からは遠ざかっている人も多く、殆どがラジオ以外の話題になります。それでも楽しくて、有難い時間です。

12月15日(土曜日) 実家のダンボール箱から…

 所用で実家に立ち寄る機会があり、1泊してきました。実家でかつて自分の部屋だったところは、大切にしていたものの多くが知らない間に親に捨てられてしまっていたのですが、なぜかラジオ関係の「紙もの」はダンボールに収められて保管されていました。今回、もう無いと思っていたものがいくつかまだ残っていることを発見しました。

 ダンボール箱には海外の放送局から届いたリーフレット類や雑誌類が入っていました。でも、重いので今回は持ち帰ることはせずに「絶対捨てないでね」とのメッセージを残して、引き続き保管を求めることにしました。

 部屋の中を見回してみたら、もう一つ小さなダンボール箱があって、それは確か以前に中を覗いたはずだったと思い込んでいたのですが、どうやらそうではなかった箱でした。開けてみるとこちらにもリーフレット類がいくつか入っていて、もう無くなったとあきらめていた資料も無事に残っていることが確認できました。

 そんな資料のうちほんの少しを手持ちで現在の居所に運びました。運ぶといってもわずかな量なのですが。資料の一つが、かつて国際放送を実施していたアフリカのRadio Ghanaの季刊誌です。アフリカがまだ元気で、各国が国際放送を実施していた1970年代を象徴するような資料です。ガーナの国際放送は、定期的にリスナーに雑誌を送ってくれたのです。そのほかにも、アパルトヘイトで悪名高かったRadio RSAのリーフレットや、社会主義革命後まもないエチオピアのVoice of Revolutionary Ethiopiaのリーフレットなどを救出してきました。

IMG_20181216_0002.jpg

 紙類というのは、きちんと整理しておかなければ単なるゴミとしての価値しかないのですが、今となってみればきちんと整理することで時代を反映する資料としての価値があると感じます。Radio Ghanaの雑誌などは、意外に持っている人も多いのかもしれませんが、現存残数が少ないとなると、研究者などにとっては特に価値あるものになるだろうと思います。実家のダンボール箱の資料は、こうなってくると簡単に捨てるわけにはいきません…

12月14日(金曜日) クリスマスカードが送れない…

 もたもたしていたら、きょうはもう12月14日です。あと1週間でクリスマス。そして今年も残すところ2週間あまりとなりっているではありませんか。

 海外からそろそろグリーティングカードが届き始めているのに、こちらはまだ手をつけておらず、確実にことしは間に合わないです。いつも礼を失するようなことばかりで申し訳ないことこの上なしです。

 ことしは特に時間が流れるのが速く感じられ、12月に入る前に「まだ時間がある」と余裕をかましておりましたところ、このような事態に陥ってしまったのです。年賀状の受付もいよいよ始まるというのに、当然のことながらそちらのほうも手付かずです。

 ところで、年賀状といえば、ことしは喪中はがきがやたらと多いのです。親御さんが亡くなられたとか、あるいはお世話になった方が亡くなられて御家族から喪中はがきが届いたり… 知人とは「まぁそんな年回りになったということだよ」という話をしております。特にことしは仕事でお世話になった大先輩が春に亡くなられたり、大学でお世話になった先生が亡くなられていたことがわかったりと、残念なできごとがいくつかありました。特に大学の先生のほうは、いちどお目にかかっておくべきだったと反省することしきりです。

12月9日(日曜日) 地下放送とは別の…

 きょうは、古いカセットテープの修復作業をしました。セットテープの何本かはリーダーテープと磁気テープのつなぎ目が切れてしまったりして修復が必要な状態です。たまたまスプライシングテープ(死語に近い!)が手に入ったので、2本を修理しました。

 修復したテープの中には何が録音してあるかだいたいわかっていたので、早く修復したかったのですが、何しろテープの切れた部分を貼り付けるスプライサーがないとどうしようもなかったのです。

 さて、復旧した録音の中におもしろい音が含まれていましたので報告しておきます。

 かつてオマーンの国営ラジオが放送していた「南イエメンのみなさんへ إخوتنا في جنوب اليمن」という番組です。これは地下放送というよりも、おそらく番組として扱うべきだと思いますが、要するに、1980年台にドファール地方をめぐって何かとフリクションが絶えなかったオマーンと南イエメンとの関係の産物です。オマーン国営ラジオが社会主義革命を輸出しようとする隣国南イエメンの住民に対して、社会主義体制のもとでの生活の不自由さ、物質の貧しさなどを宣伝する内容です。残っているテープには、アデンに住むリスナーからの手紙を読む(たぶん架空の手紙であろうと思われます)コーナーで「自動車のパーツも手に入らない不自由な生活を余儀なくされている」などというくだりが放送されていました。当時、オマーン国営ラジオの日本での受信はかなり難しく、受信状態が悪い中での録音だったのですが、それなりに聞き応えのある、というか世相を反映した内容で興味深いです。

 他方、当時の南イエメンの国営ラジオDYBSは、毎日「オマーン革命の声 صوت عمان صوت الثورة العماني」という番組を放送していました。こちらは君主制のオマーンの体制を覆す(今となっては本気でそのようなことを目指していたのかどうか…)というスローガンを掲げての放送でした。DYBSの受信状態は良好だったので、おそらくこちらのほうは記憶されている方もおられるかと思います。

 オマーンと南イエメン両国のプロパガンダ番組は、国際放送を持たない両国それぞれが国内向けに放送していたわけですが、いずれも短波で送信していて近隣諸国(隣国)でも番組が聞かれていることを想定して番組を編成していたという事実も、いま改めて考えてみると実に面白いものです。

 ちなみに、修復した2本のうち、もう一本のテープにはRadio Afghanistanのインターバルシグナルが繰り返し何度も録音されています。1976年から77年にかけての録音で、Radio Afghanistanのインターバルシグナルの原曲が大好きだったのでできるだけ良好な状態で残しておきたいと何度も受信に挑戦していたことをいまも覚えています。でもビームが逆だったので結果的にはあまり良好には受信できていませんでした…

12月8日(土曜日) ことばは変わる…

 古いカセットテープを整理していると、海外の放送だけでなく国内放送の録音も出てきます。きょう、1980年11月のNHKニュースの録音を発見しました。久しぶりに古いニュースを聞いていて気づいたことが一つ。

 ニュースの「ことば」がいまと違っているのです。もちろん、いまのように人権をはじめとする各種権利の保護といった視点がほぼ無いに等しい時代でしたから、「賭博の街ラスベガス」などといったいまでは絶対につけないような形容詞をつけるなど、違和感がある用語が頻出。でも、それ以上に気になるのが言い回しの部分です。なんと「…しております」「…につきましては」「…によりますと」などといった変に丁寧(?)な言い回しが目立ちます。その割に、文語調の部分もあるなど、全体的にアンバランスな印象です。ニュースの読みの速度もいまよりも遅めです。

 そういえば、北朝鮮の朝鮮中央放送の日本語番組が、一時期18時から0時と併行して20時から1時間、別の周波数で異なる日本語番組を編成していたことがありました。そのときのアナウンスで「別の周波数で放送しておりますが、その周波数を申し上げますと…」などという案内が出ていたのを思い出しました。朝鮮中央放送のアナウンスには強烈な違和感を抱いたものの、同じような言い回しでNHKのニュースが読まれていたことに当時あまり反応していなかったのは、用語、語彙の問題というよりも、あの独特のアクセントに原因があったのかもしれません。

 1980年というと38年前です。まぁ38年も経てばことばも変化するのは当然のことだとは思いますが、改めて録音を聞いてみるといろいろな発見があって興味深いです。

12月7日(金曜日) Radio Japanの特設放送

 公私共に忙しかったもので、先週末は更新作業をサボってしまいました。すみませんでした。

 さて、このブログでご紹介したRadio Japanの特設放送ですが、お聞きになった方はおられますか。私は仕事中だったのですが、少しの間抜け出してラジオを聴いてみました。13780kHzの受信状態はまずまずといったところでした。放送自体が南西アジア向けだったということもあり、全然聴けないかと思っていたのですが、1230にChina Radio Intl.のネパール語放送が終了すると同時にRadio Japanの放送が浮き上がってきました。

 今回の放送は南西アジアの言語をチャンポンにしての放送ということでしたが、ラジオで聴いているとどこまでが何語でどこからが違う言語なのかはよく聞き取れませんでした。ただIDは聞き取れました。

 同じ放送時間帯に複数言語で放送するというサービスのかたちは、南西アジア向けだから成立するものなのだろうと思います。マルチランゲージでの放送はRadio Vaticanと、社会主義時代のRadio Prahaで行われています(した)が、Vaticanのほうはいまはどうでしょうか。マルチリンガルというかバイリンガルチャンポンというと、まぁアフガニスタンの国内放送なんかはいまも番組によってはパシュトゥ語とダリー語が入り混じっての放送をやっていますが、これなどは稀有な例といえるかもしれません。もっとも、インドのテレビやラジオでヒンディー語の番組を視聴していると、英語の影響がどんどん強まっていて、文章の2割ぐらいが英語になっているので意外に内容を理解できたりすることがあります。これなどはマルチランゲージというよりも、ヒンディー語そのものが変化(人によっては「破壊」)しているということの現れなのだと思いますが。

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