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2019年08月 Archive

8月31日(土曜日) 「あの」Tシャツが出てきた…

 実家から連絡があり、タンスの引き出しから、37年前のBCL連盟のTシャツがさらに(以前、ヨレヨレのTシャツのことをこのブログで書いたことがあったと思います。それとは別のものの話です)出てきたとのこと。しかも、オリジナルのビニール袋に入っていて、状態も良好と。

 早速こちらに送ってもらいましたが、なるほど、ほとんどシミもなく、きれいです。手塚治虫先生のイラストという、いま考えるととても贅沢なデザインのTシャツで、手塚ファンならひょっとして値打ちを理解されるのではないかと思ったりします。

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 わたくしは正直よくわかりませんが、手塚治虫という名前が入っているし、とても有名な漫画家がBCL連盟のためにイラストを描いたということ自体、現在のBCLの衰退ぶりを目の当たりにしていると信じられないぐらいです。そして当時のBCLブームの勢い、趣味としての社会的認知度の高さを感じずにはいられないのです。

 この手塚Tシャツのほかに、放送局からTシャツをもらったことが何度かありましたが、着用するかしないかとても迷いました。そして、たとえばDeutsche Welleからもらったシャツは大事にしすぎてシミだらけになって結局破棄することになってしまうなど、扱いに苦慮するのです。もちろん着用して頻繁に洗濯したらそれなりに劣化しますし。

8月30日(金曜日) アフリカ開発会議

 きのう、木曜日の午後、横浜で開かれているアフリカ開発会議(TICAD)イベントに関連した展示会に出かけてきました。場所はみなとみらいのパシフィコ横浜。日本各地で開催される国際見本市のアフリカ版といったところでしょうか。

 会場には日本の企業や国際機関、NPO、アフリカ各国のブースが立ち並び、日ごろの取り組みなどを展示・説明していました。アフリカ各国の展示ブースが会場の一角を占めており、普段なかなか接することがないようなエリトリア、レソト、ベナンなどの国々も含めて、アフリカ各国への投資促進やら観光などの情報が発信されていました。

 ただ、国によって熱の入れ方が違いました。なぜかコートジボワール、ギニア(コナクリ)、ガボン、カメルーン、そしてなぜかジブチあたりはブースが賑わい、活気があったのですが、一方でせっかく期待して立ち寄ろうとしたコモロ連邦のブースはもぬけの殻。展示もリーフレットもありません。リビアもブースを出していましたが、そもそも現在の国情をふまえてあえてあの場所に投資しようとする日本企業などいるのだろうか?と思いたくなる状況。ブースにいたオッサンたちも、所在なさげにコーヒーを飲んでいて、訪問者にもおかまいなし、という状況でした。エリトリアは観光パンフを置いていたのでもらってきました。あの北朝鮮とならぶほどの強権国家に観光とは… あと、モーリタニアの観光パンフレットももらいました。こちらは在日大使館の日本人職員が一人いるだけでした。

 TICADの目的自体が「アフリカ支援」ということなので、観光EXPOのような華やかさはありませんでしたが、日本の旅行会社が現地ツアーなんかを実施することで、アフリカ各国を支援するという形もありうるのだろうと思います。そういった点ではあんまり力が入っていなかったのは残念でした。

 TICADは日本が旗を振って始まった取り組みですが、今後形骸化していくようなことがないように、息の長い、有効な取り組みとして続いていくことに期待したいと思います。

8月25日(日曜日) 短い夏が終わりそう…

昨日の夜から今朝にかけて、気温が徐々に下がり、湿度も低下してきたようです。湿度の高い猛暑にうんざりしていた身としては、カラッとした暑さはありがたいことこの上なし。中東研究を手掛けている仲間うちでは「暑さはいいけど、湿度が大敵。一気にドヨ~ンと効率が落ちる」というのが合言葉のようになっています。

明け方、開けっ放している窓から入ってくる風が冷たく感じられるほどで、思わず途中で目覚めてしまいました。いえ、年のせいでは決してないです 笑  それぐらい気温が下がってきたということです。当然のことながら、夜通し鳴いていたセミの声も控えめになり、しばし静けさが戻ってきました。

暦の上では処暑を過ぎ、すでに秋です。きょう、電車の駅から自宅に向かう道端ではコオロギが鳴き始めていました。あと1か月も経たない間に秋分を迎え、夜長の季節を迎えます。一年が経つのはなんと早いことでしょうか。思えばもうことしも残すところ4か月と少しですよ 笑

あと数週間は急に暑くなる日があるかもしれませんが、短い夏ももう終わりです。でも、この季節はひと昔前までは「いよいよ空のコンディションも秋型になってハイバンドがよく聞こえるようになる」などと期待できたのに、いまはどうでしょう? 短波で聞けるのは中国語ばかり。張り合いがありません。そんな状況の中では、せいぜい「美味しいものを食べ過ぎてデブにならないように気をつけなきゃ」と考える程度が関の山でしょうか。秋を迎えて昔の思いでやら昔の記憶ばかりが蘇ってきます。困ったものだ。ラジオは遠くなりにけり… 

8月24日(土曜日) 久しぶりにレンタカー

親類の家で大きな荷物を運ぶ用事があり、さりとて大きな荷物はさほど数もない。引っ越し業者を頼むとコスパが悪すぎる…などと思案した結果、久しぶりにレンタカーを借りることにしました。

自分でクルマを持っていなかった時代、あるいはクルマが不覚にも故障してしまったときにレンタカーのお世話になったことが何度かありますが、今回は用途目的が違います。大きな荷物を運ばなければならないのです。そこではじめて「業務用車両」のジャンルで検索をすることに。

リストに出てくるクルマは、大型のワゴン車やらトラックやら。いままで乗ったことがない車種です。その中から最寄りの営業所で準備が可能な車種を選んで最終的に残ったのが、大型のバン。車高が高くて、荷物がいっぱい積めるタイプです。よく建築業者やら塗装業者やらが乗っている、いかにも「仕事用」というクルマです。

レンタルの予約をネット上で完了し、営業所にクルマをピックアップしにいきました。実際に運転すると、運転台の高さがいつもと違うので見通しがよい。サスペンションやら社内装備は最低限なので乗り心地は気にしません。でも新鮮な感覚でした。レンタカーだからナビとETCはついていましたし。

無事に大型の荷物を積み込んで、目的地に到着。荷下ろしまで行って業務終了しました。レンタカーの中には、高級外車などもラインナップに含まれているようですが、今回はその正反対の車種でした。重い荷物を運んだので握力が… でも面白い体験でした。今度はトラックを運転してみたい…かな。

8月23日(金曜日) 運転免許更新

運転免許更新に行ってきました。

普段ですと、自宅最寄りの警察署に出かけて手続きを行った後、2週間ほどで出来上がった免許証を受け取りに行くのですが、今回は本当に久しぶりに即日交付可能な免許センターまで足を伸ばしました。国際免許証も同時に取得したかったので。

免許センターは建て替えたばかりらしく、とてもきれい。しかも平日の午前中ということで、混雑も軽微。まず受付機で免許証の確認を行い、自動で読み取られたあとに出てくる受付票を手に、証紙を購入したあと、窓口へ。

手続きはすいすい進み、一気に国際免許証の準備手続きまで終わってしまいました。その間およそ10分。国際免許証ができるまでしばし待機し、15分弱で国際免許証が出来上がり。

その後、免許証の写真の撮影です。いつも思うのですが、この免許証の撮影というのは実に事務的。「はい、次の方。はい、次の方」と姿勢やら髪の乱れなんかぜんぜん配慮してくれないので、事前にきちんとしておかなければなりません。わたくし、過去何回かの免許更新の際に「超変顔」で写ってしまった苦い経験がありまして、ここ数回は免許更新の際に自分で撮影した写真を持参して、地元の警察署で更新していたのです。でも、自分で写真を用意するというのも面倒です。しかも、明るさがどうのこうのと文句言われるし、大きさがどうのこうのと気を遣うし。なので、きょうは満を持してセンターでの撮影に臨みました。

写真を撮り終えたら、今度は別室にご案内。更新時講習を受けます。更新時講習は、事故の様子を撮影したおそろしい映画を見せられて、あと簡単な説明。全体で30分でおしまい。講習の終わりに免許が手渡されました。即日交付とはかくも便利なものかと。

ちなみに、今回の免許証の写真は「変顔」こそ免れましたが、自分が想像している以上に「ジジィ」に写っていて、今後5年間またこの写真とつきあうことになると思うと、それはまた別の意味で落ち込んでおりまする。

とはいえ、結局午前10時前に免許センターに到着して、一連の手続きが終わったのが11時少し過ぎ。運転免許証と国際運転免許証の即日交付がたった1時間ほどで終わるとは… システマチックになったものです。

8月20日(火曜日) 盗人猛々しい

韓国の大統領が日本について話した際に、「賊反荷杖」という言葉を使ったところ、日本のメディアが「盗人猛々しい」と訳したことが話題になっていますが、きょうはその話ではありません。ただ、この言葉を思い起こさせるできごとについてです。

以前、我がホームページの「インターバルシグナル」の音源を勝手に自分のYoutubeアカウントで盗用している不逞の輩がいて、権利侵害でYoutubeに報告したところ速やかに当該ファイルが削除された、という話をしたことがありました。

もうそのようなことはないだろうと思っていたのですが、ひょんなことからYoutubeで1990年の湾岸危機当時のラジオ音源が出ているかどうか調べてみたところ、またもや盗用を発見してしまったのです。

音声ファイルをアップしていたのはドイツの自称DXer。調べてみたら、わたくしのHPで公開している音源が5つ、勝手に使われていました。イラクの放送の音声ファイルを聞いてみたら、どこかで聞き覚えのある音。よ~く考えてみたら「え“~!これってウチの音源じゃないか」と。調べてみたらあと4つ自分の音源が見つかりました。音声ファイルにはご丁寧に簡単な画像(スチル)までつけられていました。そいつのアカウントには、ほかにも明らかに他人が公開した受信音やら市販のテープ(昔、ニッポン放送系列の会社が企画したインターバルシグナル集)からまるごとパクった音源などがかなりたくさん見つかりました。この際、そうした第3者の音源についてはスルーして、自分の音源についてどうしようかと考えました。

さらに調べてみたら、この自称DXerのアカウントには実名とメールアドレスが記載されていました。なので、完全に話が通じない極悪人ではないと判断し、Youtubeに通報して闇討ちすることはとりあえずやめて、メールで削除要求をすることにしました。

相手のアドレスにメールを送ったら、1時間ほどで返信が届きました。文面からは大いに憤慨している様子が感じられました。「おまえはDXerなんかじゃない。カネのために、いろいろなアカウントを嗅ぎまわっているんだろう。ファイルは削除するが、そもそも俺がやっているのはみんなのためになると思ったからだ。次の世代につないでいく必要がある。ものごとには二面性があって、たとえ他人の音源を使用しても、それがほかの人たちの役に立つならいいじゃないか…」といった、まぁ自己中心的な主張を並べ立てておりました。とても礼節に欠けるメールで、胸糞悪くなるのですぐに削除しました。

だいたい、他人の音源を勝手に盗用するような輩に限って「おまえがもっとしっかり情報発信をしないから、俺様が代わりにやってやったのだ。文句を言うのは筋違いだ」などという理屈で自分を正当化してきます。この論理って、どこかで何度も聞いたことがあるような… 笑

でも「俺様が代わって公開してやったのだ」という理屈は、千歩譲ったとしても、今回のケースでは、そもそもそれではなぜオリジナルの音源の所在を明示することもなく、しかもHP宛てに一言仁義を切ることもしないのか? という根本的なマナーの問題がすっ飛ばされています。これでは単なる泥棒でしかありません。しかも、姑息な「コソ泥」です。粗大ごみの中からカネになりそうなものを集めて回って、オークションに出品してカネを稼いでいるそこらへんのオッサンのほうがまだマシ、かも。

「こうすることで次の世代につないでいける」などというたわごとは、笑止千万。マナーのかけらも持ち合わせていないバカが勝手なことをしているだけでは次の世代には何も伝わりません。短波放送が世界的に衰退している中で、矮小なる世界に引きこもり、もっぱら自分の理屈を独善的にこね続けている、こんな輩がのさばっているからこそ、新しくこの趣味の世界に入ってくる若い世代が一層減っていくという現実を理解できていないとは残念なことです。

今回の問題は相手側がキレながらもとりあえず素直にファイルを削除(つまり自分の悪事を認めたということね)したことで、一旦収束しました。ドイツ人はわたくしを「DXerじゃない」と断定しました。ものごとを盗用すること、引きこもったり群れたりすることがDXerの条件なら、こちらからDXerの称号は返上させていただきます 笑  このドイツ人がいうように、Youtubeなどのアカウントを「嗅ぎまわる」ことはするつもりはないし、そもそもできませんが、卑怯で不快な行為については毅然と対応していくつもりです。

でも、いささか手前味噌ながら、考えようによっては「泥棒してまで自分の音源だと主張してみたい」と思われるような音源を我がHPで公開しているのだとも言え、これはむしろ喜ぶべきかも。誇りに思うべきかも… そう思うと、これからも「盗んでまでも自分のものとして公開したい」と思われるような情報やら音源やらを出していきたい、と急に前向きに考えて、この文章は尻すぼみとなって終わるのであります。失礼。

8月17日(土曜日) 終戦の日からお盆にかけて

 まいとし8月15日に終戦の日から16日の京都五山の送り火の時期というのは、戦後生まれで戦争の経験を持たないわたくしにとっても特別な意味を感じる時期です。世間が休みに入るので仕事も一時的にストップするために、普段考える暇がないさまざまなことに思いを馳せることができます。

 ことしのこの時期、わたくしには二つ、この先のためにまとめておきたいと感じるテーマが頭に浮かび、一部対応しました。

 まず一つは、このブログでも紹介している「湾岸危機~湾岸戦争(1990~91年)」の際のイラク、クウェートの放送の録音の整理と、内容の確認です。正直なところこれまで当時の録音をはじめとする資料の整理がおろそかになってきました。そこで、まず当時のイラク、クウェート関係の録音テープにラベルをつけていく作業を行いました。イラク国営ラジオ(アラビア語、アラビア語海外向け、英語海外向け)、クウェート国営ラジオ、クウェート発のイラク国営ラジオ、イラク国営ラジオの対米軍宣伝放送、そして対イラク地下放送である「自由イラクの声」など、テープにはいろいろな放送が録音されていて、しばらく聞かないと確認できません。それを何とか区別し、かつ一部を除いて正確な受信日と時間の記述が抜け落ちているため、それもニュースの内容などから類推するなどの作業を行いました。

 その結果、とりあえず関係する録音を一つの引き出しに集めるとともに、放送系統別にラベルを貼りました。そこからわかってきたのは、湾岸危機勃発から1か月ぐらいまでは、海外向けのRadio Baghdad英語放送が日本でも比較的良好に受信できていたことと、バグダッドからの国営ラジオは早い段階で強烈な妨害を受けていて、あまりクリアに受信できていなかったこと、さらにクウェートの短波送信所経由で出ていたイラク国営ラジオの放送内容が戦局の悪化につれて変化していったこと、などでした。録音できていなかったり、音がわるかったりして価値がないと思い込んでいたもののうち、かなりの録音が想像していたよりもマシな音質で残っていることに驚いています。

 もう一つは、これはおそらく今となってはなかなか難しいことなのでしょうけれど、日本の国際放送の「アラビア語」によるサービスの振り返りです。戦前の国際放送については「ラジオ・トウキョウ」という3分冊の立派な本(北山節郎著・田畑書店刊)が出ており、きわめて詳細な記述がなされているのですが、ただ、その中でアラビア語放送に関する記述はほとんどありません。以前、ある学会のメンバーで、わたくしの大学の先輩にあたる人から、アラビア語による国際情報発信(放送)のあゆみを簡単でよいからまとめてほしい、という話をいただいたことがあったのですが、仕事が忙しく、そのような資料や証言を集める余裕がないと冷たい返事をしてしまったことを思い出しました。

 上述のとおり、先週仕事が少しヒマになった中、そうしたいきさつを思い出して、何を血迷ったか(笑)日本のアラビア語国際放送のあゆみについて調べてみたのですが、まずやはり資料がほとんど残っていない。国会図書館などに残っている資料の中にも「アラビア語」に特化した記述は殆ど見当たりません。しかも、アラビア語放送にかつて携わった方々も物故者となっているケースが多く、いまさら証言をききに伺うこともままならない状況。もっと早く動いておけばよかったといまさらながら後悔しています。とはいえ、どうせ手をつけてみたものですから、こちらのほうはダメもとでボチボチ作業してみて、無理だったらもうあきらめるという姿勢で臨もうと思っています。歴史を正しく詳細に記録することの難しさを感じます。

8月16日(金曜日) 1980年のきょうのLOGから

 毎日暑いですね。台風の影響は大丈夫でしたか。

 きょうは、ちょうどいまから39年前、1980年のきょうのLOGを覗いてみます。夏休みでヒマだったのでしょう。早朝から昼間にかけての受信が記録されています。例によって、JST/周波数/局名/使用言語/受信状態SINPO の順で表示しています。

0030 9530 HKBS(Jordan) in Arabic 43433
0030 6005 Radio of Democratic National Front of Yemen(clandestine) in Arabic 43443
0045 11770 DYBS Aden in Arabic 53443 at 0046 "Voice of Omani Revolution"
0059 9745 Radio Baghdad in Arabic 43443
0702 11770 DYBS Aden in Arabic closing down with the national anthem 43443
0750 15335 RTM Morocco in Arabic 44433
0755 15225 RTT Tunis in Arabic 44443
1500 21465 Radio Berlin Intl. in English 34443
1545 21500 ORF Vienna in German 44443
1545 21640 ORF Vienna in German 43443
1555 11960 RCI Canada in English to North Africa 33333

 もう短波での放送を実施していない国が目立ちますが、かつては常連局だったところも少なくありませんでした。時代の流れだとはいえ、残念です。

8月14日(水曜日) 電車ぜんぜん空いてないやんけ!

 世間は盆休みに入っているのですが、わたくしは通常通り仕事をしています。朝夕の通勤時間帯の電車の混雑が緩和されることを期待していたのですが、ぜんぜん空いていません。多くの人が職場に向かう雰囲気。夕方の電車もちっとも空いていません。「働き方改悪」などという流れに皆が逆行して、あるいは反抗して仕事をしているとしたら「天晴れ」なことなのですが、どうでしょうか?

 電車が空いていない原因は、仕事をしている人が思いのほか多いということに加えて、普段は通勤時間に電車を利用しないお年寄りやガキンチョどもが結構乗車していることにもあると思われます。彼らは混雑した電車に乗ることに慣れておらず、マナーも身についていないため、通路に立ちふさがったりドア付近に立ち止まったりして、我々を困らせることもしばしばです。「こっちはクソ暑い中、仕事してるんだぞ」などと毒づいてみたくなりますが、それをやると今のご時世はすぐに問題になってしまい、悪くすると自分が社会的に抹殺されかねない時代なので、何とか我慢するのです。

 わたくしの会社では、来週まで会議をやらないことになっていて、多くの社員が休みをとっていますが、企業の中には今週までが夏休み期間となっているところも多いと思われます。ということは、来週は電車がもっと混み始めるのでしょうか。もっとのんびり休めばいいのに、と自分のことは棚に上げて勝手なことを考えるのであります。

8月12日(月曜日) 古い友人と久しぶりに

 このところ、長い期間ご無沙汰していた古い友人と久しぶりに再会する機会が続けていくつかありました。一人は小学校時代からの友人で、ここ10年近く会っていませんでした。もう一人は6年ぶりに会う友人。いずれの友人も、会おうと思えば会えたのになんとなくご無沙汰してしまっておりました。いつでも会えると思っているうちに時間が経ってしまったのです。

 会って話す内容といえば、健康のことやら家族のこと、そして自分の仕事のことなど、他愛もないもの。でも、数年会わない間にいろいろなことがお互いの身に起きるものだと改めて感じました。もっとも、かなりの時間が空いたにもかかわらず、あたかも昨日も会っていたかのように空白の時間が瞬時に埋まる感覚というのは、不思議な気がします。気の置けない話ができるのも古くからの友人だからこそです。

 久しぶりに会ってきく話の中には、ショックを受けるようなものもあります。わたくしの年齢は、世間的にみると「まだ若い」部類に入ると自分では思っているのですが、最近同級生の一人が亡くなったことを知らされました。小学校、中学校のときにスポーツに頑張って、体も頑丈そうで明るく元気だった友人が病に倒れ、1年あまりの闘病の末に還らぬ人となったとは、いまだに信じられない思いです。しかも、いままでその友人のことなど思い出したことがなかったのに、上述の友人と会う前にふと「あいつどうしてるだろう?」と思っていたという、偶然とはいえすごいタイミング。虫の知らせか?と驚きました。 健康でいることが当たり前のように思いながら毎日を過ごしていますが、とても有難いことなのだと改めて実感しました。

 30代、40代の現役バリバリの時期は仕事やプライベートにまい進するあまり周囲に目が行かないものですが、現役時代も終盤にさしかかると、昔の知り合いと再びつながるケースが世間的にも多いようです。上述の友人の一人からは、こんど同窓会が開かれるときには声をかけると言われました。いつになるかはわかりませんが、予定が合えば顔を出してみても面白いかも…

8月11日(日曜日) ダバダバダ♪

 地元のコミュニティーFM放送を聞いていたら、60年代から70年代にかけてのヒット曲を流す番組が放送されていました。なつかしい(歳がばれる)のでしばらく流しっぱなしに。よく知った楽曲が次々にかかって、楽しめました。

 そんな中に、わたくしが小学生の頃になんとなく聞くのを恥ずかしいとおもった楽曲があります。その楽曲は、フランシス・レイオーケストラが演奏する「男と女」という、映画のテーマ曲にもなった作品です。「ダバダバダ ダバダバダ~♪」というヴォーカルが入る楽曲で、おそらくいま50代以降の皆さんの耳にも馴染んでいる楽曲だと思います。

 この楽曲のタイトルが「男と女」だというのを知ったのは、かなり早くて、小学校4年生のころだったと思います。そして、この楽曲が醸しだすなんとも淫靡な雰囲気を感じて、不道徳なイメージが増幅し、小学4年のガキンチョは、この曲を聞いてはならない… とてもいけない楽曲なのだと思うとともに、一種の嫌悪感すら抱いてしまったのです。

 後になってこの楽曲がフランス映画(1966年制作)のタイトル曲だったことを知りました。映画の内容は男女の恋の駆け引きを描いた作品ということで、ガキンチョだったわたくしの感覚がある意味正しかったことがわかりました。

 もう40年あまり昔のエピソードなのですが、実はいまもこの曲を耳にすると当時のえもいわれぬ不快な感覚が甦ってきて、あんまりいい気持ちがしません。正直苦手な楽曲の一つです 笑

8月10日(土曜日) 1990年のきょうの録音

 先日、湾岸危機勃発から29年(8月2日)について書きました。その後、これを機に当時の録音のうち、KuwaitとIraq関連のものを改めて丁寧に聞いてみました。
 
 整理してみると、湾岸危機勃発後の8月、そして湾岸戦争に突入していく91年1月以降の録音がある程度残っていました。しかも、受信状態が劣悪で放送の内容が聞き取れなかった「はず」だと思い込んでいた録音の中には比較的しっかりと音声が録れているものもあることがわかりました。

 その中には、ちょうど29年前のきょう、8月10日に録音したRadio Baghdadの英語放送の録音もあります。Radio Baghdadの英語放送は欧州向けに日本時間の5時から出ていたのですが、日によっては受信状態が比較的良好なこともありました。ただ、送信機のクセで変調が浅いので、信号がある程度強くても音声レベルが低く、聞き取りが難しい状態でした。

 英語放送は、15分のニュースと新聞論調を除くと音楽を延々と流す単調な構成でした。ニュースでは、クウェートへの軍事侵攻の正当性を主張しつつ、パレスチナの窮状を訴え、インティファーダを支持するという論調を繰り返していました。放送の中で流れる音楽の一部は毎日同じ楽曲が流れていて、使いまわしをしていたことがわかります。レバノンの名歌手Fairuzのオペレッタの挿入曲がノンストップで流れる時間が放送時間の3分の1以上を占めていました。湾岸危機が勃発して、自国の主張をしっかりと世界に発信しなければならないのに、ほんとうに緩い番組内容だったのです。その当時はまだ米軍などによる空爆は始まっていませんでしたから、イラク政府に余裕がなかったというわけではなかったはずで、Radio Damascusの英語放送同様、もともとそのような構成だったのだと思います。

8月9日(金曜日) 万年筆

 日常生活の中で自筆で手紙を書く習慣を続けている方はどのくらいおられるのでしょうか。かくいう私も、何時の頃からかちょっとした手紙もワープロで書いて最後に自筆でサインを入れるようになってしまっています。

 手紙を書くときに使う筆記用具は何でしょうか。ボールペンの類も最近ではとても書き心地がよい水性の製品が出てきていますし、フリクションペンのように一度書いても消せるペンも数多く出ています。一昔前に比べると筆記具の質の向上は著しいものがあります。

 一方でなかなか出番がなくなったのはいわゆる万年筆でしょうか。中学生のときに家族に買ってもらった万年筆を最初に何本かを使いましたが、こちらもいまは殆ど使うことがなくなってしまいました。

 先日自宅の机の引き出しを整理していたら、万年筆が数本出てきました。どのペンも長い間使っていないので、カートリッジ型のインクも乾ききってしまっており、またペン先も乾いたインクがくっついていて状態はよくありませんでした。ただ、結構有名な海外メーカーの万年筆なので、インクカートリッジさえあれば使わないともったいないなどという気になって、近くのホームセンターに行ってみることにしました。

 文具コーナーの片隅に、いまも有名どころのメーカーの万年筆用のインクはひっそりと売られていました。カラのカートリッジを持っていって汎用性があることを確認した上で購入して乾ききったペンにセットしてみました。さすがにすぐにはインクがでてはきませんでしたが、一晩置いておいたら昔のようにスムーズな書き味が戻ってきました。ボールペンに比べてペン先が乾きやすく、しかもインクがなくなるのが速いという難点はあるものの、実に書き味がよくて風格がある(ように見える)のです。

 ただ、もとの問題に戻りますが、じゃぁ何を書くかということです。受信報告も出さない、リポートやら手紙もワープロ… 結局使わないまま再びペン先がガリガリに乾いてしまうのかも…

8月4日(日曜日)  日本の夏というのは

 関東地方は梅雨明け以来猛烈な暑さが続いていますが、みなさまのところはいかがでしょうか。きょうは久しぶりに湿度が少しばかり低いので洗濯ものの乾きがよろしいようで、ありがたいですけど。

 日本の夏というのは考えてみれば短い。本来ならば6月20日前後の夏至の時期はすでに夏であるはずなのに、日本には1か月あまり続く梅雨があって、夏の到来を邪魔しています。その結果、多くの場合昼の長さを一番楽しめるはずの時期が雨模様になってしまうので、梅雨明けしたときにはすでに秋分の日のほうが近くなっているといった、なんとも悲しい事態になってしまいます。

 6月下旬に梅雨明けした去年とは対照的に、ことしは7月末まで梅雨が長引きました。平年よりも一週間ほど遅い夏の到来だったわけですが、こうなると夏が来たと思ったらすぐにお盆、そして涼風が立ち始め、日暮れが早まり、虫の声が…というふうになってしまいます。

 小学校のプールも多くの場合は夏休み前で授業は終わるようです。となると、6月の梅雨寒のなかでプールの授業を受けて、やっと梅雨明けしたときにはすでに夏休みに入ってしまっているというなんともスッキリしないカリキュラムになってしまっています。わたくしも小学生の頃、プールの授業はいつも寒かったことを覚えています。

 上述のとおりもう来週はお盆の入りです。ことしの夏は2週間ほど…ということになります。梅雨がなければ農作物や飲み水の供給に支障が出ることはわかっていますが、ちょっと寂しく感じます。

8月3日(土曜日) イラク軍侵攻翌朝のRadio Kuwait

 きのうのブログで1990年8月2日の「湾岸危機」初日のRadio Kuwaitの様子を書きました。我が家の引き出しを久しぶりにゴソゴソ捜したところ、侵攻翌日のRadio Kuwaitの録音が覚えていたもの以外にも残っていることを発見しました。

 8月2日当日は仕事が終わったあと帰宅し、ラジオを聞いたのですが、あいにく伝播状態があまり芳しくなかったこともあり、受信をあきらめて寝ることにしました。そして改めて午前6時前に起床してラジオのスイッチを入れると、いくつかの周波数でRadio Kuwaitが受信できました。手許に出てきた録音は13620kHzで0630JST過ぎから1時間半にわたって聞いたものです。この時間の受信状態はSINPOでいうと44333程度で、超良好というわけではありませんでした。確か13620kHzは欧州向けのビームだったと思います。それにしては比較的安定した状態でした。この録音を聞いてみると、さまざまな短い呼びかけが音楽の合間に出ています。IDもたびたび出ています。

 このテープをじっくり聞き返したことがなく、きょう、ほんとうに29年ぶりに全時間をチェックしている次第です。この文章を書きながらおぼろげに思い出したのは、おそらくクウェート情勢を追うあまり、睡眠を確保できていなかったことから、テープレコーダーを回しっ放しにして寝ていたかもしれないということ。だから記憶に残っていなかったのです、おそらく。もう一本、もう少し良好な録音が残っているので、いままではそちらのほうばかりに気をとられていました。

 今聞いているテープにはJST0700にニュースの要旨が放送されているところが録音されています。きのうのブログにも書いたとおり、このニュースを読んでいたアナウンサーは、ニュース番組「夕刊」のアンカーだった女性ですが、ニュースの音声だけがどうやら電話線を通してフィードされているような音質です。湾岸戦争終結後にRadio Kuwaitの局長に話をきく機会があったのですが、その際に、局員はイラク軍侵攻後クウェートを離れて全員無事にサウジアラビアに退避した旨の証言がありました。ニュースを電話でフィードしたとしても話のつじつまが合います。

 録音ではJST0705ごろに明らかに妨害電波だと思われるような混信が入っています。妨害はその後すぐに停止しました。まもなくイラク政府は欧米の放送とアラブ諸国の放送にいわゆる「バブルジャミング」の発射を始めるのですが、湾岸危機当初は妨害の手段を準備しきれていなかったようです。

8月2日(金曜日) 29年も経ったとは!

 毎年8月2日が来ると、1990年のこの日のことを思い出さずにはいられません。日本時間1990年8月2日の昼前、サッダーム・フセイン率いるイラクの軍隊が隣国クウェートに侵攻しているというニュースが飛び込んできました。宣戦布告もなく独立国が他の独立国の主権を蹂躙するなどということが起きるとは思ってもいなかったので、たいそう驚いたことを思い出します。

 当日の昼過ぎから、わたくしは短波ラジオでクウェート・イラク情勢をモニタリングし始めました。普段ならば日本時間13時からRadio Kuwaitの短波放送がアジア向けに電波を出し始めることになっていましたので、何らかのメッセージが受信できるのではないかと考えました。

 ところが、あの日に限って、Radio Kuwaitは通常の時間には放送を始めませんでした。複数の短波周波数をチェックしていると、Radio Kuwaitが放送している周波数の1つ、21675kHzでノンストップの音楽とごく短いメッセージを流す放送が弱く受信できました。しばらく聞いていたのですがクウェートの放送とは何か様子が異なります。まず放送の音質(変調具合)がRadio Kuwaitのそれとは明らかに異なる、硬めの音質で、変調度も浅め。イラクのRadio Baghdadの音質に似ていました。音楽の合間に出される男性のアナウンスは素人の声に聞こえました。メッセージの内容は「今日こそ君たちの日だ」といった抽象的なもの。クウェートからの放送かどうか確認することができないまま時間が過ぎ、やっと出たのが「自由クウェートはイラク軍を歓迎する…」といった内容の短いコメントでした。受信状態が悪く、断片的に聞き取れる内容からは、この放送がクウェートから出ているのか、イラクから出ている謀略電波なのかを確認することはできませんでした。ただ、普段放送を聞いていた周波数で何者かが上述のようなメッセージを流していたことがわかりました。

数年後、エジプト在住のTarek Zaidan氏と話をした際に、8月2日の早い時間帯には、どうやらクウェート政府によるRadio Kuwaitとイラク政府による「偽の」Radio Kuwaitが放送していたらしいことがわかりました。自分が日本時間の13時頃に受信したのは、イラク側による「偽の」Radio Kuwaitだった可能性があると今は思っています。

 さて、そうこうしているうちに、日本時間の15時ごろになると、13時ごろに聞こえていた放送とは明らかに異なる、耳になじんだ音が聞こえ始めました。変調の度合いやアナウンサーの声など、こちらはすぐにRadio Kuwaitだとわかりました。周波数は15495kHz。この周波数も当時Radio Kuwaitがアジア向けに出していた短波の周波数の一つです。この時点では、Radio Kuwaitは愛国歌と短いメッセージを流していました。

 今思えば無謀だったかもしれないのですが、このときわたくしはRadio KuwaitからもらったGuide bookに記載されているホテルのリストを眺め、そこに記されていた電話番号のいくつかにアクセスしてみることにしました。3か所トライしてみましたが、いずれも応答がありません。4か所目も呼び出し音が続き、ダメかと思って電話を切ろうとしたら、応答がありました。電話の向こうはホテルの従業員の男性だとわかりました。わたしは「いま起きていること、いま自分の周りで見えている、聞こえているものを教えてほしい」と頼みました。その男性は「イラクの軍隊が侵攻してきている。クウェートの国営テレビ、ラジオは愛国歌とメッセージを流している」と答えてくれましたが、その途端、電話が切り替わり別の男の声が聞こえてきました。「どこから電話している?」との問いかけに「日本からだ」と答えると、その男からまた元の男性に電話が切り替わりました。ホテルの男性は「もう話をすることができない」と一言答えて電話が切れました。割り込んできたのは、イラク軍の関係者で海外からの電話をオペレータとして「盗聴」していたようです。そしてホテルの男性に「いらぬことは話すな」とでも脅したのでしょう。結局その後はどのホテルに電話しても応答が得られませんでした。電話に出てくれた男性がその後安全に過ごしてくれたことを願ってやみません。

 日本時間の夕方から夜中にかけては所用でラジオを聴くことができず、次にラジオを聞き始めたのは日付が変わろうとしていた8月2日23時30分過ぎのことでした。この時間になると本来のRadio Kuwaitの周波数で放送が聞こえるようになっていました。普段よりも多くの周波数が出ていました。私は、8月2日の早い時点でクウェートはイラク軍の占領下に入り、メディアも完全に掌握されたものだとばかり思っていたのですが、驚くべきことにRadio Kuwaitの短波は軍事侵攻から12時間経った時点でも生きていました。

 夜が更けていくにつれて受信状態が安定してきて、放送の内容もよく聞き取れるようになりました。相変わらず愛国歌がノンストップで流れていましたが、2日の午後と決定的に異なっていたのは、Huna al-Kuwayt(هنا الكويت こちらはクウェートです)というIDが頻繁に出るようになっていたことです。しかも、日本時間の8月3日午前6時には、耳なじんだ女性アナウンサーの声でニュースが放送されていました。さらに、クウェート皇太子と思われる男性の声で「世界は今起きていることを憂慮している。世界は我々を支持している。抵抗を続けよう」とのメッセージが流されました。ちなみにニュースを読んでいたのは、人気番組「夕刊」(Jaridatu-l-Masa’ جريدة المساء)のアンカーだった女性アナウンサーでした。

短波の周波数はさらにその後も放送を継続し、結局8月3日の日本時間20時過ぎに停波するまで電波を世界に送り続けました。一方、Radio Kuwaitの中波放送のほうは翌4日まで持ちこたえていたことがわかっています。

 イラク軍の侵攻に始まった「湾岸危機」は、その後翌91年の1月には米国などの「多国籍軍」による介入により「湾岸戦争」に発展し、同年2月28日に事実上の終戦を迎えることになります。Radio Kuwaitはその間、隣国サウジアラビアのダンマンとエジプトのカイロに亡命して放送を継続しました。1月からは地下放送「自由イラクの声」が放送を開始するなど、イラク、クウェートをめぐる電波戦略が激しさを増していきました。クウェートからの短波放送は、イラク占領下で当初Radio Baghdadの番組を中継していましたが、湾岸戦争が始まって戦況がイラク側に不利になるにつれて、大きく変化していきました。クウェートにあった短波の送信所はイラク軍がクウェートを撤退する際に、破壊と略奪を受けました。Radio Kuwaitの短波国際発信は、1991年2月から数年間、送信所の再建が進む間は停波を余儀なくされました。

 イラク軍侵攻時、そしてイラクによる占領下のクウェートからのラジオ放送がどのような状況にあったか、そして当時のイラクの短波ラジオ放送がどのような状況だったかについての記録は、また別の機会にご紹介できればと思います。

【追記】 
 8月2日のクウェート国営ラジオは、イラク軍侵攻29年にちなむ特集番組を放送しました。General Programme(総合放送)では、日本時間14時のニュース枠を拡大して湾岸危機勃発から湾岸戦争終結までの道のりを改めてクロノロジー形式で伝えました。当時の実録音が出てくるかと思って聞いていたのですが、アナウンサーによるナレーションと音楽だけの構成でした。ほとんどが我々が知っている事実を改めてなぞるような内容で、新味はありませんでしたが、あの頃のことが思い出されました。

 一方、第二放送(こちらはウエブのライブストリーミングで聴取)でも29年特集を放送していましたが、こちらのほうは電話によるインタビューをつないでいく形式。当時クウェート国内に残って抵抗運動を行った女性活動家へのインタビュー、一市民としてイラク軍の暴虐ぶりを目の当たりにしたという男性の話などでした。こちらも当時の実録音はありませんでしたが、イラク軍の侵攻当日から戦争終結までの時間を人びとがどのように過ごしていたのか、垣間見ることができました。

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